
上層の経営者や企業のオーナーは、そのポジションにいることで莫大な利益を得る。そして、そのポジションを絶対に手放さない。自分が老化してポジションに留まれないのであれば、今度は子供に引き継がせてカネのうなるポジションを維持し続ける。打破する方法は、もちろんあるが……。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
おいしい部分、儲かる部分を独占する
資本主義の社会になると、一部の人間が「カネのなる木」のポジションを手に入れる。そのポジションは事業家であったり、官僚であったり、政治家であったり、芸能の世界だったりして多岐に渡る。
特徴的なのは「ただその肩書を所有しているだけでカネが入る仕組み」になっていることだ。そのポジションを手に入れるには才能と努力と幸運が必要なのだが、いったんそこにたどり着くと、あとはたいしたことをしなくてもカネが入ってくる。
そうであれば、永遠にその地位にしがみつくのは人間の性《サガ》であると言っても過言ではない。だが問題がある。人間は100%の確率で老いる。そして死ぬ。そうであればどうするのか。
そうなのだ。自分の子供にそのポジションを「継がせる」のだ。そのため、カネがうなる世界のあちこちで、そのポジションを独占するために世襲が生まれる。
多くの国で、政治家の子供が政治家になっている。また、高級官僚の子供が高級官僚になっている。経営者の子供が経営者になっている。なぜなら、そこに利権と大金と権力が転がっているからである。
そのため、これらの世界では世襲ができる仕組みがそこに生まれて、どこの馬の骨ともわからない人間を排除するようになっている。逆に、親の知名度と権力と人脈を受け継いだボンクラの子供たちは、ボンクラであっても首相候補や社長候補になったりする。
つまり、おいしい部分、儲かる部分、既得権益が得られる部分については、すでにそのポジションに就いている人間が、自分の子供に継がせて甘い蜜を吸えるように独占するのだ。そして、何も持たない人間は何も得られないようになる。
圧倒的「病み垢」女子
圧倒的な「闇」を体現するのが「やむやむさん」だった。オーバードーズを「人生そのもの」と語り、幻覚に心地よさを感じ、度重なる救急搬送にも「怖くない」と笑う。
「上流階級」と「下流階級」が完全に分離
日本は「一億総中流」と言われる時代が戦後から数十年にも渡って続いていたが、いまや「世襲」が社会のあちこちに生まれて固定化している。
この「世襲」は何を生み出すのか。
それは「超えられない格差」である。職業や身分が「固定化」されて、乗り越えることができない壁となって立ちふさがっていく。
格差が極まれば階級になる。具体的に言えば「上流階級」と「下流階級」が完全に分離した世界を作り出して、身分制度の社会となって現れてくる。
まだ日本は格差で分離されているだけなので気がついている人は少ないが、この方向性が示す最終形は明確な「階級社会」なのだ。
この動きがはっきりしてきたのは1990年からだ。この年にバブル崩壊が起きて、日本は明確に社会が変質していった。
そしてバブル崩壊から10年後、自民党小泉政権に入ってから一億総中流だった社会が一気に崩壊し、格差の問題が大きく表れることになった。この当時は、正社員になれない人が増えて、「正社員が勝ち組」「派遣が負け組」と言われていた。
だが、さらにそれから10年たって時代はさらに進んだ。今は正社員ですらも終身雇用が保障されなくなり、事業が少しでも利益を減らすと簡単にリストラされる時代に入っていくようになった。
企業は自らの破綻を回避する必要性に迫られ、今度は「正社員」を放り出す時代が始まったのだ。「事業家と株主が勝ち組」「サラリーマンは全員負け組」となる社会がすでに動き始めている。
しかし、創業者や企業のトップは、会社がどうなろうとクビにならない。そのポジションにいることで莫大な利益を得る。そして、そのポジションを絶対に手放さない。自分が老化してポジションに留まれないのであれば、今度は子供に引き継がせてカネのうなるポジションを維持し続ける。
世襲の始まりだ。
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エリート階級がポジションを独占
だが、イノベーションが次々と起こせる社会では、実は世襲はたいした問題になることはない。なぜなら、新しいイノベーションが次々と起きる社会では、新しいことに挑戦した人間が「新しい分野」を創生し、そこでカネのうなるポジションに就けるからだ。
さらに、そのような社会ではパラダイムシフトが頻繁に起きるので、親が築いた「カネのうなるポジション」は衰退する可能性がある。そういうのを世襲したところで旨みはない。
だから、イノベーションが次々と起こせる社会では、世襲はたいした問題になることはないのだ。
だがイノベーションが停滞し、内需が縮小し、パイが縮小していく社会になると新しいことに挑んでもなかなか成功しにくくなる。そういう社会では、すでにあるポジションを維持した方が効率が高い。
世襲化する社会を打破するのは、実はイノベーションが起こる社会にすることなのだ。社会がどんどん変化して新しいものを取り入れて成長を揺るぎないものにしていく。それが世襲制の打破にもつながる。
日本は明確に「超」がつくほどの少子高齢化社会に突入している。
少子高齢化で日本はイノベーションも社会の活力も喪失してしまう。キャッシュレスのような基本的なイノベーションですらも拒絶する人間もいるのだから、もうイノベーションどころではない。あまりにも日本社会は停滞しすぎた。
だからイノベーションを失った日本社会では、カネのうなるポジションを世襲して「エリート階級」と「下層階級」という格差社会になっていくことになっても不思議ではないのだ。
政治家の子供が政治家になっている。
高級官僚の子供が高級官僚になっている。
経営者の子供が経営者になっている。
エリート階級が利権とカネのうなるポジションを独占するようになり、身分が固定化されている。エリート階級の身分が固定化されると同時に、貧困者の身分も固定化されつつある。貧困層の家庭の子供は、やはり貧困層でしかないという現象が始まっているのだ。
イノベーションが欠落してしまっているからだ。
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イノベーションが起こりやすい国に変える
もう普通のサラリーマンは将来がない。格差社会から階級社会に入っていくと、今のままでは「労働者階級」に落とされて、そこから這い上がれなくなるのは必然だからだ。階級は身分の固定化だ。だから這い上がれない。
固定化した社会を打破するのは「革命」だが、資本主義の中では「イノベーションで社会を変えることが真の革命」であると気づいている人はこれまた少ない。資本主義での身分制度の破壊は、イノベーションでおこなわなければならないのだ。
イノベーションが次々と起きる社会はまだ希望はある。だが、イノベーションに背を向けて「現状維持」のみを求める社会は、格差がやがて階級となり、よりイノベーションから遠ざかって後退する。
懸念すべきは、日本は「現状維持」を願う高齢者で覆われている国であることだ。そういう高齢者は、社会を変革したくないので、新しいものにやたらと規制を欠け、新しいものを拒否し、拒絶し、排除する。
いまだに一部の高齢者はインターネットはおろかスマートフォンですらも拒否する人がいるので驚く。彼らは偏向している新聞とテレビのみしか接しないので、世の中の主流である超高度情報化社会からも取り残されてしまっている。
ところが、そうした「遅れた高齢者」が政治家や経団連のトップになっているので、超高度情報化社会を支えるソフトウェアに対してもまったく知見がなく、「日本は本当に先進国なのか?」と国外からもあきれられる社会になっている。
日本社会はイノベーションという「下剋上」を起こせなくなりつつある現状維持の社会になっている。だからこそ現在成功している人間がそのポジションを子供に譲って世襲化を図り、社会は階級化に向かっている。
日本を階級社会にしたくなければ、イノベーションが起こりやすい国に変えていかなければならない。イノベーションを拒絶して現状維持で生きるというのであれば、日本はもう終わりだ。社会が固定化し、停滞し、閉塞感はより強い国となる。







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