今は正しいと思われていることも、正しい認識ではなくなる可能性もある

今は正しいと思われていることも、正しい認識ではなくなる可能性もある

「ロボトミー手術を受けると廃人になってしまう」というのは、すでに1970年代は常識のように語られて多くの人に知られており、この手術が極悪非道のものであったというのは認知されて恐れられていた。しかし、1936年から数十年に渡って、この手術は正しいものとして現場で執刀されていたというのは事実である。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

エガス・モニスが考案した外科手術

1949年にノーベル生理学・医学賞を受賞したのはエガス・モニスというポルトガルの医師だった。エガス・モニスは神経外科の分野で凄まじい知見を持っており、精神病患者の治療に深く関心を持っていた。

精神病は今でこそ薬で症状を抑えることができるが、エガス・モニスが現れるまで、それは原因も分からず治療も難しい病気で医師も手の施しようがなかった。

精神病の中で扱いが難しかったのは、凄まじい暴力傾向やヒステリー症状、癇癪(かんしゃく)を起こす患者に対するケアだった。

こうした患者は頻繁に強い興奮を引き起こし、しばしば大暴れした。しかし、患者を抑えるための効果的な方法は誰も分からなかった。

そのため、精神病院の中では野獣のように暴れる患者を縛りつけ、檻に閉じ込め、興奮を抑えるために水責めをしたり、イスに縛りつけて高速回転させたり、縛りつけて暗闇に放置したり、様々な拷問まがいの方法が取られていた。

ところが、である。1936年にエガス・モニスが考案した「ある外科手術」を行うと暴力傾向にあった患者の症状は完全に消えた。それは劇的で、かつ効果的で、しかも難しい手術でもなかった。

この功績を持ってエガス・モニスはノーベル生理学・医学賞を受賞したのだ。ところが、この医学賞は後にノーベル賞史上で最悪の選択だったと言われ、歴史から消されることになる。

この外科手術はロボトミーと言った。

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ローズ・マリー・ケネディとロボトミー手術

ロボトミー手術とは、前頭葉と視床を切り離す手術である。この手術の何が問題だったのか。それは、治療を受けた人は「心を失ってしまう」ことにあった。

というのも、前頭葉は人間の意志や学習や計画性を司る部分である。考えたり、表現したり、感情をコントロールしたり、記憶したりする社会的な行動は前頭葉によって行われる。

ロボトミー手術は、この「人間らしい部分」を手術で乱暴に切り離してしまうのである。だから、ロボトミー手術を受けた患者はその後、人間らしさを失ってしまい、あたかもロボットのような人間になってしまうのだった。

考えることもできない、記憶することもできない、表現することもできない。大暴れすることはなくなるかもしれないが、ロボットのように受け身になって自発的な人間性を見せることがなくなってしまうのである。

要するにロボトミー手術は、人間から知性を奪う手術であったのだ。しかも、脳を直接傷つける手術なので、しばしば失敗した。

1936年から行われるようになったロボトミー手術は、こうした問題が発生していたにも関わらず精神病院では継続して行われていて、1975年まで続いていた。著名な一族でも、ロボトミー手術を受けていた。

たとえば、ジョン・F・ケネディの妹であるローズ・マリー・ケネディもロボトミー手術を受けた患者の一人だった。

彼女は生まれつき知的障害を持っていた(とされる)のだが、思春期に入ってから感情の起伏が激しくなって暴れるようになり、1941年にロボトミー手術を受けた。しかし、手術は失敗して彼女の知性はより悪化し、結局は養護施設で残りの人生を過ごすことになったのだった。

ちなみに、父ジョセフ・P・ケネディは一度も見舞いには行かなかった。

ローズ・マリー・ケネディ。1941年にロボトミー手術を受けたが手術は失敗、以後は2歳児程度の知性しかなくなった。

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 副作用は大きかったが「一応の効果」

ロボトミー手術は、1940年代から1950年代は「手の付けられない精神病患者に対する正しい治療」と思われていた。問題は多かったが、大暴れする患者は確かにこれで大人しくなったので、副作用は大きかったが「一応の効果」はあったのだ。

しかし、次第にロボトミー手術が人間性を消してしまう弊害の方が問題になっていき、1960年から徐々に控えられるようになり、1970年にはほとんど行われなくなっていった。

その後は、抗精神病薬が効果的に使われるようになってロボトミー手術は1975年に正式に廃止されることになるのだが、30年近くこの手術は世界中で行われ続けたということになる。

もちろん、日本でも行われており、多くの被害者を出した。

日本では、1960年代に自分の恋人がロボトミー手術で人格が変わった挙げ句に自殺してしまったとして、ある男が1979年9月に医師の母と妻を殺害するという事件が起きていたのは有名な話だ。この事件は「ロボトミー殺人事件」と呼ばれている。

欧米では、1975年に ジャック・ニコルソン主演の『カッコーの巣の上で』という映画が爆発的大ヒットを飛ばしたのだが、この映画では刑務所の強制労働が嫌で精神病患者のフリをした男がことごとく精神病院のルールを破って大暴れし、最後にロボトミー手術で廃人にされてしまう映画だった。

「ロボトミー手術を受けると廃人になってしまう」というのは、すでに1970年代は常識のように語られて多くの人に知られており、この手術が極悪非道のものであったというのは認知されて恐れられていた。

しかし、1936年から数十年に渡って、この手術は正しいものとして現場で執刀されて被害者を増やしていた。

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「それしか頼るものがない」中で広がる

今は正しいと思われていることも、正しい認識ではなくなる可能性もある。医学も試行錯誤の中で正しい方策が定められるのだから、それは致し方がない。

たとえば、人類を苦しめた感染症に「梅毒」がある。梅毒はかかったら身体がどんどん腐っていき、最後には発狂して死んでしまう恐怖の病だった。(ブラックアジア:ポックス。乱交と不道徳の結果、人間を生きたまま腐らせた中世の「不治の病」

15世紀から世界に広がっていき、日本にも上陸して江戸時代には日本もまた梅毒が満ち溢れていた。

世界中で「何とか梅毒を治せないか」と民間療法が行われたのだが、ヨーロッパでは水銀療法が梅毒治療として一般化していた。梅毒で腐っていく患部に水銀の軟膏を塗ったり、水銀を飲んだり、水銀のサウナに入ったりしていたのだ。

もちろん、水銀で梅毒は治らなかったし、むしろ水銀の毒で患者の容体はもっと悪化していった。しかし、「それしか頼るものがない」中では、人々はすがるようにして水銀を身体に塗りたくっていたのだ。

梅毒が本当に治療できるようになるのはアレクサンダー・フレミングが発見したペニシリンが治療に使われるようになった1943年まで待たなければならなかったのだが、それまで梅毒に関しては、水銀以外にも様々な漢方、薬草、呪術などで治療しようと試みられていたという事実がある。

治らない病気があると、私たちはもがくようにして「何か効く薬や治療法があるのではないか」と考える。

たとえば、身近なところではアトピーや花粉症や近眼や老眼でもそうだし、深刻なものでは癌や他の多くの治療不可の難病に関して、エビデンスがない民間療法や手術などが行われている。それしかすがるものがないからだ。

しかし、ロボトミー手術のように、すがることによって「より悪化する」こともあり得る。何が正しいのか分からない中での試行錯誤というのは、そういうものだ。

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