◆チャイナタウンの楊(ヤン)。観光客を装いながら夜の街に

◆チャイナタウンの楊(ヤン)。観光客を装いながら夜の街に

タイ編
2009年5月。夕方になるとバンコクは激しいにわか雨に見舞われたが、夜にはすっかり上がっていた。

ここのところずっとタイ料理ばかり食べ続けていたので、久しぶりにヤワラー地区の中華料理を食べたくなった。

やはり、チャイナタウンで食べる中華料理は競争が激しいせいか
どこで食べても絶品なのは誰でも知っている。だから、近くの中華料理屋ではなく、ヤワラーに行きたかった。

南星大浴室の周辺

もっとも、食べたい中華料理と言っても排骨麺やいくつかの点心くらいだ。フカヒレやツバメの巣のような、物珍しく凝ったものは欲しくない。

タクシーでチャイナタウンまで向かったが、夕方のチャイナタウンは車と人で大混雑していた。

街の一角でタクシーを降りると、すぐにこの街独特の食材で彩られた匂いがして楽しかった。

北京ダック、ブタの顔、サメのヒレ、エビ、カニ、魚、牡蠣、様々な野菜に果物、そして焼き栗に、とうがらしやニンニクの匂いを発散させた屋台や店頭を練り歩く。

フカヒレは珍重な食材だとは聞くが、ここでは小300バーツ、中500バーツ、大600バーツと普通に売っている。こんなものを持ち帰って家でフカヒレスープを作る家庭があるのだろうか。

狭い路地のマーケットに入った。

どう食べるのか想像もつかないような食材を見たりしていると、あっという間に時間が経ってしまう。

この日もそうやって街を巡っている間に時間をつぶしてしまった。そのあとゆっくり食事を取って、懐かしい味のする羅漢果のジュースを飲む。

そして戻ろうと思ったとき、ふとヤワラー・ソイ2の狭い路地にあるMP(マッサージ・パーラー)、南星大浴室の周辺のことが頭によぎった。

MPには用がない。その周辺に立つ女たちに興味があった。

実は1980年代後半、このあたりは猛烈に怪しげな売春地帯だった。冷気茶室もあれば散髪屋に偽造した売春宿もあって、多くの女たちがあからさまに立つ不浄の場所だったのである。

もちろん散髪屋もMPも今も細々と残っているが、もう売春地帯とは言えないほどの場末になっていて、女たちもそれほど立っていない。


<<<高級食材と言われるフカヒレだが、ヤワラーではどこでも売っている。>>>


<<<ヤワラーでしか買えない奇妙な飲み物の数々。薬膳・漢方的な考え方で作られたもので、身体に良いと言われている。>>>

フカヒレの値段と売春の値段

女たちは今もまだいるのだろうか……。

好奇心に誘われるがまま、この南星大浴室の周辺に向かって細い路地に入っていく。ここは路地に少し入ると、大通りの喧騒がすっと消えて行くような不思議な空間である。

表の賑わいと裏の寂れたコントラストが極端で、陰影の強さが異次元のような感覚さえ感じさせる。急に過去に戻されたような感覚だった。

南星大浴室の入り口あたりに数人の女たちが無言で立っていた。ひとりはちらりとこちらを見たが、すぐに興味なさそうに手にしていた携帯電話に目を落とした。

女たちはみんなタイ人で、そのうちの若いと思われる20代前半の女がにっこりと笑って手を差し出してきた。

“Hallo. Do you like me?”(ねえ、わたしのこと、好き?)

彼女は若かったが、馴れ馴れしく、場馴れしているようだった。特にとりたてて売春女性を思わせる雰囲気もないのに、そんな馴れ馴れしさに苦笑した。

なるほど、数人とは言えども女たちは残っているのかと感慨深く思う。

“500Baht. It’s O.K.”(500バーツ。それでOKよ)

にっこりと笑う彼女の唇の端が少し腫れているようにも見えたので、よくよく見ると口唇ヘルペスを発症しているのが分かった。

口唇ヘルペスも性器ヘルペスも、売春地帯ではごく当たり前のように存在していて、男も女も互いに相手に移し合っている。彼女もまた、多くの男たちに感染させて来ているのだろう。

彼女の手を振りほどいてさらに奥に歩いて行くと、後ろから”400Baht”(400バーツ)と声がかかった。

ヤワラー近辺のストリート売春は、現在では、だいたい400バーツくらいが相場になっている。それは変わっていないようだった。

表通りで売っているフカヒレの値段と彼女の肉体の値段はほぼ同じなのが皮肉な感じがした。

冷気茶室の隆盛と崩壊

もはや営業しているのかしていないのかも分からないような美人理髪店(散髪屋を偽造した売春宿)も数軒残っているようだった。

店は開いているのだが、ガラスから見える奥には女性たちの姿はおろか店番の人間すらもいない。

店の外に置いてある安物のプラスチックのイスに老人が座ってタバコをくゆらせていたが、通りかかる人間にはまったく関心も寄せず、路地と一緒に朽ちていくような雰囲気だった。

かつては毒々しいピンクのネオンと、嬌声と怒声にまみれていたこの場所の隆盛は、もはや見る影もない。街が落ちぶれるとは、こういうことを言う。

ヤワラー(中華街)の売春地帯が軒並み崩壊していったのは、1990年代だ。

当時、ヤワラー最大の風俗は、MPでもストリート売春でもなく、冷気茶室だった。冷気茶室とは、冷気とはクーラーのことで、茶室はティーハウスだから、早い話が「クーラー付き喫茶店」である。

とは言っても、普通の喫茶店であるはずがなく、喫茶店を模した売春宿だった。この冷気茶室が実のところ児童売春の温床で、1980年代からずっと人権団体の批判の的になっていたのである。

未成年を無理やり地方(イサーン地区)から連れて来て、冷気茶室に監禁同様に住み込ませ、次々と客に抱かせていた。

華僑はまるで野菜でも売るように女たちを叩き売りしていたのだが、売春の薄利多売というのは、女たちにとっては一日に何回転も見知らぬ男にセックスを強要されるということである。

10代の中頃の女の子が、まるでダッチワイフのように1日何十人もの男たちに弄ばれる。

女たちが逃げ出さないように夜は女たちの足に鎖をつけているという噂もあった。嘘か本当か分からないけれども冷気茶室ならあり得ると思うほどの劣悪さだったのだ。

1990年にもなるとその悪評が海外にまで届くようになり、さらに悪いことに別の問題も深刻になりつつあった。エイズである。

一日に10人以上の男に抱かれ続ける少女たちが次々とエイズに罹っていた。

使い物にならなくなった少女はさっさと売春宿から放り出されるのだが、田舎に帰った彼女たちはそこでさらにエイズを拡散していった。

未成年の性奴隷(セックス・スレイブ)、数々の監禁事件、エイズ問題、人権団体の糾弾や圧力。

こういった諸々の社会問題が高まると、タイ当局は今までにない壊滅作戦を行なって、冷気茶室を閉鎖に追い込んで行った。

そして、あれほどチャイナタウンを席巻していた冷気茶室はほとんどが壊滅し、2000年に入る頃までに絶滅した。


<<<かろうじて生き残った小さな冷気茶室。まだやってるのかどうかは知らない。>>>

奇妙な女たちの集団

当局の締め付けは非常に厳しく、しかもヤワラーは目の敵にされていたので、もはや売春地帯としてのヤワラーは壊滅したも同然で、今残っているのはその頃の残滓である。

2000年以降、かろうじて残った数軒の冷気茶室は、未成年を一切排して逆に中年女性を増やして生き残ろうとした。

しかし、それでは客を呼べず、その次はラオスやミャンマーの女たちを連れてきて非合法に働かせて乗り切ろうとしたが、それも成功していない。もう冷気茶室というスタイルそのものが維持できないようだ。

華僑は伝統的に「薄利多売」をするので、薄利多売に耐えうる「食い詰めた女」が大量に必要だ。

東南アジアが豊かになりつつあると、一日何十人もの男に使い回ししても故郷の両親を思って耐える女性がいなくなって、ビジネスが成り立たなくなる。

南星大浴室のある狭い路地から「369古式按摩」のある茶色いレンガを敷き詰めた通りに出ると、車と人がごっちゃになって溢れており、寂しい路地の打ち捨てられた雰囲気は姿を消した。

スクンビット通りに戻ろうとして大通りに出ようとすると、ふと奇妙な女たちの集団が往来の男たちを凝視しながらじっと立っていることに気がついた。

タイ女性ではない。どこか「よそ行き」の格好をした観光客のような服装をしており、その肌の白さや顔つきや服装のセンスから見ると中国女性のように見えた。

「369古式按摩」のあたりで、その中のひとりが振り返り、そしてまるですがるようにこちらを凝視してきた。長身・長髪の美しい女性だった。

黒いワンピースに白い模様の入ったシックな服装をしていた。黒いショルダーバッグを大切そうに左脇に抱え、黒いハイヒールの靴を履いており、仲間と一緒に不安そうな顔つきをしていた。


<<<観光客を装った中国女性が立っているソイ。>>>

外国人の売春女性は観光客を装う

彼女たちが売春ビジネスをしているという雰囲気はまったくない。観光客を装っているからだ。

タイでは売春禁止法があるが、事実上売春は野放しにされている。しかし、唯一取り締まられるのは「外国人の売春女性」である。だから、外国人の売春女性はほとんどが観光客を装う。

これはスクンビット通りで売春をしている白人女性や黒人女性も同様だ。

だから、不安そうにじっとこちらを見る中国人女性が何者なのかは一見して分からない。もしかしたら、迷子になった観光客のようにも見えなくもない。

しかし、タイでは夜の街で目が合っても目をそらない女性は、もうそれだけでその正体が分かる。

ゆっくり彼女のところに近づいて行くと、彼女もまた磁石のN極とS極が引き合うかのようにこちらに近づいてきた。

“300Baht”(300バーツ)

彼女はまったく何の挨拶も、前置きも、雑談もなく、いきなり英語で値段を提示してきた。

彼女を見ながらどうしたものかと考えたが、すがるように、そして食い入るように真剣に見つめるその視線に押された。黙ってうなずくと、彼女はひとりで大通りのほうに歩いて行く。

後をついていくと、まわりにいた屋台の男たちや料理人たちが、じっとこちらを見つめていることに気がついた。彼らは彼女が売春女性であることを知っている。

だから、彼女たちを気にしていたのだろう。そして、彼女たちがどんな男を釣ったのか気になってしかたがなかったに違いない。

大通りの角によく流行っている中華料理屋が路上にもテーブルを出してたくさんの人たちが料理を食べていたが、彼女はその脇を通り抜けて角の建物の二階に登っていった。

1階は中華料理屋。2階は看板は出ていないが旅社(格安ホテル)になっていた。ホテルとは言うものの、古ぼけたアパートのような雰囲気だった。

3階まで上がり、ドアのところで彼女は立ち止まった。そのまま鍵を開けて中に入るのかと思ったら、ドアをノックしたので驚いた。

中から女の声がして、彼女たちが中国語で何か大声で言い合っていたが、やがて振り返って階段のところにあるベンチに腰掛けた。

誰がいるのかと英語で尋ねたら、彼女は英語が分からないと首を振った。タイ語で尋ねると、それも分からないと首を振った。

恐らく彼女と一緒に売春ビジネスをしている女が部屋を使っているのだろうと想像して彼女と一緒にベンチに座って待つ。


<<<300バーツ、という単語だけを覚えてビジネスする中国人女性。異国の地で、物悲しく、切ない表情で立つ。>>>

控えめで、可憐で、柔和

英語もタイ語も分からない女性が、タイで相場よりも100バーツほど安い値段で売春ビジネスをしている。

なるほど、タイの華僑たちは大陸の中国女性に目を付けたのかと納得した。一日に数十人の客を取る売春の「回転ビジネス」に耐えうる女性は極貧の女性だけだ。

華僑は中国本土の女たちに機会(チャンス)を見出したのだ。

いろいろ事情を知りたかったので、彼女と意思疎通したかったが、彼女は簡単な英語すらも解せなかったので、どうにもならなかった。彼女が知っていたのはただ「300バーツ」という英語だけだった。それだけ教えられたのだろう。

彼女はバッグの中からペンを取り出して、書く紙がなかったので、パスポートにはさんであった入国スタンプの押してある紙を取り出した。

それに何が言いたいのか書けと突き出すので、スタンプの裏に、「名前?」と日本語の漢字で書くと、彼女はそれを理解したらしく、「楊」と書いた。ヤンというのが彼女の名前らしかった。

他にも日本語の漢字でいろいろ書いたが、やはり意味が通るわけでもないようだった。彼女が書いた中国語も中国の簡体字で読めなかった。

互いに相手の言っていることも、書いている漢字も分からない。最後にはふたりで笑ってしまった。彼女は柔和で、この短い間で心が通った。

中国の女は過去にも何人も知り合ってきたが、その誰よりも彼女は控えめで、可憐で、柔和だったように思う。

一概に中国女性と言っても誰もが拝金主義でもないし、押しが強いわけでもない。人それぞれ個性があるということだろう。

やがて部屋が開いたが、出てきたのは彼女の友人の女性と、ビジネスマン風の身なりをした中年のタイ人男性だった。


乱雑な部屋で女性たちは寝泊まりし、仕事をする。

「さよなら」とも言わなかった

彼らが出て行ったあとにすぐに部屋に入ると、その部屋の有様を見て彼女たちの売春スタイルのすべてを理解した。

スーツケースが3つあり、女性の私物やバスタオルや洗濯物やビニール袋やゴミが散乱していていた。

彼女たちは複数(おそらく3名の女性)で共同で寝泊まりして暮らし、売春ビジネスをしていたのである。この部屋は、彼女たちが寝泊まりする部屋であり、仕事をする部屋でもあった。

ベッドはふたつあった。どちらのベッドもシーツも乱れてしわくちゃになっている上に、バスタオルや衣類がそのまま放り出されていた。

奥のベッドには体温が残っていたので、先ほどのカップルがそちらを使ったことが分かった。クーラーはなかったので、扇風機が動いていた。

楊(ヤン)のワンピースは背中のジッパーを降ろさないと脱げないものだった。彼女の服を脱がすと、驚くほどの白い肌がそこに隠されていた。

彼女は脱いだ服も下着もきちんと折りたたんで使わないほうのベッドに置いたが、彼女だけが几帳面にしても、他が乱暴であれば無駄なのはこの乱雑な部屋を見れば分かる。

しかし、彼女自身は部屋の乱雑さは気にもしていないようだった。

彼女を抱くと彼女は両脚をぐっと折り曲げて胸の方に折りたたんだ。思い切り足を折りたたんで胸に引き寄せるこの体位は、中国女性独特のセックス・スタイルだ。

他の民族の女性はめったにしないが、中国女性だけは頻繁にこの体位を取る。

なぜそのような体位を取るのか分からないが、不思議とこの「両脚折りたたみスタイル」が中国女性の伝統であり、しかも継承されている。楊(ヤン)もごく自然に、そして何気なくそのスタイルを取った。

すべて終わったあと、一緒にシャワーを浴びて部屋を出た。

部屋を出ると、階段のところに置かれたベンチには別の女性が隣に男を連れて待っていた。彼女たちの売春ビジネスが非常に繁盛しているのが見て取れた。

階段を降りるとき、彼女はそっと手をつないで来た。階下まで降りると彼女はそっと手を離した。振り返ると彼女はじっとこちらを見ていた。

互いに言いたいことはあったが、言葉が通じないのはすでに分かっていた。だから、「さよなら」とも互いに言わなかった。

彼女は目をそらすと、そっと静かにチャイナタウンの喧騒の中に消えていった。

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