ほとんどの日本人が拒絶する価値観。それは「無責任になる自由」というもの

ほとんどの日本人が拒絶する価値観。それは「無責任になる自由」というもの

日本人以外に、日本人並みの責任感を求めたら「無理難題を押しつけられた」と思われ、激怒されて殺される。逆にいえば、日本人も外国のそうした環境では、無責任になっても責められない。「無責任になる自由」がある。しかし、日本人の多くは無責任になれない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

世の中のほとんどの国は先進国ではない

日本は自由になった。いろんな価値観を持つ人がいて、それぞれが同じ時代に同時並行的に生活している。日本はいまや、かなり多種多様な価値観を持つ国民が暮らす国となっている。

高尚な価値観を持つ人も、低俗な価値観を持つ人も、伝統的な人も、前衛的な人も、宗教を信じる人も、信じない人も、日本には居場所がある。

どの価値観を選んでも「個人の自由」だ。自分の価値観を誰かに押しつけない限り、それは許容される。しかし、ほとんどの日本人が拒絶する価値観もある。それは「無責任になる自由」という価値観である。

日本にいれば、日本人の素晴らしさというのが気がつかない。しかし、海外にしばらく居て日本に戻ってくれば、日本人の素晴らしさがよく見えてくる。

誠意ある行動を見せる、嘘をつかない、相手を重んじる、約束を守る、正直である……。信じられないかもしれないが、日本で当たり前だと思っていることは、その多くが当たり前ではなかったりする。

世界では「相手は誰であれ騙すのが基本で、騙されたほうが悪い」と心から信じていたり、「約束は場合によっては守らなくてもいい」と考えている民族も多い。

また、納期やスケジュールに関しても「遅れるのが当たり前、破られるのが当たり前」と受けとめられている。途上国では、郵便物も宅急便も日付指定をしたところで、いつくるのかわからない。いや、その前に来るのかどうかもわからない。

もちろん、電車も時間通りに来ない。人も約束通りに来ない。

さすがに先進国は、ビジネスの約束事に関しては厳密かもしれない。しかし、世の中のほとんどの国は先進国ではない。世界には196か国ほどの国があるのだが、内閣府の定義では先進国と指定されているのは36か国のみである。

先進国であっても、個人個人はそれほど強い責任感で動いているわけでもない。途上国であればなおさらだ。日本人以外に、日本人並みの責任感を求めたら「無理難題を押しつけられた」と思われ、激怒されて殺される。

逆にいえば、日本人も外国のそうした環境では、無責任になっても責められない。そこでは「無責任になる自由」がある。

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多くの国は「無責任の自由」を行使する

しかし、日本人の多くは仕事や約束事に関しては無責任になれない。「無責任になる自由」といってもピンと来ないかも知れない。価値観が違いすぎて「意味がわからない」となる。

しかし、多くの国ではこの「無責任の自由」を行使している。そういった国では、私たちも「この仕事は明日できる」と約束して、やらなくても構わないのだ。「約束する」といっても、それを守らなくてもいい。約束は破ってもいい。

なぜなら、「できない事情ができたので、できないものはできない」という理屈が通るからだ。あるいは、「できるかもしれないが、できないかもしれない。インシャラー(アラーのご意思だ)」ということになるかもしれない。

そんな国、そんな社会に適応して生きるのであれば、私たちは口で何を約束しても、それを厳密に果たす必要も義務はなく、単に「できなかった」というだけでいい。

「どうしてもやれ」といわれたら、私たちはワイロを要求することすらもできる。なぜなら、「特別にお前を優先してやる」のだから、それなりの対価を払うのは当然だと考えるからだ。

ワイロといえば中国を思い出す人もいるかもしれないが、中国だけでなく多くの国では、そうやって社会がまわっている。

そのような環境なのだから、私たち日本人が「無責任になる自由」を行使したからといって、そこで糾弾されるわけでもない。信用を失うわけでもない。そうすることができるのだ。

こんなことを日本人にいうと仰天されて「まさか、そんないいかげんな姿勢で社会がまわるとは思えない。どうかしている」と、あきれられたり、場合によっては怒り出す人もいるかもしれない。

しかし、どこかの国に1ヶ月でも沈没してみればわかる。世界のほとんどの国は、そんなルーズで無責任な姿勢で社会が成り立っていることを知るはずだ。

だから、約束重視・信用第一の日本人は、そんな世界に馴染めなくて、ノイローゼになってしまう。無責任で約束など守らなくてもいいといわれても、それができないのが日本人だ。

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日本人が明日できるといえば本当にできる

つまり世の中は、約束が守られたり、契約が重視される国が少なく、約束も信用も何ら意味を持たない社会のほうが圧倒的多数である。

もっとわかりやすくいうと、日本人の持つ「約束厳守・信頼第一・責任重視」を当たり前だと思う社会や民族は、世界でも希有な文化であるといえるのだ。日本人の当たり前は、世界の当たり前ではない。

日本を飛び出した人の多くはそれを実感する。ビジネスで外国人とかかわった人は、みんな約束や契約の不履行で、悩みに悩み抜いて生きている。

そして、そんな途上国から日本に戻ってくると、約束を当たり前に守り、責任感も強い日本人に、同じ日本人でも感嘆を隠せなくなる。そのときはじめて「日本社会は世界でもかなり異質だったのだ」と気がつく。

日本人が空気のように当たり前だと思って気がついていない「日本人の気質」に気がつくのだ。

日本人の気質として私がもっとも美しいと思うのは、「約束を守って信頼できる」という部分に尽きる。本当に責任感が強い。

日本人が明日できるといえば、本当に明日できるのだ。日本人がそれをするといえば、本当にそれをする。日本人が対処するといえば、本当に対処してくれる。こんなことは、多くの途上国ではそれこそ奇跡に近い。

途上国では、できないことを「できる」といい、守れないものを「守れる」といい、問題が発生しているのに「問題ない」といい、対処しないのに「対処する」という人がうなるほどいる。

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エビデンスを積み上げて証明していく日本人

ビジネスに関しては、日本的な特性がより強く強調される。相手を重んじるのも日本人的な特質かも知れない。日本人は相手に気を遣うし、相手の気持ちにもよく気がつく。相手のために、あえて折れることもある。それがビジネスにもあらわれて、接客のていねいさにつながっている。

相手に対して、無意味な敵意をむき出しにするようなこともない。最初に好意と協調を見せ、自分の主張ばかりせず、相手の事情にもきちんと配慮する。

何でも計画性があって、それを遵守しようとするのも日本人的ビジネスの特性だ。ちょっとしたことであっても、計画的に物事を進めていき、それを成し遂げる。成果がすぐに出なくても継続し、コツコツと続けていく。時間がかかっても、今は何とかならなくても、最後まで手を抜くことがない。

トラブルがあっても、責任を相手に押しつけたりしない。まず起きたことを謝罪し、状況を分析し、起きてしまったことを受け入れ、二度と同じ過ちを起こさないためにはどうしたらいいのかと考える。

あまり見栄を張らず、虚栄心も持たず、派手な言動を嫌って控えめにするのも日本人らしい。カネを持っていることを見せびらかして、傲慢な態度で他人に接するのを嫌うのだ。

何をさせても、緻密で正確な点も、よく賞賛されるポイントである。電車やバスが時間通りにくるというのは、しばしば外国人を驚かせる。しかし、時間だけでないのだ。社会の隅々に、緻密さや正確さがいき渡っている。物事を徹底してやるという姿勢や、それを良しとする姿勢が日本にはある。

日本人や日本人気質の中には、こんなに素晴らしいものが山ほどある。ところが、当の日本人がそれを「当たり前」だと思って気がついていない。それもまた日本人らしい。日本人は「無責任になる自由」という価値観は、今後も受け入れることはないのだろう。そうあってほしいと願っている。

背徳区、ゲイラン
『背徳区、ゲイラン(鈴木傾城)』ブラックアジア鈴木傾城の暗部を描く小説。背徳区に生きる女の哀しい生き様と、ラストの心理的どんでん返しに酔え!

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