化粧のやり方にも流行りや廃《すた》りはある。そして、国によって流行はまったく違っている。尖ったファッションは時代の流行だが、その流行は「それが流行っていない国」から見ると違和感があったりする。
今のインドネシア美人はちょっと違うのだが、あとで何が「尖っている」のか少し写真を見てもらおう。
彼女たちが美しいかと問われれば、たぶん大多数の人が「まぁ美しいと思う」と答えるだろう。しかし、彼女たちの流行に「おや」と思うところがあるはずだ。
それはそうとして、美しい女性は世界の誰が見ても美しいと感じる。しかし、面白いことに美しさというのは「同じ」ではないので、「確かに美しいけれども、自分の好みとは少し違う」と感じることは往々にしてある。
たとえば、日本人には日本人の美的感覚があって、アメリカ人にはアメリカ人の美的感覚がある。日本人が「彼女は美しい」と思うのと、アメリカ人が「彼女は美しい」と思うのとはまるっきり美しさが違う。
同じアジア人でも、日本人と中国人でも美的感覚は微妙にズレるだろう。互いに、相手の美しさは分かるのだが、「自分の感覚とはちょっと違う」と思って一歩引いてしまうのである。
たとえば、欧米発のミス・ユニバースを見て、日本人も彼女たちの美しさは認めるだろうが、「ちょっと自分の美的感覚とは違う」と引く人が多い。
この「ちょっと自分の美的感覚と違う」というのは、生まれ育った環境や、自分の人生の中で培った好みが反映するのだが、ほんのわずかな差ですらも「違う」と感じるのが面白い。