「東南アジアの歓楽街に数十年さまよっていた」「東南アジアの売春地帯に沈没していた」と話すと、表社会に生きていた人たちからいつも決まって言われるのは「性病は怖くなかったんですか?」「HIV(エイズ・ウイルス)は大丈夫だったんですか?」という質問だ。
私がタイの歓楽街パッポンを知ったのは1986年なのだが、このときにはすでにエイズの恐怖は声高に叫ばれていてパッポン近辺でも売春反対の抗議デモがあったのを覚えている。たしかに、性病はつねに不安と恐怖の中心だった。当時のエイズは「死の病」だったのでなおさらだ。
しかし、兵士が戦場で弾丸が飛び交っても自分には当たらないという根拠のない思い込みを持つのと同じく、歓楽街に沈む男たちもまた性病が蔓延していても自分だけは大丈夫という根拠のない思い込みで「見て見ぬふり」をするしかなかった。
あとは運次第だ。「地雷を踏んだらサヨウナラ」の世界である。
今はどうだろうか? 条件つきだが、この不安と恐怖でしかなかったHIV(エイズ・ウイルス)も、いよいよ「非常に一部の人」に限るが、100%克服される時代がきているのかもしれない。
今、アンダーグラウンドでは、HIVを防ぐ新しい薬として「レナカパビル」が注目されている。ギリアド・サイエンシズ(Gilead Sciences)が開発したこの薬は、年1回の注射でHIV感染を100%防ぐ可能性がある。90%でも98%でもない。「100%」である。その効果は驚異的だ。
すでにHIV治療薬として使われているレナカパビルを多めに投与することで、予防効果が得られることが臨床試験で明らかになった。具体的には、ウガンダと南アフリカでおこなわれた試験で、5000人以上の女性と少女が年2回のレナカパビル注射を受けた結果、HIV感染者が1人も出なかった。
また、別の試験では3265人の男性やトランスジェンダー、ノンバイナリーの人々が対象となり、年2回の注射でHIV発症率が96%減少した。2025年3月に米国で発表された第1相臨床試験でも、40人の健康なボランティアに年1回の注射を試したところ、1年後も全員の血液中にHIVを防ぐ十分な濃度の薬が残っていた。