白髪になった髪を真っ黒にするか、真っ白にするか、何もしないか。それが問題だ

白髪になった髪を真っ黒にするか、真っ白にするか、何もしないか。それが問題だ

2018年頃、ある女性に「ロマンスグレーの髪が似合ってて良い」と言われて、私は改めて自分の髪を鏡で見たのだが、その時に自分がかなり白髪混じりの髪になってしまっているという現実を直視することになった。

「人に指摘されるほど白髪が増えたのか……」

それが私の実感だった。確かにまだ真っ白ではないのだが、はっきりとした白髪がまだらに目立つようになっていた。私はあまり鏡を見て自分の顔を観察するタイプでもないので、白髪があったのは知っていたがあまり気にもとめなかった。

しかし、他人に言われるということは、まぎれもなく白髪の存在がかなりウエイトを占めるようになったということなのだと実感した。彼女は、私の「ロマンスグレー」なる髪がとても似合っていると褒めてくれたのだが、私はやや動揺していた。

自分自身の目で客観的に見ると、それはまったくロマンスな感じではなかった。私は現実主義者なので、それはただの「増えてきた白髪」にしか見えなかったし、その白髪にに対して価値も感じなかった。

どうせなら、思いっきり真っ黒か、思いっきり真っ白かのどちらになってくれた方が心地良いのだが、まだらに白いというのがいかにも中途半端で面白みがないように感じた。

その時にはじめて私は自分の白髪に不快感を感じた。そして、自分には3つの選択肢があるというのを考えた。

真っ黒にするか、真っ白にするか、何もしないか……。

私はすぐに髪を黒く染めるのが気に入った

金髪にするとか茶髪にするとかそういうことは考えたことはないし、やりたいと思ったこともない。髪の色をカラフルにするのはまったく興味がない。真っ黒にするか、真っ白にするか、それとも白黒まだらのまま放置するかのいずれかだ。

2018年当時で私は自分の髪をよく見つめて、白髪率は10%くらいだろうと現状を確認した。この10%の白髪が何となく気に入らないので、放置するよりも対処したいというのが本音だった。とすれば、白か黒かのどちらかにするしかない。

白髪が不快だというのに真っ白にする選択肢を含む心理は、もしかしたら理解されないかもしれない。自分でもよく分からないが、全部真っ白だったら逆にあきらめがつくし、それはそれで面白いという割り切りの気持ちがある。

しかし、真っ白にするためには90%を変えなければならない。それは効率的ではない。そうであれば黒に染めるしかない。10%を染めるだけなのだから、90%を染めるよりも効率的ではある。かくして私は2018年から髪を黒く染めるようになった。

ローリング・ストーンズのミック・ジャガーも「Paint It Black(黒く塗れ)」と歌っているではないか(この歌は白髪を染めろという歌ではないが)。

髪を「ペイント・イット・ブラック」すると、人から「若く見える」とも言われるようになった。別に若く見られたところで何か得するわけではないのだが、年齢が不詳になるのは面白い。私はすぐに髪を黒く染めるのが気に入った。

そして、黒く染めるのが日課になり、習慣になり、空気のように当たり前のことになった。理髪店で黒く染めてもらっていたが、散髪なんか10分で終わるのに、染めるともなると30分も40分もかかる。丁寧なところでは1時間もかかる。

最初は苦痛だったが、やがてそれも慣れた。慣れると、もう髪を染めないということが考えられなくなった。それは、もはや当たり前にやるべきことなので、疑問すらも感じなくなっていた。

染めれば自分も好きになれない白髪を見なくても済むし、少しは若返るような感じになるし、何か身だしなみを整えている気分にもなる。

自分が髪を染めるようになると、同じくらいの年代の男たちをよく見るようになったのだが、髪が残っている男たちは半数以上が髪を染めていることに気がついた。「そうか、みんな気にしているんだな」と私はうなずいた。

白髪は高齢者の特徴でもある。よくよく考えたら、高齢者に見られて嬉しい人はどこにもいない。誰でも年相応よりも若く見られる方がいいと思う。

何のためにこんな下らないことに金と時間を使っているのか?

しかし、白髪を染めながらも、ふと思うことがあった。なぜ、年相応に見られるよりも若く見られたいのだろうか……。

若く見られた方が良いというのは当たり前のような気もするが、なぜそれは当たり前なのだろう。誰がそんなことを決めたのだろう。

染めても染めても生え際は白くなる。「ペイント・イット・ブラック」しても、二週間も経てば間違いなく生え際の白髪は目立つ。そのため、追い立てられるかのようにまた白髪を染めなければならない。

それを延々と繰り返しながら、ふと私は「こんな面倒なことを繰り返すのは合理的なことなのだろうか?」と疑問を抱くようになった。2018年に自分の白髪に不快感を感じてから染めるようになったのだが、5年経った今、今度は「染め続ける」という行為に何となく虚しさを感じるようになった。

「どうせ染めても白髪は生える。それを消し続けようとする行為は果たして合理的であると言えるのか」

そういう疑問である。これに対する答えは「白髪という存在に対する不快感」と「染め続けることに対する不快感」のどちらが強いかにかかっている。最近になって、どちらなのかよく分からなくなった。

「染め続ける」ということに我慢ならないほどの不快感があるわけではないのだが、何となく合理的でも効率的でもないという疑問が拭えなくなってきた。それでも白髪を染め続けるのであれば、どのような理由があるのだろうか。

理髪店で髪を黒く染めてもらいながら、髪にカラーが馴染むまで待っている間、私は目を閉じて「何のためにこんな下らないことに金と時間を使っているのか」と考えていたのだが、ふと「若さを求める現代社会の風潮が私にも無意識の圧力をかけているのではないか」と思い至ったのだった。

しばらく染めるのをやめている。そうすると、白髪がかなり目立つようになってきた。まだ頭頂部などは黒く見えるが、それは染めた髪が残っているから。たぶん、1ヶ月後はもっと白髪が目立っているだろう。

今もなお現役のミック・ジャガーは染めているようだが

現代はルッキズム(外見重視主義)の時代である。SNSやYouTubeなどの露出が当たり前になると、ルッキズムはやめようとか言いながら、どんどんルッキズムが強化される時代に私たちは生きている。

そうなると「見た目が9割」みたいなことが言われるようになり、誰もが極度に見た目を気にするようになっていく。今では男性も見た目を気にするあまり、化粧し、整形するような時代になったのだ。

そして、高齢者も若く見られようと努力するようになっている。若く見られることで「健康的である」という印象を与えることができるし、若さはエネルギーと活力の象徴なので、仕事の継続にも役にたつ。また若く見られることで若い世代とのコミュニケーションも円滑になることもあるだろう。

逆に言えば、高齢者であると見られることによって、何らかの年齢差別を受ける可能性もあるのかもしれない。だからこそ「若さを求める現代社会の風潮」ができあがっていき、誰もが必死で若く見られるように努力しているのだ。

メディアや広告などでも、若さがことさら美徳のように強調されている。そうした広告にどっぷりと浸っていたら「若さこそ正義」という考え方になっても当然だ。

そういうわけで、年齢がいって髪が残っている人は誰もが髪を濃く染めるようになっていき、理髪店やら美容院が儲かるということなのだろう。

いろいろ考えていると「白髪も好きではないが黒く染め続けるのもどうなのか」という複雑な心境になっていった。それもあって、最近は意図的に髪を染めるのをやめて、自分の自然な髪色に戻すことを選択している。

そうすると、白髪は5年前よりもはるかに増えており、いまや白髪が占める比率は50%くらいになっていることにも気づいた。1年で10%くらい白髪が増えているような肌感覚がある。かなり年齢を感じて苦笑いする。

これを染めないでいると、おそらく染めている時にくらべて10歳くらいは老けて見られるようになるのだろう。しかし、「だから何なのだ」と白けて自分を見つめている感情がある。

一方で、若く見られた方が得することもあるのだから、もう少し「ペイント・イット・ブラック」を続けた方がいいのではないかという感情もあって、まだ結論が出せていない。

今もなお現役のミック・ジャガーは、染めているようだが……。
さては、どうしたものか。

野良犬の女たち
『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト(鈴木 傾城)』

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