◆ポルポト政権誕生までの政治状況02 – 地獄の黙示録

1975年4月17日、プノンペンを陥落させたポルポト派は、その後鎖国政策を取り、カンボジア国内を秘密のベールで覆ってしまった。

唯一、ポルポト政権閣僚と密接な交流のあったのは中国であったが、その中国(具体的には、毛沢東や周恩来)でさえ、カンボジアがどうなっているのかよく分からないほどポルポト派の鎖国政策は徹底していた。

カンボジアは誰にとっても得体の知れない謎の国になってしまっていたのだ。

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