自分の名前が「セルフイメージに合わない」と思って生きている人は大勢いる

自分の名前が「セルフイメージに合わない」と思って生きている人は大勢いる

自分の名前は自分で付けたわけでもないのに、一生涯自分のアイデンティティとして付いて回る。多くの人は子供の頃から名前を呼ばれて馴染んでいるので、次第に自分の名前に愛着を持って好きになることが多い。しかし、そうでない人も「17.85%」の割合でいる。ざっくり言えば、10人の人がいたら、そのうちの2人は自分の名前に違和感を持ち、「好きではない」「馴染めない」「自分に合わない」という感情を持っているということだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

自分自身のセルフイメージと名前が合致しない

あなたは自分の名前が好きだろうか。

2016年にマイナビウーマンが22歳から34歳の男女434人を対象にして『親が自分につけてくれた名前は気にいっていますか?』という設問を調査した結果、「はい」が82.15%、「いいえ」が17.85%になったと報告を出している。

自分の名前は自分で付けたわけでもないのに、一生涯自分のアイデンティティとして付いて回る。多くの人は子供の頃から名前を呼ばれて馴染んでいるので、次第に自分の名前に愛着を持って好きになることが多い。

しかし、そうでない人も「17.85%」の割合でいる。ざっくり言えば、10人の人がいたら、そのうちの2人は自分の名前に違和感を持ち、「好きではない」「馴染めない」「自分に合わない」という感情を持っているということだ。

よく問題になるのは性同一性障害の人たちだ。身体と心が一致しないので、心は女性で肉体が男性の性同一性障害者は、肉体だけでなく自分に付けられた名前にも大きな違和感を持つ。男性名が馴染めないのである。その逆も然りだ。

こうした事例は私たちもよく理解できる。しかし、ジェンダーに根ざした切実なもの以外にも「ちょっとした違和感」が払拭できなくて苦しんでいる人たちも多い。自分が持っているセルフイメージと名前が合致しないと思うのだ。

セルフイメージはあくまでも自分の感覚だ。もし自分のセルフイメージと名前が合致していなくても、「何が嫌なのか」を他人に説明しずらい。

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あまりにも奇をてらっている名前が増加している

「太郎」「一郎」などはよくある名前だ。シンプルで分かりやすくて親しみやすい。そのため、こうした名前を「良い名前」だとかなりの日本人は思う。そう思うからこそ、こうした名前は今も生き続けているのである。

しかし、それで日本中の「太郎」さんや「一郎」さんが、すべて満足しているかどうかは分からない。

中には、「凡庸だし、古くさいし、つまらない」と思って強い違和感に苦しんでいる人もいても不思議ではない。他人が「別におかしな名前ではない」と言っても本人には響かない。本人はまったくそのように思っていないからである。

セルフイメージが違っていると、それがどんな名前であっても駄目なのだ。

そう言えば、日本で奇妙で奇抜な名前を付ける親が増えて、いまや子供たちの半分はふりがながないと何と読んでいいのか分からない名前になっている。

「宇宙」と書いて「こすも」だとか、「海」と書いて「まりん」だとか、斬新すぎる名前はもう当たり前だ。私は詳しくはないのだが、もっと奇妙な名前もかなりあるということだけは知っている。

日本で有名になった命名騒動で「悪魔」という名前を子供に付けようとして拒絶された事例があった。この父親はそれでも悪魔にこだわった人だったが、行政は徹底抗戦で「子供の名前として相応しくない」と拒絶し続けていた。

後にこの父親は覚醒剤で逮捕されたので「やっぱりどこかおかしい人だったのか」と世間から改めて認識されたという後日談もあった。

最近では「王子様」という名前を付けられた高校3年生が自ら改名したというのも話題になった。

「悪魔」や「王子様」という名前で本人がいたく気に入ったのであれば、良いかもしれないが、なかなか許容できるものではないだろう。名前としてはあまりにも奇をてらっているからだ。

しかし、もし本人がその名前が自分のセルフイメージに合っていると思うのであれば、恐らく本人は誰が何と言おうと改名しないはずだ。自分に付けられた名前が良い名前か悪い名前かは自分の感覚でかなり違ってくる。

奇妙な名前でも自分が気に入っていれば、それは本人にとって良い名前になる。たとえ「悪魔」であってもそうだ。

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「アップル」「ノキア」「ログイン」という名前

欧米でも奇妙な名前を子供に付ける親が増えているというのは、しばしばニュースになっている。

「カラオケ」という名前にしたり、「グーグル」という名前にしたり、「エクセル」という名前にしたり、「メリークリスマス」という名前にしたりする親もいるのだ。こんな名前でも、取りあえず一部は許可はされているようだ。

ロシアでも名前に数字を入れたり、記号を入れたり、「大統領」という名前にしたりする親が次から次へと現れて、2017年には赤ん坊に風変わりな名前を付けることを禁ずる法律が制定されたほどだ。

タイはチューレン(ニックネーム)の文化があるのだが、このニックネームが年々奇抜化していることはよく報告されている。

かつては「マイ」とか「オイ」とか「ガイ」とか「ノック」みたいなタイ語由来のチューレンばかりだったが、最近は「アップル」だとか「ノキア」だとか「ログイン」みたいなチューレンもいると報告がある。

ちなみに私は「コーラ」や「アップル」というチューレンの女性と知り合っている。外国人には覚えやすいが、タイ人の伝統的なチューレンから見ると、やや外れていたのかもしれない。いや、時代を先取りしていたというべきか……。

タイのチューレンは親が子供に付けて、それがそのまま定着して本人もずっとそのチューレンを使い続けるケースも多いが、途中で自分自身が心の中にあるセルフイメージに合わせて付け変えてもいい。

そんな状態なので、タイも奇妙な呼び名が続々と増えている。奇妙な呼び名が流行るのは、いまや世界的流行になってしまったかのようでもある。

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セルフイメージと合わないという理由での改名は難しい

奇妙な名前と言えば、私自身もペンネームが「鈴木傾城」である。「傾城」というペンネームは多くの人にとっては奇妙でしかない。傾城を名前にするには「おかしい」のは承知している。だから、他人の奇妙な名前を奇妙だと私が言う資格はない。

「悪魔」という名前は一般的に見るとおかしいが、私がそれが奇妙だと言っても「お前のペンネームだって奇妙じゃないか」と言われれば何も言い返せない。それが「傾城」という言葉の語感だ。

しかし、私は20年も「傾城」で通しているのだから、私にとってはこの「傾城」がセルフイメージに合っているということでもある。私にとって「傾城」は馴染みすぎてもう自分の本名以上に自分の中で定着してしまった。

セルフイメージに合えば、奇妙な名前だろうが何だろうが心地良いというのは私自身が実感している。そのため、逆にセルフイメージに合わない名前で生きなければならない人は、なかなかつらいものがあるのではないかと同情する。

どうしても自分の名前がセルフイメージと合わないと考えて生きている人の中には、改名したいと考えている人もいる。

日本は改名に関しては家庭裁判所に改名の理由を提出して許可をもらわなければならないので、名前に関しては「厳格」に管理されている国であると言える。

絶対に改名されないというわけではなく、「奇妙な名前」「難し過ぎる名前」「同姓同名者がいる」「異性とまぎらわしい」「外国人とまぎらわしい」「僧侶になった」「通称として長く使った名前がある」という理由では改名が受け入れられるケースがある。

しかし、「セルフイメージと合わない」という理由では、なかなか受け入れられないはずだ。「申し立ての理由を書け」と言われても「何となく自分のイメージと合わない」というのは本当であっても拒否されることが多い。

しかし、そうであってもかなり強い意志で改名したいという人もいる。

そうした人には自分のセルフイメージに合った名前を最初に使って実績を積み上げていくという地道な方法もあるが、長い闘いになるようだ。そのため、多くの人は改名をあきらめて、違和感を持ちながらもずっと違和感ある名前で生きていく。

あなたは、自分の名前が気に入っているだろうか?

『子供の名前が危ない(牧野恭仁雄)』

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