タイでクーデターが起きた日、私は「タクシンが暗殺された」というデマを信じた

タイでクーデターが起きた日、私は「タクシンが暗殺された」というデマを信じた

今のウクライナで起きている様相を見ているうちに、私は2006年9月19日のことを思い出した。この日はタイで軍事クーデターが起きた日だ。私はその時、バンコクにいたのだが、まわりの人はみんな「タクシン首相は殺された」と叫んでいた。それが真実かどうか分からなかった。この記事をトップに上げます。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

2006年9月19日、タイではクーデターが発生した

2006年9月19日。私はタイの歓楽地「ナナ・プラザ・エンターテーメント」のオープン・バーで女たちと下らない冗談を言い合いながら時間を潰していた。雨が降ったりやんだりする天気で、やや蒸していた夜だった。

すると突然、バーのテレビが王宮広場に結集する戦車や兵士たちの姿を映し出し、アナウンサーがタイ語で何かを報じ始めた。タイの女性たち、そしてバーで働いていたタイ人たちがみんなテレビに釘付けになって蒼白な顔になった。

「何が起きてるの?」

私がそのように尋ねると、女性たちは「クーデターが起きた。クーデターが起きている。兵士がタクシン(首相)を殺しに行っている!」と叫んだ。そうしているうちに、今度はテレビ放映が唐突に打ち切られた。すべての番組がつながらなくなった。

そして、しばらくすると国王を称えるコマーシャルだけが延々と流れて、今この瞬間に何が起きているのかまったく分からなくなった。

この当時、タイのタクシン首相と国王派の軍は激しく対立しており、国民もタクシン派と国王派に分断されていたのだが、バーの女性たちはどちらかと言うと地方でばらまき政治を行っているタクシン首相を支持していたので、不安にまみれている女性も多かった。

そして、急にあちこちで人々がこのように言い始めた。

“Thaksin was dead.”(タクシンは死んだ)

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タクシンは暗殺されたものだと、その日は思い込んでいた

後でそれがデマであることを私は知った。しかし、その渦中ではそれが真実なのかどうか分かるわけがなかった。

クーデターが起きてテレビが国王の美談のコマーシャルしか流さなくなり、タイ人がパニックになり、「タクシンが暗殺された」と言っている。私は、てっきりタクシンは暗殺されたものだと、その日はずっと思い込んでいた。

クーデターが起きたのは間違いない。だから、危機意識の強い一部の欧米人(ファラン)や観光客、そしてタイ人の女性たちが一斉に逃げ始めていった。

私はどうだったのか。この衝撃的な瞬間の中でも、私はぼんやりしていただけだった。目の前で銃撃戦が始まっているわけではないので、現実感がなかったのが正直なところだ。

女性たちは「私には関係ない」という人もいれば「戦争が起こるかもしれない」と言っていた人もいた。

タイでは軍が市民を大量殺戮した事件が過去にあったことから、もしかしたら市街戦のようなことが起こるかもと言って、指でピストルの形を作って「バンバン」と撃つ真似をする女性もいた。

クーデターはどうなっているのか。バンコクは戒厳令(マーシャル・ロー)が発令されるのか。市街戦は始まるのか。これから何が起こるのか……。私にはまったく分からなかった。

タクシンは外国に外遊していてバンコクにすらいなかったと知ったのは翌日のことだが、面白いことに私も一緒にいた女性も「タクシンが生きていた」というニュースの方がデマだと思ってしまった。

それほど最初の「タクシンが暗殺された」というデマは真に迫っていたのだった。そして私は思い知った。現場で「何か」が起きたとき、情報をファクトチェックする手段はないということを……。

つまり、混乱の最中ではデマが真実として受け止められるのだ。

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日本人の私は、クーデターに危機意識が持てなかった

私たち日本人は「クーデターが起きた」と現場で見聞きしても、具体的に何が起こるのかというのは、あまり「リアル」に想像できない人の方が多いのではないだろうか。

なぜなら、日本国内では近年においてクーデターが起きた経験はないからだ。確かに二・二六事件などはあったが、もうすっかり歴史の話になっている。自衛隊が政権を転覆させるという想像を多くの日本人はリアリティとして持てない。

しかし国外では逆だ。

多くの国がクーデターで政権が転覆するような事件を経験している。たとえば、南米ではベネズエラでもチリでもボリビアでも次々とクーデターが起きている。

アフリカはさらにひどくて、スーダン・ニジェール・ジンバブエ・ガボン・スーダン等々、とにかくクーデターだらけだ。彼らにとってクーデターは、リアルに暴力を感じる出来事なのだ。

私が2006年9月19日のタイのクーデターの最中にバンコクにいながら、まったく現実感がなくて「身を守ろう」とも「逃げよう」とも思わなかったのは、私自身がクーデターという「事件」にそれほど危機意識が持てなかったからでもある。

しかし、一部の欧米人、そしてアラブ人、中国人は私とはまったく違った意識でタイのクーデターを捉えた。

雨の中、私が自分のホテルに戻ると、エントランスでは多くのアラブ人と中国人が泡を食って大きな旅行カバンを持って逃げ出そうとしている姿を見かけた。雨に打たれながら必死でタクシーを捕まえようとしている中国人の姿も覚えている。

彼らは死にもの狂いだった。場合によってはクーデターによって市街戦が始まり、命の危険が発生するかもしれないと直感した彼らは一目散に逃げようとしていたのだ。

彼らの頭には1976年10月6日クーデターが頭にあったのかもしれない。この時に起きたクーデターは「血の水曜日事件」と呼ばれており、多数の死者が出た。

結果的に2006年9月19日のクーデターは「無血クーデター」として成功裏に終わって、政権は転覆したものの翌日もそんなに混乱はなかった。しかし、それは「たまたま」そうなっただけで、もしかしたら必死で空港に向かってタイから逃れようとした彼らの方が正しかったかもしれない。

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デマが広がっても、それを受け入れざるを得ないという教訓

私が今でもこのタイのクーデターを思い浮かべるのは、「現場にいたら正確な情報が把握できるわけではなく、デマが広がってもそれを受け入れざるを得ない」ことになるという教訓になったからだ。

タクシン首相(当時)と国王派が激しく対立しているという事実は私も知っていた。そして、クーデターが起きた映像は私はテレビで確かに見た。タイ人が「兵士がタクシンを攻撃(アタック)している」と叫んでいた。ここまではすべて事実だ。

そして、「タクシン首相は殺された」という情報が次にやってきた。私のまわりの女性たちはみんな「タクシンが殺された、死んだ」と言っていたし、彼女たちは確信を持って私にそう断言した。

彼女たちも噂を聞いてそれを信じていたのだが、その噂を現場で聞かされたら「いや、死体が映し出されていないのだから、それはデマかもしれない」と考えられるだろうか。私はできなかった。

「本当なのか?」と一抹の疑問はあったのだが、そもそも私の中では「今この瞬間にクーデターが起きた」ということ自体から現実離れした出来事だった。

だから「そうか、クーデターが起こったのか。そうか、タクシンが殺されたのか」と、すっとそのデマを受け入れた。クーデターという異常事態が起きたのであれば、タクシンが殺されるくらいのことが起きてもおかしくないと思ったのだ。

デマは渦中にいたら絶対に見抜けない。正しい情報と誤った情報が渾然一体となって押し寄せているので、どれが本当でどれが嘘なのか判別もできない。

なぜ、私はこんなことを今になって思い出しているのか。

今、全世界が大きな混乱の最中(さなか)にある。これから実体経済の悪化もまた押し寄せてくる。そして思うのだ。私たちは、きっと「何らかのデマ」に巻き込まれる時がくるのだろうと……。

その時、私は再び何かのデマを信じてしまうに違いない。判断できないから。私だけではない。誰もがデマに巻き込まれるはずだ。

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