エドガー・ポーを破壊したアルコールが薄暗く恐怖にまみれた作品を生み出した?

エドガー・ポーを破壊したアルコールが薄暗く恐怖にまみれた作品を生み出した?

ポーは、もともと人間関係がうまくいかない性格な上に、身近な人が次々と亡くなっていき、自身もアルコール依存となり、経済苦に陥り、健康を害していた。しかし、傑出した才能を持つ男がアルコール依存になったので、薄暗く恐怖にまみれた作品が後世に残った。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

アメリカの作家エドガー・アラン・ポーが溺れたもの

推理小説を「発明した」と言われているエドガー・アラン・ポーは、アメリカの屈指の作家なのだが、この作家の『黒猫』や『アッシャー家の崩壊』などを改めて読み返すと、独特で不気味な雰囲気や心理的な深さに今も酔える。

ふと気になって、この人はどんな生涯を送ったのかを調べてみると、予期はしていたが、アルコール依存のせいで自滅的な人生を送る荒廃した姿が垣間見えた。作品の寂寥とした空気は彼の取り巻く環境から来ていたのだった。

ポーはマサチューセッツ州ボストンで生まれているのだが、父親は蒸発、母親は早くに死亡したので、養子として育てられている。彼はその頃から早くも不安や孤独感にさいなまれていたようだ。

頭脳は明晰だったのでバージニア大学に進学しているのだが、大酒による素行不良に賭博による借金まみれで中退している。その後、陸軍に入隊したが、やはり将校としての生活に適応できず、短期間で除隊した。彼は結婚したが、その妻も若くして亡くしている。

それからポーは詩や短編小説を書き始めているのだが、その作品はどれも不気味で、奇妙で、心理的な深さが際立っていた。両親を幼い頃に失い、結婚相手も亡くし、その心は虚無にまみれていたのだろう。その心象風景が彼の作品の底知れぬ暗さであった。

やがてアルコール依存も重度となり、経済的な問題が深刻化することになった。

文筆の才能は傑出していたが、生活は破綻していた。結局、ポーは1849年に死去しているのだが、最後は浮浪者のような格好で行き倒れて、その服は明らかに彼のものではなかった。なぜ、彼がそういう格好で行き倒れていたのかは誰にも分からなかった。

しかし、この作家は重度のアルコール依存者であり、酩酊している人間は普通ではないことを何でもするのだから、どんなことも起こり得る。彼の最期もやはりアルコール依存が大きな影響を与えていたのは想像に難くない。

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アルコールへの欲求や強い渇望は止められない

客観的に見ると、ポーは決して幸せな人生ではなかった。もともと人間関係がうまくいかない性格な上に、身近な人が次々と亡くなっていき、自身もアルコール依存となり、経済苦に陥り、健康を害していた。

いくつかの作品は、自身のアルコール依存の譫妄《せんもう》も入っていたのかもしれない。

『早すぎる埋葬』は生き埋めにされて土中の棺の中で苦しみ悶える人物の話だが、それはポーが自分の人生の状態を表現したものにも思える。アルコール依存は、じわじわとポーの精神状態を蝕んでいた。

いくら才能があっても、アルコールに溺れてまわりと衝突する性格ではまったく生活が安定しないことはポーの人生を見ているとわかる。

ポーだけではない。アルコール依存の人はそこから逃れられず、多くの失敗を繰り返して彼らを苦しめ続ける。アルコールへの欲求や強い渇望は止められない。制御が効かないのである。

かつての私の知り合いも、とめどない深酒を好んで、自分の人生を自ら壊してしまった。そういう人がひとりやふたりではない。強い酒を浴びるように飲み、どんよりとした目で私を見つめて笑う歓楽街の知り合いの顔が何人も浮かぶ。

私の知り合いのひとりは、いつ会ってもアルコールの臭いがして、約束の時間に来なかったり、いくつかのミスや行き違いが起こしていたのだが、本人はそれがアルコールのせいであることを頑なに否定した。

アルコールに溺れながらも、社会生活を破綻させないように綱渡りで生きているギリギリの状態の人も多いが、少なからずの人は超えてはいけない一線を超えて破綻してしまった。

今も、私の知り合いの何人かはアルコール依存への道に突き進もうとしているのだが、彼が依存まで行ってしまうのか、それとも手前で踏みとどまるのかは誰にもわからない。彼自身の気持ち次第である。

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シザーハンズがアルコール依存者の人生?

歓楽街は女性もアルコール依存にする。酔ってハイのような状態になって、朝起きたらなぜ見知らぬ男と一緒にベッドにいるのかもわからない女性も多い。私はそうした女性を何百人も見てきた。歓楽街では珍しくないタイプでもある。

酒に溺れる女たちには郷愁の念もあるが、彼女たちは破滅型の人生を生きているわけで、惹かれても一緒にいることはできない。自己放棄的な彼女の行動や思考は、一緒にいる人間にリスクをもたらすからだ。

刹那的に関わることができても、継続的に関わることはできないのだ。

あるアルコール依存の女性は、キッチンドランカーとなって夫にも見捨てられて離婚して、子供とも険悪な仲になって風俗の世界で生きていたのだが、彼女は自分がアルコール依存であることを認めた上で「性格が弱いからやめられない」と私に言った。

「ときどき、私はシザーハンズかもしれないって思うことがある」

彼女がそのように言ったのを私はよく覚えている。シザーハンズというのは1991年に公開されたジョニー・デップの古い映画なのだが、主人公は両手がシザー(はさみ)の人造人間だったので、愛する人を抱きしめようとすると相手を傷つけてしまうジレンマを持っていた。

アルコール依存者は飲んで正気を失って家庭を壊す。女性にとって家庭は愛する人が集う場所であったはずだ。しかし、アルコールで自らその愛する人を傷ついて離散させてしまうのである。

愛が深ければ抱擁も強いが、抱擁が強ければ強いほど相手を深く傷つける。アルコールで家族を傷つけ、失ってしまった彼女は、「それがアルコール依存者の人生」と私に言ったのだった。

アルコール依存の恐ろしさはそこにある。自分の人生を破壊し、自分の健康を害するだけではなく、一緒にいる人間にリスクをもたらす。家族も、友人も、同僚も、すべての関係を破壊して孤独になる。

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減らすことは考えるが、やめることは考えない

アルコール依存者は、困難な状況に直面して改心するわけではない。アルコールが自分の人生に害悪をもたらしているのはわかっていても、医師やカウンセラーと接触するのを強度に嫌う。

家族や社会的なサポートも疎ましく感じる。治療を始めるというのは、すなわち「酒をやめさせられる」ことに他ならないからだ。「酒を止めるくらいなら死ぬ」という依存者も多い。

だから、彼らは酒を「減らす」ことは考えるが「やめる」ことは考えない。残念なことに「酒を減らそう」と思うのは二日酔いの頭痛でのたうち回っているときであり、飲み始めると「減らす」という意志は簡単に消えていく。

アルコール依存は、ドラッグ依存でもある。深く、長く依存が続くほど、意志の力ではやめることができなくなる。結果として、意志で何とかしようと思っている依存者は無力感と虚無感に襲われることになる。

どんなに努力しても意志は依存に負け、努力は空しく続くだけである。そのうちに依存の克服に立ち向かうことは不可能であると感じるようになる。そう考えると「飲まないとやってられない」という気持ちになり、努力が報われることはまずない。

重度のアルコール依存者にとって、「うまくいかない」瞬間から学ぶことなど、ただの甘言に過ぎない。逆境から得られる教訓など存在せず、状況は悪化するばかりとなり、むしろ心に深い傷跡を刻むだけのものとなる。

その地獄を克服するためにはどうするのか?

彼らにとって、それは酒を止めることではない。もうやめるのは不可能なので、もっと酒を飲んでこの世の憂さを忘れて意識を失ってそのまま死んでしまうのが克服となる。地獄の克服は「死」なのである。

目が覚めると刻々と状況が悪化しているので、アルコール依存者はうつ病になりやすい。うつ病になった人は自殺に向かいやすい。ある意味、アルコール依存者の自殺は、酒を大量に飲むことである。

エドガー・アラン・ポーという作家も、そうだったのではないかと私は思っている。傑出した才能を持つ男がアルコール依存になったので、薄暗く恐怖にまみれた作品が後世に残ったのかもしれない。

どん底に落ちた養分たち
『どん底に落ちた養分たち――パチンコ依存者はいかに破滅していくか(鈴木 傾城)』

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