
イエメンは、もともとそんなに豊かな国ではない。2015年から延々と続く内戦が経済とインフラを壊滅させてしまっている。そこにきてアメリカの空爆もある。今、国連は「世界最悪の人道危機が起こる可能性が高い国」として、イエメンに注視している。地獄絵図がイエメンで発生する可能性がある。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
1700万人が飢餓状態に突き落とされる瀬戸際
今、国連は「世界最悪の人道危機が起こる可能性が高い国」として、イエメンに注視している。イエメンではすでに人口の約80%が人道支援を必要としているのだ。
事の発端は、イスラエル・パレスチナ戦争だ。イスラエルがガザ地区への援助物資の流入を阻止していることを理由に、イエメンの反政府武装組織フーシ派が紅海でイスラエル船籍の船を攻撃した。
これに激怒したトランプ大統領は、3月15日以降イエメンへの空爆「オペレーション・ラフライダー」を開始した。これによって港湾インフラ被害が発生し、イエメンの食料輸入は制限された。
追いつめられたフーシ派は、北部イエメンのサアダ県で国連世界食糧計画(WFP)の巨大倉庫を襲撃している。この武装勢力は、約160万ドル相当の小麦や豆類を強奪し、さらに国連職員を拘束した。
WFPは現地の治安悪化を再三警告してきたが、物資の横流しを狙う武装グループや徴税目的の当局者が倉庫と配送車列を繰り返し襲い、輸送網が機能不全に陥ってしまった。
4月17日、副事務局長カール・スコウは「安全と受益者保護が担保されない限り活動を継続できない」と声明を発し、フーシ派支配地域への新規輸送と配布を全面停止した。これにより北部の支援網は実質的に断ち切られた。
これと同時に発生していたのが、WFPの資金枯渇だ。WFP全体の2025年予算は前年から40%削られ、イエメン事務所では人員の40%削減通知が出された。トランプ政権が14か国向け緊急食糧支援を突然凍結したことも追い打ちをかけた。
資金と治安、双方の崩壊が同時に起きた結果、WFPは活動停止に追い込まれ、いよいよイエメンは「世界最悪の人道危機」が発生しかねないような状況になっている。1700万人が飢餓状態に突き落とされる瀬戸際になるのだ。
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飢饉へ到達するのは秒読み状態となっている
イエメンは、もともとそんなに豊かな国ではない。2015年から延々と続く内戦が経済とインフラを壊滅させてしまっている。GDPは半減し、石油輸出も内戦とエネルギー価格の下落で2013年比で37%も減少してしまった。
イエメンは食料の90%以上を輸入に頼る国だ。それなのに、港湾封鎖と通貨安が重なり、食糧価格指数は2021年比で2.3倍に跳ね上がっている。国連の最新調査では、国民の大半が食糧不安に直面している状況だ。
2月に実施された家計調査では、北部世帯の62%が「不十分な食糧消費」の基準に該当した。慢性的な水不足も発生しており、人口の7割が安全な水を得ることができないでいる。もちろん、政治も行政も機能していない。
国際食料安全保障分類(IPC)で見ると、北部の広域がフェーズ3(危機)からフェーズ4(緊急)に位置している。最悪レベルのフェーズ5(飢饉)へ到達するのは秒読み状態となっている。
この絶望的な状況の中で、国連世界食糧計画(WFP)は何もできないでいる。
5歳未満の急性栄養不良児は全国で220万人を超え、医療施設の半数が機能停止しているため治療の手立てが乏しい。配給停止前でもWFPは対象を300万人にまで絞り込んでおり、必要カロリーの40%しか提供できていなかった。
今回のトランプ政権の空爆と輸入の全面停止により、そのわずかな命綱さえ絶たれた。空爆と内戦で就業機会は蒸発し、現地通貨リアルは2015年比で90%近く下落した。家計は市場で割高な輸入小麦を買うか、水で薄めたスープだけで飢えをしのぐかの二択を迫られる。
この国に関心のある外国人はいない。中東諸国さえも関心を失っている。そのため、全世界に無視されたまま、イエメンの国民は急激に飢餓に向かおうとしている。飢餓で数百万単位の死者が出てもおかしくない。それくらいの状況である。
イエメンの人口は約4000万人なのだがそのうちの80%が人道支援が必要だということは、3200万人を救う必要があるということになる。こんなに莫大な人口を救える機関はどこにもない。
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治安、医療、物流が同時に壊滅状態と化した
イエメンはこれから世界最悪の人道危機が起こり、国家存続の危機に突入していく。
まず、食糧不足が深刻化すると、ただでさえ状況の悪いイエメンでさらに治安と経済の悪化がとめられなくなる。社会のあらゆるものが、連鎖的に崩壊する。市場では主食価格が高騰し、都市部では暴動が発生するだろう。
武装勢力は不満を抱える若年層を取り込むので、内戦の長期化は必至だ。この武装勢力は食料と燃料を運ぶ輸送路を狙うので、保険料と物流費が跳ね上がり、イエメンの物価はさらに上昇する。
医療面でも連鎖は避けられない。栄養不良が免疫低下をもたらし、下痢症やコレラがまん延しやすくなる。北部では浄水施設の3割がアメリカの空爆で損壊してしまったので、安全な飲料水へのアクセス率は40%台に落ち込んでいる。
この40%も壊れて枯渇していったら、いよいよ生存不可の状況に向かっていく。
感染症も拡大していくだろう。そうなれば、イエメンの脆弱な保健システムでは対応できず、死亡率が一気に上がる。経済面では港湾封鎖と空輸コスト増が工業原材料の輸入を阻み、かろうじて残っている零細工場も閉鎖されて、失業者が急増する。
失業は家計の購買力を奪い、食糧不足を加速させる負のスパイラルを形成する。
国際海上保険市場は紅海危機と重なりイエメン航路の保険料を過去最高水準に引き上げた。企業はアフリカ南端を迂回するが、船賃が2倍近く膨らむため最終物価に転嫁され、地域経済は縮小均衡に陥る。
これが今のイエメンの絶望的な状況だ。
トランプ政権は国際支援も「アメリカはタカられている」と打ち切っているので、国連もUSAIDも身動きできない。治安、医療、物流が同時に壊滅状態と化し、国家崩壊へと向かう道筋が鮮明になってきている。
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イエメンの向かう道は地獄でしかない
今のイエメンに安全な人道アクセスはない。追いつめられたフーシ派は、倉庫と輸送路を攻撃しているので、もはや人道支援ができる状態になっていない。
この襲撃が止まれば人道支援も再開できるのだろうが、武装勢力は人道支援がないから生存のために襲っている。もはや、どうにもならない状況にある。
私たちは先進国で生きているので「飢餓」がどのようなものかは想像もできないと思う。しかし、失敗国家では、しばしば経済危機が発生し、気候変動で干魃が起き、飢餓が発生する。
もし、イエメンで飢餓が1700万人レベルで発生すると、まず国から小麦と食用油が完全に姿を消してしまう。経済は完全に機能しないので、札束を持って市場に行っても何も買えない。
数週間で多くの国民の体重は10キロ近く落ちてしまうことになる。5歳未満の子供たちは皮膚の下に骨が浮き、胸筋が萎え、毎日千人規模で飢え死にしていく。
そこで生き残っても、コレラとはしかが連鎖し、井戸に列を作る群衆のあいだで嘔吐と下痢が飛び散る環境になる。医療施設の半数は爆撃で廃墟となっているが、残る病院でも電気も酸素も薬も尽きている。病院はないも同然なのだ。
すべてがなくなると、あとは生存のために「奪う」だけが唯一の道となる。そのため、飢えた若者が武装勢力に取り込まれ、国は内戦状態と化し、飢えた人々と暴力だけが吹き荒れる大地と化す。
飢餓は爆発的に人間の尊厳を焼き払い、国家を死と暴力と病の温床へ変える。このままでいくと、イエメンの向かう道は地獄でしかない。

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