◆「肉体の防波堤」「東京租界」。日本の闇が最も深かった時代を見つめよ

◆「肉体の防波堤」「東京租界」。日本の闇が最も深かった時代を見つめよ

日本は1945年8月15日に敗戦を迎えたのだが、この当時の日本政府はこれを「敗戦」と表現しないで「終戦」と表現した。そして、日本に乗り込んで来たアメリカ軍を「占領軍」と言わずに「進駐軍」と言った。

言い方がどうであれ、日本はそれぞれの都市が大空襲で焼け野原にされ、二発の原子爆弾を落とされ、完膚なまでに叩きのめされて「敗戦して占領軍に支配された」という客観的な現実がそこにあったのは事実だ。

1945年8月30日、いよいよマッカーサー元帥が「占領軍」を引き連れて来日した。すると、9月にはもう日本に大きな噂が飛び交うようになった。それは以下のようなものだったとされている。

「進駐軍の奴らは日本の男を去勢して強制労働させ、女は陵辱される」

1945年の時点でも日本では「隣組」の制度がまだ機能していたので、日本政府は急いで回覧板を回して「婦女子は進駐軍には決して笑顔を見せるな。ふしだらな格好はするな」と警告を出した。

しかし、すでに東京は焼け野原であり、路上生活者、復員兵、傷痍軍人、みなしご、失業者が溢れており、人々は飢えと乾きで生きるか死ぬかの瀬戸際にあった。

当時は約7200万の人口のうち、3355万人が労働人口だったが、そのうちの40%を占める約1342万人が失業者だった。つまり、1945年当時は失業率40%という深刻な崩壊国家だったのである。

政府は国民を養うことができておらず、人々は自分の力で生き残らなければならない状態にあった。女性たちもそうだ。まさに「生きるか死ぬか」の瀬戸際であり、おにぎり一つで身体を売らなければならなかったのだ。

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