大きなキャリーケースを引いて新宿歌舞伎町を歩く日本人女性がいるとすると、それは旅行者であるとは限らない。もしかしたら、ネットカフェに棲みついている女性である可能性もある。
歌舞伎町にはコロナ禍でいくつものネットカフェが経営的に大ダメージを受けて潰れてしまった。私が書籍『ボトム・オブ・ジャパン』を書く時に取材したネットカフェも潰れて跡形もなく消えてしまった。
しかし、まだ歌舞伎町の奥、ラブホテル地区の中にもネットカフェが残っているし、新大久保側のネットカフェも生き残った。そういうところに若い女性が泊まっているのだが、彼女たちは一日部屋を確保しているわけではなくて、夜になって寝る時間が必要になった時だけ泊まるようにしている。
少しでも金を浮かすためである。
こういう女性はキャリーケースを引いて街を歩いていても行く当てもない。そのため、コンビニの脇にある段差のところにキャリーケースを置いて座っていたり、シネシティ広場にたまに置かれるベンチに座ってぼーっとしていたり、雑居ビルの階段のところに座り込んでいたりする。
私は歌舞伎町にひとりで来ると、雑居ビル2階にある十数年以上も馴染みのうらぶれた喫茶店で時間を潰すことも多いのだが、この日はその喫茶店に向かう道の途中でそのような女性がぼんやりと座っているのが目に入った。
実はこのあたりはトー横キッズたちがたむろしている場所であったのだが、警戒が厳しくなって排除された後はあまり姿を見なくなった。代わりに、YouTuberみたいな若者が自撮り棒をつけたスマートフォンを自分に向けて話していたり、ホストのような格好の男が行ったり来たりしている姿が多くなった。
しかし、この日はキャリーケースを目の前に置いて、まるで感情の一切を失ったかのようにまばたきもしないで虚空を見つめているマスクの女性が座っていたのだった。私は通り過ぎようと思ったのだが、何となく彼女を見て観察してるうちに……