◆理不尽に金を失う夜の街で、スリや強盗よりも危険なのは?

◆理不尽に金を失う夜の街で、スリや強盗よりも危険なのは?

タイ編
バンコクのソイ・カウボーイに、バカラ( Baccara )という店がある。あまり好きではないが、たまに趣向を変えようと数年ぶりに行ってみた。

昔と変わらず、見上げると天井がガラス張りになっており、そこにスカートをはいたダンサーが踊っている。相変わらず日本人の姿も多く、この店は何も変わっていないことを知る。

男たちはビールを飲みながら時おり天井を見上げ、女性たちのスカートの奥をのぞいてニヤリとするという仕掛けになっている。男の欲情をくすぐる店内の造りにファンも多いようだ。

ひとりのウエイトレス

店内に入ったときは、商用でバンコクに来たというようなきちんとした身なりのインド人がひとりいて、彼は無言で長時間、じっとガラス張りの天井を凝視して身動きしなかった。

二階のガラス張りのダンスホールで踊っている女性のうちの何人かは下着をつけていないように見えた。

スカートの奥に見える太腿の奥はエロチックだが、さすがにそれをひたすら凝視しているのは、そのインド人だけだった。

「彼はとってもとってもプッシーが好きみたいね」

ひとりのウエイトレスがそんな皮肉を言いながらインド人の男を盗み見ている。苦笑してうなずくしかなかった。

「君は上で踊らないのかい?」
「ノー。わたしはダメ。シャイだから!」

そのような他愛のない話をずっとしていると、次第に彼女はすり寄ってきて、熱い視線を送ってくるようになった。

彼女の長いストレートの髪はまるでシャンプーのコマーシャルにでも出てきそうな美しさで、清潔な印象がした。

シンプルな白いブラウスに黒のタイト・スカートも、そんな清潔な印象を形作っているひとつのアイテムだったのかもしれない。

このバーが、女学生の制服をそのまま店の制服にしてしまったのは、それだけ女学生の飾り気のない美しさを評価する男たちが多いからなのだろう。

やがて彼女は背中から抱きついてきたりしてくる。カウンターのイスに座ったまま彼女を引き寄せると、彼女は嬌声を上げながら固く抱きついてきた。

まわりにいた何人かのウエイトレスが「あらまあ」と、あきれたように声を上げる。しばらく抱擁していると、別の女ももたれかけてきた。振り返ると、ビキニを着たダンサーだった。

「ねえ、コーラおごってよ」

彼女はしきりにそう言ったが断った。

はっとして、棒立ちになった

正面を向くと、今度は抱擁したままの彼女が上目づかいになって、「ねえ、ペイバーして」とつぶやいた。そして、彼女は手短にこの店のペイバーする値段や仕組みを伝えてきた。

「考えておく」と言うと、彼女には予期せぬ返事だったようで驚いたような顔をした。てっきりペイバーは百パーセント間違いないと思っていたのだろう。

彼女はべそをかくように「ねえ、いいじゃない。ペイバーして!」と、さらに甘えてくる。

特に予定があるわけでもなかったが、しばらく夜の街をもっと歩いてから相手を決めようという気持ちもあったので、彼女に「あとでまた来るよ」と言った。

本当かと、疑うような目つきで彼女は絡んだ。

もちろん、本当に戻るかどうかは自分でも分からなかった。彼女もそれを婉曲的な拒否だと分かったらしく、しぶしぶ背中に回していた手をほどいて離れた。

立ち上がり、尻ポケットに突っ込んでいた財布から金を取り出して精算した。

「本当に来てね。待ってるから」

彼女がそう言うので、笑いながら再度抱擁した。彼女はしっかりと背中に両手を回して抱きついてくる。すると、再び背後に別の女がかぶさって来たので振り向いた。

コーラをおごってくれと言っていた、さっきのダンサーだった。「帰るの?」と言うので、そっけなく「帰るよ」と答えた。彼女は何も言わず、くるりと背を向けて行ってしまった。

店内が冷えていたので、外の熱気と湿気があまり気持ちのいいものではなかった。

少し歩くと、あちこちのバーに所属する女たちが、抱きついてきたり、手を引っぱったりする。

ひとり、少し太めのレディーボーイが、しきりに目の前に立ちふさがり、妖艶な笑みを浮かべて腕をつかんできた。胸の谷間を見せつけ、「一緒にバーに行きましょ」としなだれる。

アメーバのように絡みついてくるレディーボーイを何とかほどいて、やっとのことでソイ・カウボーイを出た。ナナに向かうのもよかったが、久しぶりにパッポンに行く気になった。

タクシーを捕まえようと道に立ち、それから無意識に尻ポケットの財布を確認した。

はっとして、棒立ちになった。財布がなかった。すべてのポケットを確認したが、結果は変わらなかった。財布はなくなっていたのだった……。

犯人は誰だったのだろうか

いつものことだが、金は財布だけではなく、あちこちのポケットに分散しておいている。だから、財布を失くしたくらいで大騒ぎするほどでもない。

財布自体もここバンコクで現地調達した安物で、しかも小銭は小銭でまた別のポケットに入れている。カードも入れていない。身分を示すものも何も入っていない。

長く夜の街をさまよい歩くようになっていたので、「盗まれる前提」で最初から準備している。それで、助かった。財布の中は500バーツも入っていなかったはずだ。

どうでもいい金額であり、盗まれた不快感はあるが、そんな大したことではなかった。

ただ、犯人は誰だったのだろうか、とは考える。

執拗に絡みついてきたレディーボーイだろうか。それとも、他の女だろうか。あるいはバカラのダンサーなのか。いや、ペイバーをしないと決断したあとに抱擁したウエイトレスか。

バカラで精算をすませてから盗まれたことに気がつくまでの間に、接触してきた人間はすべて盗むことが可能だった。

一番怪しいのは、レディーボーイのような気がする。それは分からないし、確かめるつもりもなかった。

誰だったとしても大したことはない。

もし盗んだ人間が分かったところで警察に突き出すつもりもないし、怒りをぶつけるつもりもない。

そもそも怒りを感じていなかった。恐らく盗んだ相手をペイバーすることすら抵抗がない。被害に慣れるというのは、こういうことである。

夜の街は金を捨てる場所

歓楽街をうろうろしていれば、こういうことはたまに起きる。不快ではあるが、起きれば忘れるしかない。夜の街は金を捨てる場所なのである。

「コーラをちょうだい」「お酒をおごって」「チップを下さい」「喜捨(ボクシーシ)して」「寄進(タンブン)して」と、小金を次から次へと毟られていく。

気に入った女性がいると、ペイバー代が飛び、女性にも金を払う。そして、あれこれ何かと金が飛んでいく。

女たちといるというのはそういうことだ。持っている金をどんどん持って行かれる。

その上に、スリに遭ったり、強盗に遭ったりする確率が高くなる。自分が想定する範囲以上に、金はどんどん逃げていってしまう。

スリや強盗は財布を盗んでしまえば満足する。だとすれば、さっさと盗んでもらえばお互いに有意義な時間が過ごせるということだ。

そう言った意味で、自分の財布の中には現金しか入れないようにしている。また、肝心な現金も少額だ。

ポケットにはあっちこっちに現金が分散されて入っており、たとえ財布が盗まれたとしても、現金はどこかのポケットに入っているので困らない。

裸にされて放り出されるのはさすがに困る。それでもホテルに戻れば現金をあちこちに分散して残している。最悪の事態を想定しても、何もかもなくなることはない。

つまり、盗まれないことに心を砕いているのではなく、盗まれることを前提に対処をしている。

だから、財布を盗まれてもまったく問題はない。また警察に被害届を出すこともなければ、犯人を捜すこともない。


<<<無防備に歓楽街を歩く男たちの中にスリや詐欺師もまぎれこむ。>>>

スリよりも危険な存在

金を失うことに恐怖を覚えたり、細かい金にこだわってしまう男はこの世界には向いていない。

遅かれ早かれ、理不尽に金を失うのは間違いないのだから、そういうものだと割り切るしかない。

スリだけではなく、強盗の被害にも遭っている。カマティプラではピンプ(ポン引き)に強盗され、ムンシガンジでは1度ならず2度もギャングに囲まれて金を奪い取られた。インドはそのような場所である。

ボンベイ(ムンバイ)のカマティプラを歩いたことがある男なら分かると思うが、あの地域は夕方になると警察すら踏み込んで来ない正真正銘の無法地帯となっている。

あまりに危険な場所であり、無防備にあそこに立つというのは、すなわちトラブルに巻き込まれるということと同じ意味合いがある。

ヒジュラ(女装者・性転換者)が巣くう場所もあって、そこはよく暴力の現場になっていると女たちは言った。

暗がりを歩いていると、うしろから羽交い締めにされて正面からやってきた別のヒジュラに殴られて持っているものを奪われる。

殴られて奪われるのに較べると、本人にも気がつかないうちに黙って財布をすられるほうがまだいい。そう言った意味で、強盗に遭うよりも、スリに遭う方が気が楽だ。

まさか、慣れたバンコクの慣れた場所でスリに遭うとは思わなかったが、こういうこともあるのだろう。起きたことは自虐的に笑い飛ばすしかなかった。

この日、結局バカラには戻らなかったが、別の女性を別の場所でペイバーしていた。「さっき、財布を盗まれたんだよ」と言ったとき、彼女は驚いて「大丈夫なの?」と訊いてきた。

「それが大丈夫なんだ。財布には現金が少ししか入っていないけれども、別のポケットには2,000バーツが入っていた」

盗まれた金は戻ってこないが、どのみちその金は見知らぬ女たちがむしり取っていく金なのだから、それほど悔やむこともない。

さしずめ危険なのはスリよりも女たちだ。特に美しくて優しい女が一番恐ろしい。彼女たちは心を盗んでいくので、男は誰でも催眠術にかかったかのように金を差し出す。

美しい女が、危険なのである。金よりも、心を盗まれないように、気を付けたほうがいい。身に覚えがある男も多いに違いない。

危険なのは、心を盗んでいく女たちのほうだ。心を盗まれると、全財産を持って行かれる。男はそれをよく知っている。

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