◆コ・サムイ。かつてドラッグとセックスの無法地帯だった島

◆コ・サムイ。かつてドラッグとセックスの無法地帯だった島

タイ編
タイは世界に名だたる観光立国であり、訪れる観光客は増え続ける一方だ。

パタヤやプーケット島、サムイ島、ピピ島、パンガン島などはリゾート地としての設備を整えて、毎年押しかけてくる観光客の受け入れに余念がない。

多くの観光客が訪れてリゾートとしての設備が整うにしたがって、かつては不良外国人の溜まり場でもあったサムイ島などは急速に浄化されて、邪悪な雰囲気はひとつひとつ消されていったようだ。

船に乗って2時間、邪悪な島へ

邪悪な雰囲気。それはセックスとドラッグが産み出した無法の匂いだ。サムイ島には一度しか訪れていない。

この頃、この島は不良外国人が集う第一級の無法地帯であり、ドラッグ汚染地帯であり、売春地帯であった。

この島がいまだに忘れられない理由は、この島の開放的で自由で強烈な体験はもう二度とできないに違いないと確信しているからだ。

コ・サムイ。「コ」はタイ語で島という意味であり、コ・サムイというとサムイ島という意味になる。

この頃のコ・サムイはまだ飛行場がなかったので、本土スラータニから船に乗らないと島には行けないようになっていた。

欧米の若者ばかりの船に乗って2時間、ずっと船のデッキで他の若者たちと一緒に波しぶきを浴びながら裸の上半身を熱帯の太陽で焼いていた。

隣にいたのはイギリスから来た若者で、左上腕には刺青を消した痕が生々しかった。

刺青には昔の女の名前が彫ってあったと彼は言った。しかし、彼女と別れたので消すことにしたらしい。ひどい別れ方をしたようだ。

他の客が旅の昂揚感で浮かれた笑顔が絶えないのに、彼は暗い顔をしてほとんど何も話さなかった。

甲板にはタイの男が白人の娘と抱擁したまま動かないでいた。このカップルを目の保養にしてコ・サムイに着くのをじっと待った。

タイの男と白人の女性とは珍しい組み合わせで、こんなカップルを見たことがなかった。

K氏より。コ・サムイのビーチ。白浜と浅海と椰子の木。南国の雰囲気がすべてここにある。

カフェテリアが生活の中心

コ・サムイに着いて船を降りると、蟻のように寄ってたかってくるバンガロー専属の運転手に囲まれた。

適当に好感の持てるドライバーを選んで、港から車で15分ほどのバンガローに連れて行ってもらい、そこにチェックインする。

高床式のバンガローは4畳半ほどの広さで、ベッドがポツンと置いてあるだけだった。

入口から見て左側にはしきりがあって、シャワーとトイレが一緒にくっついている。狭く、暗く、粗末だった。しかし一泊わずか40バーツだった。文句などあろうはずがなかった。

まず水しか出ないシャワーを浴びて、上半身ハダカのままバンガローの外に出してあるイスに座った。

身体を拭かなくても、勝手に乾いてくれる。熱帯の太陽はそれほど強烈だ。目の前は椰子の木が風にそよいでおり、さらに向こうには白砂の海岸と紺碧の海があった。

右隣のバンガローを見ると、頭をきれいに剃って完全なスキンヘッドになった白人の若い女性が座禅を組んでいた。

彼女は彫刻のように身じろぎもしないで完全に無我の境地に入っている。白人女性の中にはスキンヘッドの女性もたまにいる。何か精神宗教的なものに心を奪われた娘がそうなるようだ。

バンガローにはどこもカフェテリアがある。

食事を提供してくれるだけではなく、バイクを貸してくれたり、ドラッグを売ってくれたり、観光案内をしてくれたり、夜にはビデオを上映したりする。バンガローに長くいると、カフェテリアが生活の中心となる。

フランス女性オジーと知り合ったのはこのバンガローだ。声をかけてきたのは彼女の方からで、薄いTシャツからは乳首の突起が見えた。

マジック・マッシュルーム

オジーは金髪で笑顔のかわいい娘だった。しかし不健康で、目の下には病的な隈が浮いていた。

あとで分かったが、彼女はヘロインを常習しており、それが彼女の身体にダメージを与えていた。煙草を吸うしぐさはせわしなく、落ち着きがなかった。

夜になると、彼女はバンガローまでやって来て、麻薬を売りに来たり売春を持ちかけたりした。

彼女を拒むはずがなかった。それからずっと彼女と一緒にセックスとドラッグに没頭した。彼女は注射器でヘロインを静脈注射していたが、それは誘われてもやらなかった。

ケミカル・ドラッグは一切やらず、ただ、マリファナやマジック・マッシュルームで押し通した。

彼女とはたまに一緒にディスコへ行った。

ディスコは浜辺を15分ほど歩いたところにある。ここでの楽しみはディスコではなく、ディスコのまわりの雑多な店や人たちであった。

ここでは屋台やらバーやらがひしめき合って、猛烈な爆音と喧噪と人間に満ち溢れた無法地帯と化していたのだ。

屋台でクレープを作っているのは滑稽なほどの厚化粧をほどこしたカトゥーイ(性転換者)たちだった。

クレープ屋の横には必ず干したマッシュルームが置いてあって、白人たちはクレープよりもそちらの黒い物体ばかり買っていた。

これこそ精神を酩酊させる魔法のきのこ、すなわちマジック・マッシュルームだった。これを買ってカフェテリアの料理人に意味深な笑みと共に渡すと、料理人はマッシュルームの入った特製のオムレツを作ってくれる。

酩酊状態の中で抱擁し合って幸せだった

ぶらぶら歩いていると、そばに寄ってくるのは “Lady! Lady!”(オンナ、オンナ)とわめくポン引きたちだ。

相手にしないで目を他に泳がすと、即席のオープン・バーの奥からは、入念に化粧をほどこした若いタイの娘達が「おいでおいで」と手を振っていた。

道ばたで酔っぱらった白人の男が素っ裸で飛び跳ね、一方では大道芸人が芸をしている。レンタル・バイクを酔っ払ったまま運転して蛇行しつつ奇声を上げる危険な男もそこら中にいた。

そういう世紀末的な狂乱のひとつひとつが神経を陶酔させた。ディスコではヒッピー世代の曲が好んでかけられていた。

CCR(クリーデンス・クリアウォーター・リバイバル)、ジェファーソン・エアプレイン、ジミ・ヘンドリックス、ドアーズは定番であり、なくてはならないものだった。

この世代のミュージシャンが音楽に盛り込んだサイケデリックなドラッグ文化とメッセージは、このとき、まさに目の前に繰り広げられていたのだ。

ここで、ヒッピー世代はタイの辺境の島で自分の「同世代の音楽」となってしまった。

ディスコに入るとあちこちでマリファナの匂いが充満していた。誰もがマリファナを大量に消費していた。両手でつかみきれないほどのマリファナが100バーツやら200バーツで手に入ったのだ。

あまりにもあり過ぎて、吸い惜しみしようなどと思う人間は誰もいない。

景気よく分厚く巻いたジョイントに火をつけて、見知らぬ人であってもテーブルを共有する人にはマリファナを回し合っていた。

質はそれなりに良かったように思う。ハイクラスではないが、二本も吸うと目の前が回って多幸感に酔いしれることができた。

オジーとふたりで酩酊状態の中で抱擁し合って幸せだった。オジーはヘロインがメインのハード・ドラッカーであったが、マリファナも酒も切らしたことがなかった。たぶん、彼女は麻薬で死んでもいいと思っていたはずだ。

堕ちるところまで堕ちていた女

酒、マッシュルーム、ヘロイン、マリファナ、LSD……。

誰もが何かしらのドラッグを体内に入れていたので、音楽に合わせて踊っている連中は誰もが足元をふらふらさせている。まったく壮観な眺めであった。

実を言うと、かつてこの島は無軌道にバカンスを過ごす金持ち欧米人目当てに、タイのあちこちから夜の女性が集結する退廃の島でもあった。

女性たちは夜になると、どこからともなくディスコやオープン・バーの周辺に集結してきて猛烈なアタックをかけてきた。

バンコクからやってきた女も少なくない。売春目的であるが同時に旅行目的でもあって、彼女たちも開放的な雰囲気を存分に楽しんでいるようであった。

客と一緒にやってきて、まるで夫婦のように寄り添っているカップルの姿も珍しくなかった。男がタイにいる間、彼女たちは現地妻として男に尽くす。

このような女性たちに手を出さなかったのは、オジーに対する「連帯感」があったからだ。決して貞操を守ったわけではない。

オジーを愛しているわけではなかったし、オジーもまた誰も愛していないのは分かっていた。

だから、誰が何をしたところでオジーは何とも思わなかったはずだ。しかし、それでもオジーと一緒にいる間は他の女を抱かなかった。それは連帯感としか言いようがない。

オジーはもはや肉体的にも精神的にもボロボロだった。

梳かしもしないブロンドの髪は伸び放題でくしゃくしゃになったまま、唇は血色がなく、目の隈は明らかに内臓のダメージが現れていた。

肌は熱帯の日光にやられてシミとソバカスに覆われており、わきも脛もむだ毛でぼうぼうだった。精神的にも一定せず、死んだように動かないときがあれば、猿のように落ち着きがないときもあった。

そんな彼女を相手にする欧米人はほとんどおらず、たまにカフェテリアで見かける日本人なども彼女を見るとぎょっとした顔で知らぬ振りを決め込もうとした。

彼女はほとんど金を持っておらず、バンガローに住むあちこちの人にマリファナを転売したり、その気のある男に身体を売ったりしているのは誰もが知っていた。彼女は堕ちるところまで堕ちていたのだ。

オジーがテーブルの上に置いたもの

そんな女とセックスに耽ったり麻薬を一緒にやったりしようと思うような物好きは誰もいなかった。

だからオジーにとって一緒にいてくれる日本人は「貴重な客」であったに違いない。

自分がとくに変人だとは思わないが、まわりの人々からはオジーといるという理由だけで変人奇人扱いされた。それほどオジーは疎外されていたのだった。

だからかもしれない。彼女とはお互いに連帯感を持った。

彼女はセックスとドラッグしか興味を示さず、こちらもまた似たようなものであった。

お互いに細かい意志の疎通はほとんどなかった。必要がなかった。ドラッグによって心は直結していたし、セックスによって肉体が直結していたからだ。

ある日、オジーが生理になった。昼過ぎにカフェテリアでひとりで昼食を食べていると、ふたり組の日本人がやってきて声をかけてきた。

「日本人ですか? 今日僕たちはここに来たんですけど、ここのバンガローはどうですか?」

日本人と話すのは久しぶりなので一緒に談笑していると、遅れてオジーがふらふらとやってきて無遠慮に隣に座った。

オジーはイスの上であぐらを組んだが、そのとき彼女の股間から猛烈な生理臭が漂ってふたりの日本人を困惑させた。彼女は手に持っていたものをテーブルにドンと置いて、ウエイターを大声で呼んだ。

ふたりの日本人はオジーがテーブルの上に置いたものを見て絶句した。それはタンポンだった。

結局、五分もしないうちにふたりの日本人は居心地悪げにどこかに行ってしまい、あとにはオジーだけがいつものように目の前にいるだけだった。

精神的余裕すら失っていた

オジーが嫌われていたのは無頓着な態度や病的な様相もあるが、彼女の身体から発するあらゆる悪臭も要因のひとつだった。

生理臭も含め、他の臭いもまたひとつひとつが強烈だった。

ありとあらゆる体臭をオジーは隠そうとも消そうともしなかった。彼女の口腔からは胃の奥から臭ってくるような口臭がしたし、腋臭も当たり前のように漂わせていた。

わき毛の処理などするはずもないので、金髪の長いわき毛がはみ出していた。髪は汗とマリファナの臭いが染みついていたし、陰部もまたきつい臭いがした。

過剰なヘロインの摂取や不規則な生活が体臭として現れていた。

そうでなくても白人はアジア人と違って体臭のきつい人が多い。また体臭がして当たり前だと思っているから臭いを消そうとあくせく努力しようともしない。

彼女もまた平然とした顔で臭いを撒き散らしていた。手入れをすれば臭いを消せるはずだった。

しかしオジーはまったく身体をケアしようとはせず、荒れるに任せていた。身体をいたわるような精神的余裕すら失っていた。

夜の十時になるとバンガローの電源は切れ、あとは暗闇の世界になる。カフェテリアも人がいなければそれくらいで終わる。騒々しい音楽も消え、後は潮騒の音と犬の鳴き声だけが聞こえてくるだけだった。

そんなときはディスコに行けばいいのだが、オジーの身体の具合が良くないときはバンガローの外のイスにふたりで座って無言でじっとしていた。

互いにマリファナが入っている。オジーにはヘロインがそれに加わっていた。

ダウン系の麻薬をやっていると時間の観念はない。腰の方から突き上げてくるような気持ちのいいフィーリングに集中できた。

こういう時間が好きだ。オジーもだ。そうでなければ、彼女はとっくに自国フランスへ帰っていた。

激しいスコール

コ・サムイにはときどき激しいスコールがやってきた。

向こう側に雨雲が見えたが、それがゆっくりとこちらに向かって来るのが分かる。雨雲のまわりは晴天なのだ。熱帯でしか見られない不思議な光景には、いつも見とれてしまう。

カフェテラスでじっとしていると、次第にその雲がこちらにやってきて、オジーと一緒に慌ててバンガローの中に逃げ込む。

ほどなくすると最初に「陰」がやって来る。それから、まるで滝のような雨粒が一気に落ちてくる。

一寸先も見えないような凄まじい雨だった。地面に叩きつけられた雨しぶきが霧のようになって舞い上がる。

雨の向こうを見てみると、いつもオーダーを取りに来るカフェテラスの少年がいた。雨をシャワー代わりにしていたのだ。

シャンプーで頭を泡だらけにして洗っているのを今でも思い出す。彼は自然のまま生きていた。

雨は降り始めと同様に唐突にやむと、次の瞬間にはもう青い空と熱帯の太陽が強烈な熱気と共に姿を現している。これが本物のスコールだ。

今でもスコールを見るのが好きだ。

雨に濡れた椰子の葉が風にそよいで、徐々に乾いてゆく。そんな熱帯の光景がたまらなく好きだ。

デザートはマリファナ

オジーはあまり食べない方だった。カフェテラスの食事も「おいしくない」と年中文句を言った。

そう思わなかったが、朝も昼も夜も同じところで食べていると、いい加減飽きて来る。だから、別の場所に食べに行くこともあった。

急な坂を登っていくと、絶壁の上に料理屋があって日本料理を食べることができた。

あるいは、浜辺を海伝いに歩いてゆくと、ニッパ椰子の屋根でテントのように作った即席のレストランで地元タイ女性の手料理を食べることもできた。

食べる魚は当日釣れたばかりの活きの良い魚だ。名前の分からない魚だったが、どの魚も味は良かった。

海老も豊富に取れるらしかった。大皿に山盛りの海老を安く食べることができた。海老は、オジーも夢中になって海老の甲羅を剥きながら身にむしゃぶりついた。

腹いっぱい食べると、デザートはマリファナだ。

食べている最中も、他の客が点けたマリファナが回って来るので、食事は常にトリップの最中だった。

マリファナを吸いながら食事をしていると、何を食べてもうまく感じるようになる。おまけに食べても食べてもまだ食べられるような気になる。それでついつい食べ過ぎてしまうことが多い。

オジーもまたマリファナを吸って食べることに集中すると延々と食べ続けていたが、そのあとは決まって海に向かって行っては食べたものを全部ゲーゲーと吐き出して寝込むのだった。

ジェラールとその仲間

ここのバンガローのほとんどは欧米人で占められていた。若いふたりのドイツ人がいたが、彼らはゲイのカップルだった。

カフェテラスにいても他の人たちとは交わろうともせず、ディスコで彼らを見かけることもなかった。彼らはふたりで肩を寄せ合って静かにたたずんでおり、完全にふたりだけの世界に生きていた。

同じく西ドイツから来たという老夫婦もいた。

この夫婦もまるで根が生えたかのようにカフェテラスのイスに座り続けていたが、あまり会話している姿は見たことがない。

ただじっと座り続けているだけだった。婦人の方はいつも白いワンピースを着ていて、誰にも関心も持たずに海だけを見つめ続けていた。

かと思うと、何時間も座禅を組んでいる娘がいた。

隣のスキンヘッドの娘である。この娘もまた寡黙な娘でほとんど誰とも交流しようとせず、たまにオジーが声をかけてもまったく相手にしようとしなかった。

ある日、気がつくと彼女はバンガローからいなくなってしまった。いついなくなったのかさえ分からなかった。まるで太陽の熱で蒸発してしまったかのように思えたものだった。

逆に社交的な人たちもいた。金髪のヒゲをたくわえたジェラールという中年のフランス人は人当たりが良く好感が持てた。

いつも陽気に挨拶をしてくれた。オジーにも臆せず挨拶をした。何もかもだらしのないオジーは誰からも嫌われていたが、少なくともジェラールはそんな素振りは一度も見せなかった。

ジェラールの取り巻きの人々もまた明るい人たちが多かった。しかし、彼らはあまりオジーとは関わりたくないという素振りがあった。

オジーはたまに彼らにドラッグを売りつけようとしたが、彼らは無視を決め込んでオジーを見ようともしなかった。

彼らもマリファナを吸ったりマジック・マッシュルームを食べたりしていた。しかし、彼らはオジーからは決して何も買おうとはしなかったのだ。

やはり一目で中毒者だと分かる人間とは関わりたくないと思っていたのだろう。

マジック・マッシュルームで陽気になった彼らが騒ぐのをオジーは苦々しい目で見つめていることもあった。自分から買ってくれないのはやはり腹立たしいのだ。

しかし、マジック・マッシュルームに関してはオジーから買わなくてもよかった。カフェテリアの料理人に「スペシャル」とひとこと言えば、麻薬入りのオムレツが出てきたからだ。

わざわざオジーから買う必要などない。

ヘロインが流通していた

ただ、ヘロインに関してはオジーの真骨頂だと言ってもいい。

何しろバンガローでヘロインを持っているのはオジーだけだったからだ。たまにオジーのところに来て、ヘロインを買う男もいた。

しかし、やはりヘヴィー・ドラッグに手を出す人は少ないようで、オジーのサイドビジネスは繁盛しているようには見えなかった。

ちなみにオジーは港の方に住む同じフランス人の男からヘロインを手に入れていたようだ。

もちろん、当時からタイは麻薬に関しては厳罰を持って処する国だったが、コ・サムイは別だった。不良外国人のつどうこの島の警官はすっかり賄賂に溺れきっており、ここは一種の治外法権のようになっていたのだ。

賄賂に溺れていなくても、警官が不良外国人を取り締まれない理由は他にもあった。麻薬に目くじらを立てて不良外国人を厳しくしょっ引いたとたんに、観光客の九割は島に寄りつかなくなる。

なにしろ、当時コ・サムイに寄りつく観光客の大半はドラッグ・フリーのパラダイスを求めて島にやってきていたのである。

不良外国人がいなくなると、観光客相手で細々と暮らしている島民の全員が現金収入をなくしてしまう。

島民の仕事を奪ったとなると、警察も不良外国人と共に島にいられなくなっただろう。

島民にとっては、観光客が行儀の良い新婚カップルだろうがドラッグに溺れる不良外国人だろうが、そんなことは問題ではなかった。とにかく島にやってきて金を落としてくれる観光客なら誰でも良かったのだ。

だからこの島は治外法権のような雰囲気を漂わせたドラッグ・アイランドとして名を馳せ、過剰なほどの麻薬が流通していた。

麻薬の供給がとぎれる心配もなかった。

タイ北部のゴールデン・トライアングル地帯にはケシを組織的に栽培する組織も当時は健在だった。言うまでもなく、親玉は麻薬王クン・サーである。

朱(あか)いケシの花が咲き乱れ、その禁断の実(み)は少数民族のシャン族によって精製されてコ・サムイに届き、不良外国人の血管の中を駆け巡っていた。

特にオジーの血液には誰よりも濃くケシの毒が注入されていた。

バッド・トリップ

ドラッグと言えば、一度マジック・マッシュルームでひどい目に遭っている。バッド・トリップだ。

マリファナもマジック・マッシュルームもちょっとした精神的な感情を極端に増幅する作用がある。たまたまトリップ中に嫌なことや嫌な感情にとらわれると、当然それは普段の数十倍にも増幅されてしまう。

マジック・マッシュルームを食べている最中にバッド・トリップに入った。自分の感情を自分で制御できない恐怖。これが続いて精神的なコントロールを失った。

オジーはそばにいてくれたが、恐怖は収まるどころか激しくなっていく一方だった。

マジック・マッシュルームで飛んでいったまま意識が戻らなくなって廃人のようになってしまった男がいるというのを小耳にはさんだことがあった。

もしかしたら自分も正常に戻れなくなって廃人と化してしまうのだろうか。そう思うと、恐怖はよけいに膨らんで、いっそのこと死んでしまいたいとさえ思った。

不思議と覚醒した意識はあった。

酒に酔っ払って何も覚えていないのとは違う。マジック・マッシュルームではバッド・トリップしている最中にもしっかりした意識が残っているのが面白いところだ。

マジック・マッシュルームのトリップとは、精神が肉体から遊離して、自分の肉体を客観的に見つめるような感覚だ。

肉体が苦悶して助けを求めているのを客観的に見つめ、肉体が制御できないのを見て心がキリキリと痛んだ。

しっかりと抱擁してくれた

どうしようもなくて、オジーを振り切ってカフェテラスに行って助けを求めた。

マッシュルームを食べて気分が悪いというのを料理人に切々と訴えたが、ふと気がつくとカフェテラスにいた全員が会話をやめてこちらを見ていた。

冷ややかな目でこちらを見ている彼らの姿に少なからずショックを受けた。

「ほら、あいつを見ろよ。ドラッグをやってパニックになってるぜ。馬鹿だね。そのまま死んでしまった方がいいんじゃないのか」

彼らの表情がそう物語っている。それをリアルに感じていた。その軽蔑の眼差しは心に突き刺さる。

「ココナッツ・ジュースを飲めばちょっとはマシになる」

料理人はそう言いながら、ココナッツ・ジュースを飲ませてくれた。惨めな気持ちに打ちひしがれていた。カフェテラスにいる全員が自分を笑い者にしているような気がした。

そのとき初めてオジーがかわいそうに思えた。

オジーはもはや麻薬から抜け出すことはできない。人生の敗北者として、いつも冷ややかな目でみんなに見られているのを感じているはずだった。

それが分かっていても彼女は麻薬をやめることもできないし、ここから出ていくこともできない。

オジーはもう引き返すことができず、皆の冷たい視線を浴びながら自滅していくしかない。

ココナッツ・ジュースを飲んだところで気分は良くなるはずもなかった。みんなの好奇の目に耐えられず、またオジーのところに戻った。オジーは何も言わず、ベッドの上でしっかりと抱擁してくれた。涙が溢れた。

長い間、そうやってもらっているうちにやっと楽になってきた。夜が更けて明け方近くになって、やっとバッド・トリップから抜け出した。あとは疲れ果てて眠り込むだけだった。

旅をしたい気持ちはもっと強かった

この島では観光客相手にムエタイ試合もやっていた。夜、オジーを放って試合を見に行った。

観光客相手とは言え、試合はかなり本格的なものでリングサイドのタイ人や白人は皆、試合結果を賭けの対象にして熱く盛り上がっていた。

最初の二試合ほどまで賭けて騒いでいたが、二回連続して賭けに負けてすっかり試合に興味を失った。

広場に停められているトラックの荷台に寝転がって星空を見ているうちに、そろそろコ・サムイを出ようという気持ちになった。

この島は居心地が良かった。

オジーとはもう少し一緒にいたいという気持ちもあった。しかし旅をしたい気持ちはもっと強かった。

一ヶ所に沈没する旅はあまり性に合わなかった。スンガイコーロクにも行きたかったし、マレーシアにも入りたかった。

特にスンガイコーロクというタイの最果ての地に好奇心を抑えきれなかった。いったいどんなところか見当もつかなかったが、そんな知らない街を旅人として放浪して、くたくたになるまで歩いてみたかった。

そんなことを考えながら知らないうちにウトウトしていると、やがてムエタイの興行が終わったらしく、荷台に人がどやどやと乗ってきた。ジェラールもいて、賭けに勝ったと喜んでいた。

こっちは負けたと言うと、”Take it easy”(気にするなよ)と言いながら肩を叩いた。気にしていなかった。もう頭の中にはスンガイコーロクしかなかったからだ。

冷たい夜風に当たりながら、コ・サムイを去ることをどうやってオジーに伝えたらいいのか、そして彼女はどんな反応を示すだろうかと考えた。

無関心でいるのか、それとも怒り狂うのか、それとも別れを惜しんで泣いてくれるのか。

ただひとつ分かるのは、オジーが一緒に島を出ることはないだろうということだった。

オジーは絶対にこの島から去ろうとしない。この島は彼女にとって生活の場であり、墓場でもあるのだ。

愛してる? そうは思えないわ

バンガローに戻っても、なかなかそれを言えなかった。別れを切り出すのは難しい。

彼女を傷つけるかもしれないと思ったら、なおさら何も言えなくなる。しかし、コ・サムイを去ることを決意しているので、どうしても言わざるを得なかった。

ベッドに入ってオジーの金髪を撫でながら、「明日、コ・サムイを出るよ」とポツリとつぶやいた。

暗い部屋の中だったが、オジーがじっと顔をのぞき込んでくる。

“What?”(何て言ったの?)

そこで、明日の朝にコ・サムイを出ることや、もっと南の方へ旅行したいことを伝えた。

オジーは本当に明日行くのかと何度も聞き返した。本当にコ・サムイを去ると言っているのか確信を持てないでいるようだった。

“Tomorrow, good bye, Ko-samui. good bye, Ozzy. This is not joke.”
(明日、さようなら、コ・サムイ。さようなら、オジー。これはジョークじゃない)

ずいぶん長いことオジーは黙っていた。

“Do you come back Ko-samui?”(戻ってくるの?)
“I don”t know.”(分からないな)
“Why, you don”t know?”(なんで分からないのよ)

オジーはいらいらしながら言った。戻ってくるのか来ないのか、白黒をはっきりさせたいらしい。

そう問いつめられても、自分の気持ちを英語で理路整然と説明するのは難しかった。とにかく気ままな旅をしたかったのだ。予定やスケジュールや約束などしたくなかった。

ぶらぶらと風の吹くがままタイを回りたかった。時間が経って気が向いたらコ・サムイに戻ってくることもあるかもしれない。

気が向かなかったら戻らないことだってある。その時の気分ですべてが決まる旅がしたかったのだ。

それを英語で説明するのは難しい仕事だったし、説明すること自体も面倒だった。だから別の答え方をした。

“Ozzy. I love you.”(オジー、愛してるよ)

オジーは、はっきり答えなかったのを実質的な「ノー」であるととらえたようだ。

“You love me? I don”t think so.”
(愛してる? そうは思えないわ)

彼女はそう言うと、いきなり枕元に置いてあった灰皿をつかんで、腹立ちまぎれに思い切り投げ捨てた。

それはガラスの灰皿だ。もの凄い音を立てて灰皿が砕け散った。この瞬間、オジーとの関係も終わった。

国際電話のできる公衆電話

翌朝、荷造りをして港町に行く頃になると、オジーはそわそわし出して、「わたしも一緒に行く」と言い出した。

まさかオジーが見送ってくれるとは思っていなかったのでかなり驚いた。船に乗ってやってくる客を拾うためにカフェテラスの従業員が車を出すというので、ちゃっかりとそれに乗り込んで港町に行った。

波止場を囲むようにして町は発展していた。

車やバイクの往来は多く、日に焼けた白人たちが陽気に騒ぎながら歩き回っている。

近くのオープン・カフェテラスは、ほぼ白人の客たちで満杯だった。船の時間を確認すると、一時間ほど間があった。

オジーは波止場近くの郵便局に行きたいというのでそれにつきあった。

郵便局に何の用があるのだろうと思ったら、郵便局の建物の二階にある国際電話のできる公衆電話が彼女の目当てだったようだ。

結構な長電話をしていたが、コレクトコールだったのだろうか。誰と話していたのかは知らない。聞かなかったし、オジーも相手を言わなかった。

その後、波止場が見渡せる食堂の入口あたりのテーブルに座って、ジュースでも飲みながら、ぼーっと船が来るのを待っていた。

何も言うことはなかった。これで二度と会えなくなるかもしれないのに、別れを惜しむ会話もなかった。

K氏より。コ・サムイの港。看板に見えるのはドラッグで死んだジミ・ヘンドリックスの顔だ。

夢の残骸だけが残っている

やがて時間が来て、波止場に船が到着した。船に乗り込んで甲板に出ると、オジーは波止場で腕を組んで煙草を吸っていた。

こちらを見ていたが、ほほえみを浮かべることもなかったし、手を振ることもなかった。

波止場にたたずむオジーは異様に痩せていて、ひどくやつれて見えた。

他の白人観光客と比べるとやはり異様な雰囲気を漂わせており、病的で生気がなかった。そして彼女だけが、ひとりぼっちだった。

やがて船が動き始めて手を振った。腕を組んでいたオジーがやっと小さく手を振り返してくれた。

しかし、それもわずかな間だけだった。あとはじっと腕を組んで、動かなかった。見送りに来てくれたはずなのに、拒絶しているかのようだった。

それがオジーの見納めだった。

必ずこの島に戻ろうという決意は、日が経ち、年を重ねるにつれて静かに薄れていった。今ではすっかり消えて切ない気持ちだけが残った。

その間にこの島はすっかり変わってしまった。

かつての秘境は、すっかり世界中に知られ、名だたる観光地になった。今は飛行場まである。

サムイ島は、もはや愛していたドラッグと売春がはびこる無法地帯ではない。こぎれいなホテルや土産物の並ぶ「ただのリゾート地」になってしまったのだ。

きれいな格好をした日本人新婚カップルが浜辺を歩くような健全なリゾート地にはいたくない。そう考えると、この島に戻ることは二度とないのかもしれない。

今、静かにオジーを思う。もう彼女は生きていないような気がする。

ハード・ドラッグにのめり込み、荒廃した生活を続ける人間が、その後十数年に渡って生きながらえているとは思えない。彼女は生活破綻者であったし、麻薬中毒患者でもあった。誰からも嫌われていた。

でも、彼女が忘れられない。彼女が好きだった。彼女はそれを感じてくれていただろうか……。

改めてコ・サムイを思う。好きだったコ・サムイは、すでに忘れ去られた過去の遺物に過ぎず、夢の残骸だけが残っているだけなのだろう。

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

タイ編カテゴリの最新記事