最近、私は背中全面に巨大な鯉(こい)の和彫りを背負った女性と出会っている。
私自身は大して刺青に詳しいわけではないのだが、その私が見ても、彼女の刺青の精巧さと緻密さには驚いてしまうほどのものだった。
全裸になった彼女の「後ろ姿」には圧倒されて声も出なかった。東南アジアで私が見てきた売春する女たちのタトゥーとは完全に異次元のものであった。
私はそれを「美しい」と素直に感じた。しかし同時に私が思ったのは、この圧倒的な質感とインパクトは、確かに「人を選ぶ」ということだった。
私は変わった女性が好きなので彼女の異質さは受容できたが、それを拒絶する人がいても不思議ではない。
タトゥーが反社会的な人々の象徴になっているという事実とは別に、極端(エクストリーム)な装飾そのものが、それを引きつける人と拒絶する人を分けるのだ。
分かる人は分かる、分からない人は分からない。巨大なタトゥーを背負った女性は、別にすべての人に理解してもらおうとは思っていない。そして、どうなるのか。