LGBTの存在は「自然」であり、人々が何を思おうがそこに在り続ける

LGBTの存在は「自然」であり、人々が何を思おうがそこに在り続ける

今、いろんな面でLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)の人々に注目が集まり、意識されるようになっている。

表社会は、格好も内面も「普通であること」がとても重視されるところだ。そのため、「人と違う」ことに関しては軋轢が生まれることが多い。

軋轢を前にして、LGBTの人たちはそれぞれ自分に合った生き方を試行錯誤しながら模索する。

「自分はこのような人間である」と堂々とカミングアウトし、自分のやっていることを理解してもらおうと闘争的に奮闘する人もいる。

カミングアウトはするが、人に理解してもらおうと戦うことはあえてせず、自然に受け流しながら自分の道を生きている人たちもいる。

あるいは、世間との摩擦を避け、自分の性的指向をひた隠しに隠して生きる道を選ぶ人もいる。

あるいは、表社会から離脱して裏社会(アンダーグラウンド)で生きようと決意する人もいる。

世界は表だけではない。表があるのなら裏もある。光があるのならば闇もある。昼が終われば夜がくる。どちらが生きやすいのかは、人それぞれだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

真夜中の歓楽街にはLGBTの人たちが当たり前にいる

真夜中の歓楽街にはLGBTの人たちが多い。LGBTが普通にそばにいる。

鈴木傾城は東南アジアの売春地帯に長かったが、そこにはレディーボーイと言われる人、すなわちLGBTの「T=トランスジェンダー」に当たる人たちがごく普通に存在していた。

身体は男だが心は女。あるいは身体も心も男だが女装して男に身体を売る人たち。彼らが「レディーボーイ」と呼ばれている人たちだ。

私は毎日のようにレディーボーイを見てきたし、談笑してきたし、情報をもらったり、ときにはドリンクをおごってもらったりして生きていた。

私にとってトランスジェンダーの人たちの存在は完全に日常の一コマでもあった。私だけではない。歓楽街をうろうろする男は、みんなレディーボーイをそのまま許容している。

あまりにもレディーボーイがたくさんいて、その中には一目惚れしてしまいそうなほど美しい人もいる。

「もう肉体的な性別なんかこだわるのは意味がないのではないか?」と思って、女性だけでなくレディーボーイとも積極的に関係を持つ男もいるくらいだ。

こうした男たちは「B=バイセクシャル」の世界に入っていく。すなわち「付き合う相手、好きになる相手が、肉体的に異性だろうが同性だろうが関係ない」となる。

もともと筋金入りのバイセクシャルは、レディーボーイのように女装していなくても問題ないわけで、彼らはゲイのためのゴーゴーバーにも積極的に顔を出したりすることもある。

そうなのだ。売春地帯には「同性愛者のための空間」もきちんと用意されていて、多くの同性愛者が集まっているのだ。

タイの売春地帯では、パッポンにもパタヤにも同性愛者のための世界が当たり前に存在する。「ボーイズタウン」は多くの同性愛者が一晩の相手を求めてやってきている。

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「同じ真夜中の世界を共有していた」という感覚

つまるところ、私がずっと生息していた東南アジアの真夜中の世界は、GBT(ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)たちが普通にいたのである。

私がいまだに見たことも話したこともないのは「L=レズビアン」だけだが、「GBT」に関しては別に彼らの存在に疑問を感じることはほとんどなかった。

そもそも、私自身が東南アジアでは「流れ者の得体の知れない外国人」であり、真夜中をうろつく野良犬であり、売春する女たちを愛して追い求めるハイエナであったわけで、世間から爪弾きされるタイプだった。

世間から爪弾きされ、後ろ指を指されながら生きてきた人間が同じアンダーグラウンドに生きている他の人たちに何かを言う資格などあるわけがない。

アンダーグラウンドが私を受け入れてくれたということは、私もまたいろんなタイプの人を受け入れないと生きていけないということでもある。

アンダーグラウンドはいろんな意味で表社会から弾き飛ばされた人たちが集まるところだ。誰も「自分が他と違うこと」に対して何も言わない。

自分も「何か」が表社会と違うので、相手も「何か」が違ってもお互い様だからである。

だから、私にとってはLGBT(レズビアン・ゲイ・バイセクシャル・トランスジェンダー)のすべては、同じ世界を共有している人たちであり大切に思っている人たちだ。

日本にいると「GBT」の人たちをめったに見ることもないし、話すこともないので寂しく思う。

私自身は「GBT」のどれにも該当しない。「L」とはそもそも会ったこともない。それでもそのすべてにシンパシーを感じるのは、「同じ真夜中の世界を共有している」という感覚を持っているからだ。

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表社会がどうであってもLGBTは絶えることはない

LGBTの人々は、事あるごとに攻撃の対象になったり、批判されたり、差別の対象になったりする。

世の中には「男と女が対になるのが正しく、その他は好ましくない」と思う人たちが大半を占めている。

筋金入りのキリスト教徒になると「同性愛がはびこるとソドムとゴモラのように退廃を生み出して神に滅ぼされる」と思っている人もいる。

そこまで狂信的ではなくても、単に「違っている」ということだけで嫌う人も多い。期せずして「普通」から外れた人たちは、往々にして嘲笑され、攻撃され、批判され、差別され、排斥されていく。

彼らの大半は静かに普通に暮らしたいと思っているし、自分たちの暮らしている社会を憎んでいるわけでもない。また、自分たちの性癖をまわりに押し付けるわけでもない。

「自分たちは被害者だ、自分たちを守れ」とわめいて被害者ビジネスをするわけでもないし、「自分たちを理解しない人間には謝罪と賠償を要求する」と上から目線で言うわけでもない。

彼らは社会に深い恨みを持っているわけでもないし、特権を求めているわけでもない。社会を破壊しようとも思っていないし、自分たちを理解しない人間を恨むわけでもない。

LGBTの多くは「性癖が違う」というだけで、それ以外は本当に普通に暮らしている普通の人たちである。

しかし、「同性を愛する」「異性の格好や仕草をする」というのはいろんな意味で目立つので、攻撃の対象にされやすい傾向にある。

彼らが少数派であることから、彼らを政治的に取り込んで反政府運動にも加担させようとする胡散臭い団体も集まってくる。様々な人たちの思惑にいいように利用されて翻弄されてしまう彼らには深く同情する。

LGBTが社会に普通に溶け込み、普通に暮らせる日は来るのだろうか。

私には表社会の人々が何を選択するのかは分からないが、表社会がどうであってもLGBTは絶えることはないというのは私には分かる。彼らの存在は「自然」だからだ。自然は人々がどう考えようが、そこに在り続ける。

あなたはLGBTに何を思うだろう?(written by 鈴木傾城)

タイの真夜中の街にいるレディーボーイたち。たまに、レディーボーイなのか本物の女性なのか分からなくなるときもある。

パタヤのレディーボーイのシンガー。私には表社会の人々が何を選択するのかは分からないが、表社会がどうであってもLGBTは絶えることはないというのは私には分かる。彼らの存在は「自然」だからだ。自然は人々がどう考えようが、そこに在り続ける。

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