あなたは、吉原や山谷に足を踏み入れたことがあるだろうか?
アンダーグラウンドを扱う作家としての職業柄として、吉原の元ソープ嬢と会って話を聞く機会も何度かあった。
若い頃からソープという特別な世界に生きていた彼女たちの話を聞いていると、「吉原」という地域に特別な感慨を持っているというのが言葉から伝わってくる。まるで背後霊に取り憑かれたように。
私は東京都台東区に「吉原」という地名があるものとずっと思っていたのだが、吉原は「吉原遊郭」のなごりから「吉原」と言われているだけで、吉原という地名がそこにあるわけではない。
この吉原遊郭も、最初は現在の人形町あたりにあったのだが、1657年に焼け落ちて現在の場所に移設されている。現在の場所というのは、東京都台東区千束あたりである。
この地区の隣接した場所はご存知のように山谷《さんや》と呼ばれる、かつては日本最大のドヤ街だった場所でもあり、山谷をウロウロしていると、いつしかソープ街にまぎれ込んだりするので興味深い。
もっと興味深いのは、大阪のドヤ街である釜ヶ崎(現・西成区あいりん地区)もまた飛田新地が隣に隣接しているということだ。
はじめて私が釜ヶ崎を訪れたのは2014年だったのだが、何も知らないでたまたま釜ヶ崎をうろついているうちに飛田新地に遭遇して驚いた。(ブラックアジア:大阪。あいりん地区と、飛田新地に寄ったので歩いてみた)
もちろん、これは偶然の一致でも何でもない。江戸幕府が意図的に行ったことでもある。順番から言うと、最初に遊郭ができて、次に貧困地区ができた。これは、どういう経緯でそうなったのだろうか?