平和を願う人がいる。この世は平和ではないので、平和になるために何かしたいと思う。ある時この人は、戦争を決断するのは政府であり戦争を実行するのは軍隊であることに気付く。
そのため政府や軍隊に向かって「平和を守れ」と叫び、心から平和を願って祈り、涙を流す。本当に平和な世の中になって欲しいと願っている。
ところが、世の中はまったく反応しない。いくら叫んでも愚民たちは日々の生活に一生懸命で関心を寄せない。政府も軍隊もまるっきり聞く耳を持たず、平和への祈りは無視される。
世界の平和のために、もっと強くもっと過激に叫ばないと誰も振り向いてくれないと感じる。そのために、平和への活動はどんどん過激になり先鋭化していく。言葉もパフォーマンスも過激化して攻撃的になっていく。
「平和を乱す政府は打倒せよ!」「今の社会を叩き潰せ!」「革命だ!」と言うようになる。過激になればなるほど純度の高い人間が集まるのだが、逆に世間から相手にされなくなっていく。すると、最後にはどうなるのか。
「平和を実現するためには、分からない奴を暴力で抹殺しなければならない。分かる奴だけでユートピアを作るのだ」と思うようになっていくのである。(鈴木傾城)