シンガポールは1819年にイギリスの領土となっている。
そして、イギリス人のトーマス・ラッフルズのインドと中国を見据えた自由貿易政策が行われて、当時の企業が続々とそこに拠点を構えるようになっていった。
この頃のシンガポールは、アジアでも有数の港町として名を轟かせていた。
活況に沸き、次から次へと植民地労働の出稼ぎの男たちが流れて来るようになっていた。
出稼ぎの多くの男たちは、まずはシンガポールに上陸し、ここから広大なマレー半島の植民地へと流れていたのである。
そして、日本からもたくさんの女性がこの地に流れ着いた。
江戸幕府が倒れて明治政府に変わる激動の時代に、もはや日本では生きて行けなくなってしまった女性たちだ。
売られてやって来た女性もいれば、自ら志願してやってきた女性もいた。彼女たちは、みんな蒸気船の木炭の陰に潜むようにしてシンガポールにやってきていた。