私は日本の歌謡曲はほとんど興味も関心もないまま暮らしてきたし、琴線に触れる曲もほとんど想い出の中に持っていない。
20歳を過ぎてから東南アジアで知ったその時々の歌を、現地の想い出や知り合った人たちと共に想い出を築いてきた。
1980年代のタイでは、街で洋楽が流れ、哀切の漂う現地のルークトゥンが流れていた。そういった「題名も知らない音楽」が私には重要で、そんな音楽ばかりが心を埋めてきた。
タイにいるときはタイの音楽を、アメリカにいるときはアメリカの音楽を、メキシコにいるときはメキシコの音楽を、カンボジアにいるときはカンボジアの音楽を、インドにいるときはインドの音楽を愛してきた。
私はずっと社会の底辺で踏みにじられながら生きている女性たちと一緒にいたので、彼女たちの口ずさむ歌、彼女たちが好きだった歌が私も好きになった。
だから、私は日本の歌謡曲に馴染む暇もなく人生が過ぎた。テレビもラジオも持っていないし、今後も買うつもりはまったくないので、よけいに日本の歌謡曲は私には縁がない。
10歳の少女の歌をしみじみと聴いて、涙を流す日
もちろん、街に出れば日本の歌が聞こえて来る。しかし、聞き惚れる歌というのは、ほとんどない。
日本人が唄っているはずなのに、何を言っているのか分からないような歌や、英語なのか日本語なのかも定かではないような歌には興味が惹かれない。メロディーが好きだという歌も、あまりない。
子供の頃からそういった傾向があって、私は同年代の子供たちが関心を持っている流行歌にはまったく関心がなく、自分が好きだと思った曲以外は知りたくもなかったのだ。
奇妙なことに、私は若い頃から、新しい歌は興味がなく、自分の生まれた世代の歌ではなく、生まれる前の古い音楽の方が好きだった。
今もその傾向はとても強い。新しい歌を知りたいとも思わない私は、もしかしたら音楽を愛していないのかもしれない。
だから、10歳の少女の歌をしみじみと聴いて、涙を流す日が来るとは夢にも思わなかった。
彼女は「山下ヤスミン」という名前の10歳の少女で、ブラジル日系人である。現地の歌謡番組で優勝して、天才少女と評されている。
日系ブラジル人の家系に生まれた少女で、「日本語が話せないのに日本語の歌を歌って優勝した」というのだから、尋常ではない。
『愛は花。君はその種』という歌(オリジナルは、ベット・ミドラーの『ローズ』)なのだが、彼女の歌唱力を聞いて欲しい。
感情の深いところで共鳴できる。魂で、分かる
彼女の歌が醸し出すこの情感は、いったいどうしたものだろう。久しく私が忘れていた「日本の情感」を、まさか10歳の日系ブラジル人の少女から教えられるとは……。
この安定感や、安心感。そして、彼女の声が醸し出す包容力。日本語に包まれ、日本語の言霊が自分の心の中に沁みていくこの不思議な気持ち。
聞いている途中で、私は涙が出てしまった。
日系ブラジル人が、日本に住んでいる日本人でさえも忘れた「日本語の情感」を大切に守り抜いてくれていたという感動や、それを表現できる少女の存在に、涙を流さずにはおれなかった。
私たちが遠い過去に捨ててきた「何か」が彼女の声の中に存在している。彼女の歌は、今の日本人の歌手が表現できない郷愁さがきちんと残っている。
だから、彼女の声を聞いていると、「そうだ、これだ。これが日本の本当の歌なのだ」と感じる。感情の深いところで共鳴できる。魂で本物が分かる。
一度聞いただけで、彼女の素晴らしさも分かるし、日本語の美しさも分かるし、言葉が持つ魂、言霊(ことだま)をも感じることができる。
彼女はていねいに、そして優しく、言葉を紡いでいる。発音がきれいで、純粋だ。過ぎ去った昔を、これほど思い出させてくれる声はない。
10歳の少女がこれなのだ。彼女の声音の中に、失ったものが蘇るような感動があった。本来の日本語のかけがえのない美しさを感じたければ、彼女の歌を聴けばいい。
今の日本の歌手は、大半が「ニセモノ」なのか?
一度聞いただけで、「山下ヤスミン」という歌手の資質や日本語が醸し出す慈愛が感じ取れる。
しかし、ふと思う。
私は今、日本にずっといて、日本語の歌があちこちから聞こえてくる環境にいる。それなのに、なぜ私は日本人の歌手の大半に反応できないのだろう。
もちろん、私は日本の音楽界に疎いので、隅から隅まで情感を感じさせてくれる歌手を捜したわけではない。だから、その存在をまだ知らないだけなのだと思う。
しかし、私がこれまで日本の歌謡曲に馴染む暇もなかったのは、彼女のように、きちんと日本語で日本の歌を歌ってくれる歌手がほとんどいなかったからではないか……。
もし、彼女のような日本人の情念を掘り起こしてくれる歌手の歌が流行していたら、必ず私の耳にも届いたはずなのに、今までずっとそんな歌は聞こえてこなかった。
日本はニセモノの歌手しかいないのか。私は今まで「ニセモノ」だけを聞かされていたのではないか。あるいは、今の日本の歌手は大半が「ニセモノ」なのか……。
何にしろ、日本で暮らしているはずなのに日本の情感が感じられない歌ばかりが聞こえて来て、遠くブラジルからは涙が流れてしまうような素敵な声音(こわね)が聞こえて来る。
日本は、もしかしたらどこかで道を踏み外しているのかもしれない。日本人は、あまりにも日本の過去を否定するのに忙しくて、本来は大切な「日本の情感」を忘れてしまっているのかもしれない。
今や日本で日本の魂が失われ、ブラジルに「隔離」されて大切に保存されているのだろうか。そうだとしたら、「山下ヤスミン」という天才少女には汚染されてしまった日本に来て欲しくない。
そんな風に思ってしまうほど、この日系ブラジル人の少女の歌には聴き惚れた。
日系ブラジル人なんですか。いやー泣けますね。電車の中で、ヘッドフォーンで聞きましたが、涙が出そうになりました。参りました。(笑
のど自慢番組で子供の歌に涙するなんて・・・
鈴木さんもいよいよお年を召されたのかな?
なんて、思いながら聞いて・・・
号泣でした!!
何で涙が出てくるのかわかりません!!
DJfs
う~ん、うまいっ。美空ひばりみたいですね。今の日本人が忘れたものを感じました。
第一言語には特別な感情を抱くものなのでしょうか。
4歳の時に日本に帰りましたがあいにく日本語は第二言語なもんで何も感じませんでした。
うん、この娘はすごい!
歌がうまいというだけでなくて、直接感情に訴える何かがあります。
日本じゃ、もういないタイプですねえ。
素晴らしいなぁ。
この記事を読んで始めてこの曲を聴きましたが、とても感動しました。
日本語の原曲というと変なのですが、都はるみが歌った曲も聴きましたが、それは歌唱力は比べようもないのですが、都はるみの方は自分の過去の事を歌っている感じがしたのに対して、彼女の歌は今まさに自分が愛している人に対して歌っている印象を受けました。
まさか10歳でこんなラブソングを歌える事に驚きました。
ベット・ミドラーが歌っている正に原曲も聴きましたが、こちらも過去に対しての哀愁を歌っている感じがしました。
名曲は国を問わずにカバーされていますが、カバーが原曲を超えたと思わせるこの少女の歌声は本当に感動しました。
なんて素直な歌。
純粋で汚れなく、ほのかに香る真っ白い一輪の花のよう。
こんな素直な歌唱、ひさしぶりに聞けて胸がいっぱいになりました。
辛かった過去現在、また未来のかなしみやあこがれ。
色々な感情と、そのまた奥の心の最もやわらかなところを、そっと撫でられたような幸福感があります。
忘れてはいけない後悔もある。
逃げてはいけない苦しみもある。
何かに埋もれて息もできない時も。
でも、必ず春は来る。
ありがとう、と言える春の日が。
mokomoko
すばらしい歌手を紹介していただきましてありがとうございます。
この少女の歌を聴くことができたことは、何物にも代えがたい素晴らしい体験です。
今までどれだけ誠実に【この歌】に向き合って、ひたすら[[けっして途切れてはいけない物]]を途切らせないで、確実に後の世代に受け継いできたか。1世代では到底利かないこの息の長さと、この少女に[[この歌に宿らせた精神]]が辿り着くまでの決して平坦ではなかったであろう道のりを想って、思わず涙がこぼれました。
そして歌唱を聞きながら、今の形の百人一首を世に残した藤原定家さんのエピソードを思い出しました。日本文化、日本語が失われつつ有る中で、どうして残しておきたいものが有る。誠実に、丹念に、慟哭を持って、確実に残しておかなければいけない。(百人一首の歴史はこんな感じの流れです[[ttp://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-2655.html#more]])その為にどうしたらいいのか。
同じ匂いを感じました。
非常に有り難い可能性。有り難ふ、ありがとうございます。
こうして皆が知る一つの形となった、ひとつの奇跡に乾杯。
hapirai
嗚呼、これが日本の本当の歌というものでしょうか。
涙が出てきてしまう歌唱です。
心が震えました。
ブラジル移民の日系人も辛かったでしょう。
苦しかったでしょう。
でも、日本の伝統をしっかり残してくれていたのですね。
こんな小さな少女がなんて日本の心を受け継いでいるのでしょう。
合掌です。涙