教育を受けたら得るどころか失うものもある。教育であなたは何を失ったのか?

教育を受けたら得るどころか失うものもある。教育であなたは何を失ったのか?

日本の学校は「何かを学ぶ場所」だけと思っている人がいまだにいる。それは表向きで、誰も語らない裏の目的もあったのだ。教育を受けたら得るどころか失うものもある。あなたは自分が本当の得意だったもの、自分の能力、自分の武器を奪われたのかもしれない。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

あらゆる面で「これ」を推し進めた

今まで人々を守ってきた「国家」は恒常的な財政赤字で苦しむようになっていき、国民の生活を守るどころか税金を苛烈に取り立てるようになって人々を追い込むようになってきている。

今まで人々を守ってきた「企業」は資本主義の変質で常に利益向上を求められるようになっていき、社員を終身雇用で雇う余裕は消え去ってどんどんリストラに励むようになってきている。

その結果、人々は自分自身の能力で生きなければならない社会になっているのだが、「自分自身で生きる」ためには、他人との差別化が重要になる。すなわち「卓越した個性」「飛び抜けた個性」が求められるようになる。

だが、日本人は個性を発揮するよりも個性を殺すほうが得意な民族である。それは、しかたがない面もある。かつての日本は村社会であり、近代の日本は会社社会であり、組織の中で常に「均質」であることが求められていたからだ。

この均質化を強化したのは「工業化」でもある。

日本は戦後まもなく高度成長期に入っていったが、この高度成長期を支えていたのが「工業化」だった。工業化とは何か。工業化とは「同じ物を大量に作る」ということなのだ。完全に、色も形も重さも一致させた「規格品」を大量に作る。

工業化によって作られた物質はひとつひとつ個性があってはならず、完璧なまでに「同じ」である必要があった。大量生産の中での「個性」とは欠陥なのだ。

だから、色が薄かったり濃かったり、少し大きかったり小さかったり、多かったり少なかったり、形がいびつだったりしたらいけなかった。製品は、何もかも同じである必要があった。

こうした均質的な工業製品を作り出す中で、日本企業は次第に「均質化」することに強く固執するようになっていった。完璧なまでに均質化された製品であればあるほど賞賛され、世界中に売れていったからだ。

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そして、それは人間にも適用された

日本人が尊ぶ「型」や「作法」や「道」は、じつは均質化を芸術的なまでに突きつめたものでもある。日本の文化や風土にもともと均質的傾向があった。

そのため、工業化の本質は均質化であることを日本企業は素早く気づき、均質的傾向のあった日本のメリットを最大限に活かして成功した。

高度成長期に入ってからの戦後の日本は、まるで当たり前のように、あらゆる面でこの「均質化」を徹底的に推し進めていった。

「規格化」「大量生産」「標準化」「効率化」とは、要するに同じものを作るための仕組みである。1ミリの狂いもなく同じものを作ることで躍進した日本企業は、以後は偏執的に均質化に固執した。

均質化は、まったく悪いことではない。それは効率と合理化のために役立つ。だが、それが人間にも徹底されると問題が生じる。行き過ぎると弊害が発生し、社会にゆがみが生じるのだが、その「ゆがみ」に日本人はあまり注目してこなかった。

均質化に対して深い考察をせず、メリットばかりに焦点を当てて、そのまま突っ走っていった。いってみれば、日本は「それが当たり前」だと思って均質化主義に走っていったのだ。

そして均質化主義は、人間の均質化にも適用された。規格化された工業製品を作るのと同じように、人間も能力や考えかたや生きかたにバラツキがないほうが使いやすくていいと企業は考えたのだ。

考えかたも、言動も、生活リズムも、「均質」である人間であれば、組織の中で入れ替えにも使い捨てにも便利だ。だから、企業は均質化された人間を政府に求め、政府は教育で子供たちがそうなるように仕立て上げた。

日本人は教育によって完全に均質化された。大量生産の中では不良品が許されないように、日本の教育の中では生徒の個性など「あってはならなかった」のだ。

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学校は学びにいくだけの場所ではない?

個性は工業化時代には役に立たないものだった。個性のある人間は、組織の中で歯車にならないからだ。必要だったのは、組織内で取り替えがきく規格化された人間だった。個性よりも均質化された人材を企業は必要としていた。

企業はそれを政府に要請し、政府はそれに応えた。

だから、同じ教科書が使われ、同じ教育方法が取られ、同じカリキュラムで教育が進められた。生徒の個性を奪うために、子供は制服という同じ色・同じ作り・同じ品質の服を着せられ、場合によっては髪型も同じにさせられた。

同じように行動するために「団体行動」をきちんとできるように徹底教育された。「組み体操」も危険だといわれながら続けられていたのは、やはり規格化された成果を見せるためでもある。

「組み体操」をする子供たちのひとりひとりは大量生産品の部品として機能していることの表示だった。

規格化された存在は集団では強い。だから規格化されたメリットはたしかにある。しかし、それは集団で見たときの話であって、個人で見るとどうなのだろうか。

日本の学校は「何かを学ぶ場所」だけと思っている人がいまだにいる。それは表向きで、誰も語らない裏の目的もあったのだ。日本の学校教育は「みんなと同じになる」ように矯正される場所でもあった。

そこは「みんなが同じになる」ための工場だった。だから、優秀な部分を伸ばすという教育に力を入れることはほとんどない。そんなことをすれば生徒ひとりひとりが「個性的」になってしまう。

個性的というのは「ほかとは違う」ということで、均質性の人材を求める企業にとっては邪魔である。

個性を消して人間そのものを規格品のようにするためには、どうすればいいのか。簡単だ。優秀な部分を抑え、不得意科目を補習させて平均に近づければいい。

わかるだろうか。得意を抑え、不得意を平均に近づけ、「同じ人間」になるように徹底的に躾けている。それを日本では「教育」と呼ぶ。その規格に馴染まない人間を何というか。「不良」という。

規格に合わない製品は「不良品」だ。
教育に合わない人間は「不良」だ。

要するに、大量生産からはみ出した人間は、工業製品の不良品と同列で「不良」といわれている。そういった人間は、規格に合わないので、規格品を求めている会社は受け入れない。

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教育を受けて、それを失ったのかも……

日本の会社は、規格品を大量生産する場所だ。だから、教育からはみ出した人間は「規格品として合格していない」から雇わないで弾く。

日本の会社は、個性は求めていない。だから、日本企業は人材を採用するときには学歴を重視する。学歴が高ければ高いほど「よく躾けられた優秀な規格品」だとわかるからだ。

日本企業はこれまで、個性などない人間のほうが都合がいいと考えていたのだ。日本企業には、そんな人間が大量に必要だった。

日本企業の総本山は経団連で、経団連は政府や議員に対して強い影響力を持つ。経団連の方針が、政府の方針になるともいえる。その経団連が「個性のない人材が都合がいい」というならば、政府はそういう人間を教育で作り出す。

意図的に、可も不可もなく、没個性的で、自分の意見もなく、団体行動だけが得意な人間を日本は意図的に生み出した。

いわれた通りにしか動けない。いわれたことしかできない。自分で考えることはない。マニュアルに沿って動く。考えずに質問してその通り動く。そういう人間を企業が求め、政府はその企業の要請に沿って教育で子供たちを没個性に仕立てた。

私たちは自分だけは違うと思うかもしれない。自分に個性があることは自分自身が一番よく知っているから、自分が均質化されたとは思わない。

だが、日本の教育を受けたのであれば、均質化を押しつけられ、得手を封印された犠牲者である可能性がある。教育を受けて何か得たと思っているが、逆だったのかもしれない。奪われたのかもしれない。

あなたは自分が本当の得意だったもの、自分の能力、自分の武器を「均質化を重視する教育」で、かき消された可能性を考えたことがあるだろうか。本当は、自分の個性と可能性を教育で失ったのかもしれない。

とはいっても、ほとんどの日本人はそれを憂うことはないだろう。

なぜなら、教育で「個性を奪われた」など想像したこともないからだ。本来は「飛び抜けた個性」があったのかもしれないが、それが「矯正された」と想像したこともないからだ。

邪悪な世界の落とし穴
『邪悪な世界の落とし穴 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナにおちる(鈴木 傾城)』

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