価値よりも価格の安さに釣られて粗悪品を買うと最終的に損する理由とは?

価値よりも価格の安さに釣られて粗悪品を買うと最終的に損する理由とは?

中国は競争に打ち勝つために、全世界から非合法な手段で技術や機密を盗んで高品質な商品を製造する。しかし、その一方で丸パクリして劣化させた「粗悪品」をも世界中にばらまく。

高品質なものを作るのは難しいが、粗悪品を作るのは簡単だ。そのため、世界中どこでも粗悪品を見ない日はない。「安かろう、悪かろう」であると分かっていても、安ければ買う人間がどこにでもいるのだ。

私は途上国を好んで旅していたので、粗悪品を大量に見てきた。貧困層の文化の中に潜んでいたのだから、他の日本人よりも粗悪品文化の中で生きてきたと言えるのかもしれない。

粗悪品しか手に入らない時は、仕方なく粗悪品を買う。しかし、結局のところ大して長持ちもせず、ゴミが増えるばかりであることも分かっている。

途上国には、どこでも粗悪品を集めたような「泥棒市場」もある。見ている分には面白いかもしれないが、いつしか、こういった物にはあまり関わらない方がいいと思うようになった。

無駄なものは最初から買わないように気をつけている。価格に釣られるのではなく、価値を見たいからだ。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

市場に満ち溢れている粗悪品

東南アジアではタイも粗悪品だらけだが、隣国のカンボジアはタイにも増して粗悪品に満ち溢れている。Tシャツを買えばその日のうちに破れるし、ヘッドホンを買ったらその日から音が割れている。

新装オープンしたカンボジアの中華レストランでは、新品のはずのテーブルが、ガタガタと揺れているし、プラスチック製のイスは強度が足りずにすぐにも壊れそうな有様だった。

今はどうなのか知らないが、首都プノンペンのオルセー・マーケットの中で売っているものは、ありとあらゆるものが粗悪品だった。

新品のバッグでさえ、中古品にしか見えないようなそんな状態だったのだ。カンボジアのみならず、インドでもバングラデシュでも、市場に満ち溢れているのはだいたいが粗悪品である。作りは雑で、妙な薬品臭もする。

もっとも、現地の人たちはそれで何とも思っていない。生まれてこの方、粗悪品しか見たことのない途上国の貧困層の人たちは、粗悪品の質が当たり前のものだと判断する。比較ができないからだ。

逆に言えば、それが粗悪品だと判断できるのは、私が先進国の品質を知っていて、比較ができるからでもある。

私はブランド志向でも高級品志向でもない。また、モノに対して何か特別な執着や意見があるわけではない。高くて良い品物と、安くて良い品物があったら、もちろん安くて良い品物を選ぶ。それについては異議はない。

しかし、見るからに「悪かろう安かろう」「丸パクリの劣化品」については、もしそれがパクリ製品だと分かっているのであれば、決して手を出さない。粗悪品と素晴らしい製品を交互に使っているうちに、結局はひとつの大切な真理に気付くようになった。

それは「価格よりも価値の方が重要だ」というものである。

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途上国でも、素晴らしいものは存在している

誤解してはいけないのは、途上国だから信頼できる製品が何もないわけではないということだ。途上国でも素晴らしい製品が山ほどある。そういった製品は、もちろんその国独自のブランドとして広く知られていて人々に信頼されている。

よく研究され、日本に持って帰りたいような質の良い布や家具や籐製品や食品はたくさんある。粗悪品に満ち溢れているインドでも、非常に信用されている国産のブランドがある。

途上国でも、素晴らしいものは存在しているのである。

しかし、同時に、どうしようもないまでに情けない粗悪品もまた溢れている。技術的には向上できるはずなのに、それをせず、丸パクリして劣化させたような粗悪品ばかりを作っている。

製造者は、もともとその程度の「やる気」しかなかったわけだと推測することができる。「やる気のなさ」が製品の質になっている。こういったものが途上国から駆逐できない限り、途上国は発展しない。なぜなら、丸パクリの劣化した粗悪品には、イノベーションがないからだ。

そこから新しいものは生まれないのである。

また、そのような業者がはびこることによって、独自のものを生み出す力が削がれてしまう。質の良いものを欲しがる消費者が多い国では、ブランドが育ち、イノベーションが起き、質が向上することによって競争力も生まれていく。

粗悪品であっても安いものを欲しがる消費者が多い国では、まがい物が横行し、イノベーションは停滞し、質はどんどん悪くなって競争力もなくなっていく。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

社会を守り、自分を守る方法

今の日本に危機感を覚えるのは、現代の日本人は質よりも安物ばかりを選ぶようになっていることだ。価格ばかりを見て、価値を見ない人が増えてしまった。

消費者が価値よりも価格を重視するようになると、必然的に安物が良品を駆逐してしまい「安物しか買えない国」になってしまう。

「安物しか買わない」ようになることで、「安物しか買えない」環境に追い詰められていく。経済とはそうやって回っているのだから、全体を俯瞰して考えると、それは当然のことだ。

丸パクリして劣化させた粗悪品を買ったり、利用したりしては最終的に私たちが損してしまうのだ。社会が「価値あるよりも粗悪品の方が重要だ」と言っているようなものだから、これで社会が良くなるはずがない。

粗悪品は長持ちしないから、ゴミが増えるだけになる。環境にも悪い。粗悪品に関わっていると、その程度のものしか生み出せない国になる。粗悪品に関わることは、自分の人生体験や、場合によっては自分自身をも、知らずして粗悪品にしてしまうということでもある。

・価値ある本物を選ぶ。
・少しでも質の高い物を選ぶ。
・粗悪品には関わらない。

そんな当たり前のことを守るだけで、結局は社会を守り、自分を守ることになる。ここに気付かず、粗悪品ばかりに関わる日本人が増えていることが不安だ。せめて、自分が日頃よく使うものだけでも、きちんとした品物を持ったほうがいい。

「価格よりも価値で選んだものは心地が良い」という体験が増えれば、自然と価値で選ぶことが増えて、そうした積み重ねが社会を良いものにする。これは、昔の日本人なら説明されなくても分かっていたことでもある。(written by 鈴木傾城)

粗悪品であっても安いものを欲しがる消費者が多い国では、まがい物が横行し、イノベーションは停滞し、質はどんどん悪くなって競争力もなくなっていく。粗悪品から脱却した時、国は発展していく。

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