東南アジアの歓楽街に長らく沈没していると、次第に薄れていくのが道徳観や貞操観念である。そこでは快楽が剥き出しであり、欲望のために金を無尽蔵に蕩尽できる男が尊ばれる。
底なしに不道徳で、底なしに欲望に忠実で、明けても暮れても誰かを求めて街をさまよい歩く男が「とてつもなく素晴らしい男」なのである。要するに、一日24時間、365日、快楽のために身を捧げることができる男が見上げた男なのだ。
出会った女性のすべてに関心が持てて、恋愛感情が持てて、女性のためにはいくらでも現金をばらまける男を、歓楽街は欲している。実際、そういう男はおびただしく存在していて、欲望の街では現金が舞い散っている。
そういう男が集まるし、そうでない男もそうなる。それが歓楽街である。
そして、歓楽街では女性もまた不道徳で貞操観念のない女性を求めている。出会った男性を片っ端から受け入れ、惚れっぽく、いつでも男の欲望に付き合える女性が尊ばれる。やはり歓楽街にはそういう女がおびただしく居座っていて、化粧と香水のニオイでむせ返っている。
そういう世界に長らくいると男女問わず誰でも道徳観や貞操観念を喪失していき、やがてはアンダーグラウンドの世界の常識が自分のライフスタイルとなる。
いったん、そうしたライフスタイルが身につくと、歓楽街から離れてもなかなか元に戻らない。仮に歓楽街に行かなくなって久しくとも、あの「欲望の街」のライフスタイルに染まった人間は、男でも女でも、そこから抜け出すことは一生できないだろう。
たとえば、あの世界に馴染んだ人間は、男でも女でもずっと「ある種の惚れっぽさ」を捨てることができないはずだ。つまり、ちょっとしたことですぐに相手に恋愛感情を覚えたり、好きになったり、惚れ込んだりする。
恋愛感情がいとも簡単に火が付くのだ。なぜなら、アンダーグラウンドにいたときは、それを抑制するのではなく解放することによって快楽や金が手に入っていたので、それを抑圧する訓練ができていないのである。
したがって、アンダーグラウンドの人間は歳を取ろうが何だろうが「恋愛中毒」のようになっているとも言える。