
たとえば、日本の未来を考えるとき、いまだに「何とかなる」「政治が何とかしてくれる」「自分の代は大丈夫」と楽観的に考えている人もいる。そういう日本人の楽観の総意が、今の日本の凋落を招いたかもしれない。日本の凋落は間違いないので、「今よりも状況は間違いなく悪化する」という悲観は必要だ。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
楽観は一見すると前向きな姿勢のように映る
戦場の兵士は、自分だけは弾が当たらないと思う。ギャンブラーは、自分だけは最後に賭けに大儲けできると思う。風俗嬢は自分は性病にならないと最初は思う。経営者は不景気でも自分の会社だけはつぶれないと思う。起業家は自分の起業アイデアだけは失敗しないと思う。
起業と言えば、創業した中小企業のうち約90%が5年以内に廃業している。事業計画を立てる際に「すぐに黒字化できる」「市場は拡大する」と見込んで過剰投資をおこない、現実の需要に追いつけず資金繰りに行き詰まるケースが多い。
人間は困難に直面したとき、「きっと大丈夫」「なんとかなる」という言葉で自分を安心させようとする傾向がある。これは心理学的に「楽観バイアス」と呼ばれる現象で、自分だけは深刻な事態に巻き込まれないと信じる傾向を指す。
交通事故や病気、自然災害など、誰にでも起こりうるリスクを軽視してしまうのは、この楽観的な思考が強く作用しているためである。
私が20代の頃、日本はバブルに沸いていたのだが、その頃の日本は株式も不動産も永遠に上昇し続けるという過信が市場に蔓延していた。
1990年にバブルが崩壊しても、「大きな問題にはならない」という楽観的な見通しが繰り返された。その結果、日本では「楽観による集団的自滅」のような様相が1990年代終わりに見られるようになった。あの頃のことをよく覚えている。
楽観は一見すると前向きな姿勢のように映る。
だが、根拠なき楽観は判断を鈍らせ、リスクを見落とさせる。自分にとって都合の良い未来しか見ない思考は、現実の厳しさに対応できない弱点を内包している。社会全体でも個人の生活でも、「楽観の罠」に陥ることは自滅の一歩となる。
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カリマンタン島でひとりの女性と知り合う。売春の世界にいる彼女に惹かれて気持ちが乱れるが、疑惑もまた膨らんでいく。
私自身は、悲観は保険だと思っている
悲観的に物事を考えることは、臆病さの表れではない。むしろ、自分の未来を守るために不可欠な姿勢である。楽観的に「なんとかなる」と構えてしまえば、予想外の事態に直面したときに立ちすくむしかない。
だが、最初から悲観的に考えて、あらかじめ最悪を想定していれば、実際にそうなってもダメージは和らぎ、必要な対策を取る余裕が残る。身近な生活の中でも、悲観的な見方が役立つ場面は数多くある。
たとえば、日本の未来を考えるとき、いまだに「何とかなる」「政治が何とかしてくれる」「自分の代は大丈夫」と楽観的に考えている人もいる。そういう日本人の楽観の総意が、今の日本の凋落を招いたかもしれない。
少子高齢化は現実として加速して、もはや自律的回復の臨界点を超えた。
総務省の統計では2024年時点で65歳以上の人口割合は29%を超え、世界最高水準にある。この構造的な人口減少が続けば、労働力不足や社会保障制度の持続困難は避けられない。「国がなんとかしてくれる」と楽観してしまえば、なんとかならなかったときの衝撃は大きいだろう。
だが、年金の減額や医療費の負担増や日本の凋落を「かならず来る現実」として受けとめれば、自助の準備を早めに始めることができる。悲観は不安を増やすのではなく、むしろ将来を冷静に直視するための出発点になる。
自分の経済状況にしてもそうだ。悲観的に構えることが生活の安定に直結する。毎月の収入が一定であっても、突然のリストラや病気で働けなくなる事態は誰にでも起こり得るのだ。
実際、厚生労働省の調査では、40代から50代の中高年層で雇用喪失を経験する人は増加しているし、今後の就労はますます厳しくなっていくだろう。楽観的に「今の会社は安泰だ」とか考えていると、不測の事態で生活が成り立たなくなる。
そのため、悲観的に「収入はいつ途絶えてもおかしくない」と想定して準備しておけば、何かあってもなくても生き残れる。悲観は家計の防御を厚くする役目を担う。それで、いざ何かあったときに助かる。
私自身は、悲観は保険だと思っている。
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男なんだからでっかく勝負しろ?
自分の健康に関しても、悲観的な発想は欠かせない。人は「自分はまだ若いから大丈夫だ」と楽観しがちだが、生活習慣病は30代からすでに兆候が出始める。国民健康・栄養調査によれば、40代男性の約30%が高血圧を抱えている。
検診を怠り、暴飲暴食を続ければ、ある日突然深刻な病気を突きつけられることになる。逆に「自分は病気になるかもしれない」と悲観的に考えれば、日々の食事や運動習慣に意識を向けることができる。
このように考えてみると、悲観は弱さではなく現実を生き抜くための知恵であるとわかる。未来を都合よく描いて何もしない楽観よりも、最悪を想定する悲観のほうが、確実に生存に近づける。
実際、私はこの悲観を忘れないでいたので東南アジアの歓楽街のような、詐欺師・犯罪者・変質者・異常者・ギャング・マフィア・汚職警官がうじゃうじゃとうごめき、セックス・ドラッグ・アルコールと人間をだめにする快楽で満ちあふれた世界で生き残れたと思っている。
世代的に見れば私はバブル世代のど真ん中なのだが、それはすなわちバブル崩壊にも直撃された世代でもあると言える。バブル経済崩壊前夜の1989年、多くの人が株式や不動産価格は上がり続けると信じていた。私もまわりも、信用で株を買い、過大な借金で不動産を買った人たちであふれていた。
私は借金をせず、不動産も買わず、株でも信用を使わなかったので、「臆病すぎる、男なんだからでっかく勝負しろ」と、あきれられた部分もあったが、私をけしかけた男は結局バブルで首が回らなくなった。
私も保有していた株式で痛手は受けたが、再起不能になるほどのダメージはなかった。精神的にはキツかったが、それでも私は「助かった」のだ。そういう経験をしていたので、私は「未来を信じない」「予測は信じない」「他人は信じない」という姿勢が人生の基本方針となった。
バブル時代に、ひとつでも何か楽観的なものを信じていたら、私は大きな借金を抱えて破産していただろう。私の身近な大切な人は、バブルのときにアクセルを踏んですべてを失ったが、その失意は見ているのもつらかった。
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日本女性が貧困から風俗の世界に入る姿を見聞きするうちに、彼女たちは実際にはどんな女性たちなのだろうかと興味を持つようになっていた。
現実を正確に見極めるための道具になる
もちろん、悲観にも欠点はある。たしかに悲観的に物事を捉えることができれば生存確率は高まる。だが一方で、過度な悲観は行動を麻痺させる危険もある。未来をすべて暗く描き、挑戦を放棄してしまえば、それは停滞や自己崩壊を招く。
大切なのは、行動を止めないための「慎重な悲観主義」なのだろう。
「慎重な悲観主義」とは、なんでも悪い方に考えて落ち込むことではない。未来に起こるかもしれない悪い出来事を前提にして、あらかじめ準備しておく姿勢のことだ。
たとえば「地震はかならず来る」と思えば、防災グッズを用意する。「収入が減るかもしれない」と考えれば、貯金や節約をする。「病気になるかもしれない」と思えば、検診を受けたり生活習慣を整える。
楽観的に「大丈夫だろう」と何もしなければ困難に対応できない。逆に「全部だめだ」とあきらめてしまっても前に進めない。その中間にあるのが「慎重な悲観主義」で、備えを重ねながらも行動をやめない考え方である。
つまり、楽観に振り切るのも、悲観に振り切るのも両方間違いだという話だ。行動はするが、常に最悪を考えて生き残る余地を残す。その意味での悲観だ。
この姿勢は、社会の変化が激しい現代において特に意味を持つ。
日本の将来は、人口減少や高齢化、経済の低成長など、多くの課題が確実に迫っている。もし「経済は自然に回復する」と楽観するなら、社会保障の縮小や生活水準の低下に対応できない。
逆に「日本はもう完全に終わりだ」と極度に悲観してしまえば、何の準備も工夫もせず、ただあきらめるだけになる。凋落は間違いないので、「今よりも状況は間違いなく悪化する」という前提に立ち、自分で生活を維持できる仕組みを備えておけば、どのような局面でも生き残れる。
慎重な悲観主義は、現実を正確に見極めるための道具にもなる。楽観は快適だが無防備であり、過度の悲観は麻痺を招く。両者の中間に立ち、最悪を常に前提としながらも、備えを重ねて生き残っていく。







コメント
> 「未来を信じない」
> 「予測は信じない」
> 「他人は信じない」
> 最悪を常に前提としながらも、備えを重ねて生き残っていく。
生き残るために、未来・予測・他人に裏切られることを前提に、常に準備を怠らない、ということでしょうか。含蓄があります。
かなり昔、偶然観たテレビドラマ「ナニワ金融道」で、俳優の小林薫が演じる消費者金融会社の社長(金田)が、タレントの中居正広が演じる部下(灰原)に対し、路上で一緒に歩いている際に、次のセリフを言うシーンがあったのを覚えています。「良いか? 『信じる者は足、すくわれる』言うてな….」。
若かった当時の私は、「へぇ〜、そういう考え方もあるんだぁ!!」と、かなり驚きました。ただ、あれから数十年経った今、このようなセリフを聞いても、「ふーん。そんなん、あったりまえじゃん(まあ、忘れてしまいがちだけれど)」などと考えてしまいます。
思えば遠くへ来たもんだ。。。
なぜ日本人の多くは議員たちの悪口を言いまくるくせに
彼らが何とか社会保障をしてくれるとか楽観的に思い込み
将来に備えないのでしょうね。
彼らが自己犠牲の精神で下級国民を助けることは
まずないでしょうに。