時代は大きく変わり、「人間関係を変えられるかどうか」が問われるようになる

時代は大きく変わり、「人間関係を変えられるかどうか」が問われるようになる

その世界で生きていく中では、目の前の仲間は「友」なのだ。その世界にいる限り、彼らは自分を助けてくれる。頼もしい味方でもある。しかし、そこから抜けてステップアップしようと思った時、彼らが「重荷」となる。「友」との人間関係を断ち切るというのは、シンプルに見えてとても難しい行為でもある。(鈴木傾城)

目の前の友人や仲間が決意の障害になる時

犯罪者が更生できるかどうかは、「人間関係を変えられるかどうか」にかかっているとアメリカの元警察官のジャーナリストが語っているのが印象に残っている。

本人がいくら犯罪から足を洗って普通の人生を歩みたいと思っても、犯罪に染まった友人たちに囲まれていたら、結局は犯罪の道に引きずり込まれていく。映画でも、そのようなストーリーが定番である。

これはアメリカだけではないはずだ。

日本でも、犯罪者が刑務所に入ると「犯罪仲間」のネットワークができてしまって、刑期を終えて表社会に戻っても犯罪仲間に引きずられてまた悪事を犯すようになってしまうというのはよくある話だ。

犯罪だけではない。ドラッグからの更生でも同じで、まわりがみんなドラッグ仲間だと、どうしても仲間に引きずり込まれてしまうのだ。「お前だけシラフは許さない」という環境なのだ。

犯罪やドラッグの話だけではない。たとえば、肥満を適正体重に戻したいと決意した人がいるとして、まわりがみんな肥満を正当化して食べまくる人たちだったら痩せるという努力は難しいはずだ。

あるいは、自分自身を向上させるために勉強しようと決意した人とって、遊び回ってばかりの友人に囲まれていると、やはり仲間に引きずられてしまうはずだ。

自分が何か重大なことを決意した場合、往々にして目の前の友人や仲間が決意の障害になる。どうすればいいのか。ここで「人間関係を変えられるかどうか」という考え方が生まれてくる。

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ひとりだけ「抜け駆け」するのは許せない

「友人を良い方向に感化させて一緒に変わっていく」という方法もあるかもしれない。しかし、相手を変えるというのは至難の業だ。相手は変わりたいとは思っていないかもしれないし、そもそも変わりたいと思う動機もないのかもしれない。

むしろ、友人は変わろうとするあなた自身を引き留めるかもしれない。「どうせ変われっこない、無駄な努力だ、今のままの方がいい」と言うかもしれないし「俺たちを見捨てるのか」と言うかもしれない。

犯罪でも、ドラッグでも、貧困でも、どん底(ボトム)にまで転がり落ちてしまった世界では、ひとりだけ「抜け駆け」するのは許せないと考える。

自分が更生できないのであれば、誰かが更生するのを邪魔してやるという破壊願望のようなものが芽生えることもあるかもしれない。

マフィアやギャングの構成員の間でも、売春地帯に転がり堕ちた女性たちの間でも、ジャンキーたちの世界でも、仲間が更生しようとすると邪魔するだけではなく、リンチにかけることもある。

こうした世界では「更生は裏切り」なのである。

それでは、自分が「更生したい、まともになりたい、向上したい」と思った時、何が必要なのか。それは「関わり」を、完全に、うまく、きれいに断ち切ることに他ならない。

自分のいた世界が反社会的であればあるほど関係を切るのは用意周到かつ計画的である必要がある。そうでなくても、やはり関係を清算しておく必要に迫られる。悪い人間関係は、自分自身を破壊してしまう。

自分自身を破壊から守るには、その世界の人間関係を断ち切るというのが基本中の基本となる。それがうまくいくかどうかで、自分の人生がうまく回るかどうかにつながっていく。

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「ずるいぞ、お前ひとりだけ成功なんかさせない」

アンダーグラウンドの人間が表社会に更生する時は、かつての仲間が「敵」となるくらいシビアに危険が伴う。それほどシビアではなくても、自分が何か違う世界に飛び込もうとする時は、必ず「今の人間関係」が反対してくる。

たとえば、サラリーマンが起業しようと思った時、それを同じサラリーマンの仲間に相談すると多くの場合は反対されるという。

「危ないから止めておけ」「失敗したらどうするのか」「起業した人のほとんどは失敗する」と仲間から忠告される。

悪気も何もなく本気で心配してくれているのかもしれない。あるいは、その忠告には「ずるいぞ、お前ひとりだけ成功なんかさせない」という嫉妬心が隠されているのかもしれない。人間心理としては、そういうこともあるだろう。

その世界で生きていく中では、目の前の仲間は「友」なのだ。その世界にいる限り、彼らは自分を助けてくれる。頼もしい味方でもある。しかし、そこから抜けてステップアップしようと思った時、彼らが「重荷」となる。

ほとんどの場合、「友」には一緒に築いた友情の歴史があるし、連帯感もあるし、何よりも自分にも未練がある。だから、「友」との人間関係を断ち切るというのは、シンプルに見えてとても難しい行為でもある。

「人間関係を変えられるかどうか」というのは、まずは「不要な人間関係を捨てて、新しい人間関係を構築する」という手順を踏むのだが、「不要な人間関係を捨てる」というのが誰にとっても難しいのだ。

そういうこともあって、人は自分の人生を簡単に変えることはできないのだ。また自分の人生をステップアップすることもできないのだ。人間関係を変えられないから、結局は人生を変えられないのである。

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ふるいをかけて不要な人間関係を捨てている

本当にそうかは分からないが、一般的に成功者は非情な人が多いとはよく言われる。

「非情」というのは「情(思いやり)がない」という意味だが、きっと成功者の非情は「自分に悪影響のある人間関係を断ち切ることができる」という意味で非情なのではないか。

恐らく多くの成功者は、意識的に自分の人生に役に立つ人を集め、そうでない人を排除するという取捨選択を行っている。ふるいをかけて不要な人間関係を捨てているのだ。別の言い方をすると、常に人間関係を状況に応じて作り替えている。

ステップアップしたらそのステージの新しい仲間を作り、古い仲間とは意図的に疎遠になる。合理的に人間関係を選ぶ。それが情(なさけ)のある人には冷たく感じるし、時には非人間的にも見える。

あなたはどうだろうか。自分自身を向上(ステップアップ)させるために「どうしても今の人間関係を断ち切らなければならない」となった時、どんな形であれ、それを断ち切ることができるだろうか。

ところで、中国発コロナウイルスは数ヶ月で世の中を変えたが、2020年代は社会は大きく激変していく。

社会が激変していく中では、自分を取り巻く環境も変わる。新しい環境に適応しようと思ったら自分の仕事やライフスタイルや環境を新しいものにバージョンアップすることが必要になるかもしれない。

自分の仕事やライフスタイルを大きく変える人は、きっと「人間関係を変えられるかどうか」という問題に直面するはずだ。

「人間関係を変えられるかどうか」

自分が変わろうとした時、それは必ずついて回る決断だ。自分が変わらなければ、こうした決断に迫られることはない。しかし、自分が変わろうとした時、必ずこうした決断が必要になる。

野良犬の女たち
『野良犬の女たち ジャパン・ディープナイト(鈴木 傾城)』

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