東南アジアでも日本でもそうだが、夜の世界をさまよい歩いていると「特徴ある顔」を目にすることがある。いや、最近は夜の世界だけに限らず、昼間の女性に関しても気づく「顔」がある。ハリウッドの女優たちの「顔」を見ても、あの「顔」が無数にあることが分かる。
それは、整形した女たちの「顔」である。
整形手術というのは、自分の顔や身体の欠点を補正して、何とか「より良くするもの」であると私たちは考える。当然、必要最小限で最大の効果を狙うものが理想だとも考える。しかし、その考え方はもう時代遅れなのだ。
今の整形手術とは、自分の今の顔を生かしてより良くするのではなく、自分が「なりたい」と思う顔を「一から造り上げるもの」になっている。
「なりたい顔」が今の自分の顔とは似ても似つかないものでも構わない。それを無理やり大規模工事で造り上げる。
整形手術は今やどんな大規模な「造り変え」もできるようになった。もはや原型など関係ない。鼻を高くする、目をぱっちりするなどは、もう誰も整形とは思わないのかもしれない。
いまや、顎も、頬も、唇も、すべて造り変え、さらにはシワを取り、いろんなものを注入して皮膚を膨らませたり、へこませたりさせる。そうやって、まったくの別人に生まれ変わっていくことができる。
自分の美意識が最初にあって、それに合わせて顔を作り替えて別の女性になる。成功した「顔」もある。しかし、そうやって作った「顔」は次第にどこか奇妙な崩れ方をするようになり、やがて整形特有の「特徴ある顔」が現れていく。
私はそうした「顔」も受け入れる。真夜中の世界に生きるハイエナは、そうした女性を受け入れないとハイエナとして生きていくことができない。逆に言えば、ハイエナはそうした女性をも受け入れてハイエナとなる。