私にとっては、売春する女性たち、売春していた女性たち、心が傷ついた女性たち、闇と陰を抱えた女性たちは、取材の対象ではない。研究や救済の対象でもない。
彼女たちは、私にとって恋愛の対象だ。
なぜなら、私は20歳の頃にタイの売春地帯パッポンで知り合ったマイという女性に惹かれ、それが私にとって大切な女性体験になったという過去があるからだ。(パッポンのマイ。なぜ自分はここまで堕ちたのかと、涙した)
彼女は身体を売って生きていた。彼女は何も持たなかった。彼女は必死に生きていた。何も考えずに生きていた平凡な私とは違って、彼女はずっと大人でずっと賢かった。
そんな彼女を私は本当に惹かれたし、彼女の何もかもがまぶしく見えた。本当に好きだった。たまらなく心が躍った。
売春して生きているということですらも、「何も持たない女性が自分の力で自立している」という意味で、むしろポジティブに受け入れた。
彼女とは急激にうまくいかなくなったが、それでも彼女との出会いは鮮烈で、その後の私の人生を完全に変えてしまった。彼女と会う前と後では、私は完全に別人になっていた。