「排除アート」とは、アートのように見せかけたホームレス排除の芸術作品である

「排除アート」とは、アートのように見せかけたホームレス排除の芸術作品である

人々はホームレスを排除したい。できれば永遠に居つかないように何とかしたい。しかし、あからさまに追い出したり、看板を立てたりすると人権団体が怖い。だから、アートのように見せかけて、実は「ホームレス排除」が第一目的のオブジェクトやデザインが都市に増えるようになっていった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019、2020年2連覇で『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

日本はホームレスを収容する「システム」を発明した

大都市のどこにでも大量にいたはずのホームレスは日本ではあまり見なくなった。昔に比べると10分の1以下になっているのではないだろうか。日本が豊かになったからホームレスが減ったのか。

いや、そうではない。日本はホームレスを収容する「システム」を発明したのだ。そのシステムというのは「ホームレスを捕まえてきて無理やり施設にぶちこみ、生活保護を申請させてそれを詐取する」というビジネスである。

ホームレスにも生活保護を申請する権利がある。しかし、ホームレスのほとんどは自分で生活保護を申請しない。

だから、ドヤや福祉アパートや貧困ビジネスを行う人間たちがホームレスを自分のところのドヤに連れ込み、生活保護の申請を支援する。そして、その生活保護を管理して利益を得るのだ。

ホームレスは宿を得る。
貧困ビジネスの人間は金を得る。

こう見るとWin-Winの関係なのだが、この生活保護の原資となっているのは私たちの税金なので、納税者から見ると「俺たちの払った税金でホームレスはのほほんと暮らしているのか?」という話になるのだが、客観的に見るとそういうことになる。

それでは、納税者は「ホームレスの人たちも自分たちの税金で保護された」という虚栄心以外に何のメリットも享受していないシステムなのか。いや、恐らくそうではない。納税者は、誰も口に出して本音を言わないのだが、実は別のメリットを享受している。

そのメリットとは何か……。

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「自分の目に入るところにホームレスはいて欲しくない」

日本の納税者が、自分たちの税金でホームレスをドヤや福祉アパートで養う。その結果、日本の納税者は「誰も言わない本音」のメリットを享受する。

そのメリットというのは、「ホームレスを見なくてすむ」というものだ。

私の著書『ボトム・オブ・ジャパン』でも触れたのだが、ホームレスは今も迫害され続けている。彼らはただそこで寝ているだけなのだが、公共の場で汚れた身体を横たえていると、景観を汚す「物体」としてホームレスを見る人がいる。

いろんな事情があって家をなくして路上で暮らすしかない悲運の人たちという目ではホームレスを見ない。

「汚い」「臭い」「邪魔だ」「迷惑だ」という嫌悪や怒りの感情が先走って、「どこか行け」「消えてしまえ」という気持ちになる。そしてホームレスは、実際に石を投げられたり、警察に通報されたり、罵倒されたり、殴られたりして「見えないところ」に追いやられていく。

「自分の目に入るところにホームレスはいて欲しくない」

それが人々の本音なのである。「ホームレスを捕まえてきて無理やり施設にぶちこみ、生活保護を申請させてそれを詐取する」という貧困ビジネスは、この人々の本音を実現する。

彼らは生活保護の詐取が目的なのだが、これによって納税者は「ホームレスをどこか目に付かないところに囲ってくれるのだから悪くない」と思う。だから「ホームレスが可哀想だからドヤに詰め込むのはやめろ」とも思わないし「俺たちの納税を働かないホームレスに回すな」とも思わない。

ホームレスを消してくれるのならそれでもいいと思う。それほど、ホームレスは邪魔だと思われているのである。

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「排除アート」はホームレス排除の大ヒット商品となった

かつて、新宿西口から都庁に向かう長い地下通路はホームレスたちの「巣」になっていた。雨風がしのげて暖かいので新宿に拠点を置くホームレスのほぼ全員がここに集まっていたと言っても過言ではない。

しかし、今はこうした人たちはいない。通路は「動く歩道」に取って変わられ、ホームレスがそこで寝ることができない、凹凸《おうとつ》のあるアートが設置されたからである。

2000年代のいつ頃からか分からないが、駅でも、公園でも、路上でも、じわじわと増えていったのが、こうしたホームレス排除を意図したアート、いわゆる「排除アート」である。

駅のベンチもホームレスが横になって寝られないように手すりがついたり、極端に座部が狭くなったり、場合によっては座部がパイプになっているものまで登場した。これは「ホームレスはここで寝るな」という行政の意思表示である。

公園でも庭園のように見せかけて、実はゴツゴツとした岩をコンクリートに生やした「排除アート」が大量に出てきている。

そうなのだ。

人々はホームレスを排除したい。そこにいて欲しくない。できれば永遠にホームレスが居つかないように何とかしたい。しかし、あからさまに追い出したり、「ホームレスは来るな」と看板を立てたりすると人権団体が怖い。

だから、アートのように見せかけて、実は「ホームレス排除」が第一目的のオブジェクトやデザインが都市に増えるようになっていった。

「これは排除アートではないのか?」と言われたら、設置者は「考えすぎです。これは、ただのアートです。結果的にホームレスの人が居られないようになっているのかもしれませんが、それは意図したものではなく、ただの偶然です」と言える。

さらに、「そういうことを考えている人の方がホームレスに差別意識を持っているのではないですか?」と反撃することもできるようになった。

「排除アート」はホームレス排除の大ヒット商品となった。そして今、この「排除アート」は全世界の都市で広がって、ホームレス排除のひとつの「理想的な戦略」となっている。

それほどまで、人々はホームレスを嫌っており、どこかに追いやりたいと思っているのが分かる。「ホームレスは気の毒だと思うが、邪魔なのでどこかに行け」というのが人々の偽らざる本音であることが、排除アートは訴えかけている。

夥しい種類の排除アートでホームレスを追い払う街

人々はホームレスを嫌っており、どこかに追いやりたいと思っているのが分かる。「ホームレスは気の毒だと思うが、邪魔なのでどこかに行け」というのが人々の偽らざる本音であることが、排除アートは訴えかけている。

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『絶対貧困の光景 夢見ることを許されない女たち(鈴木 傾城)』

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