身体を売って生きてきた女たちのことを歌った名曲10曲を聞いてみる

身体を売って生きてきた女たちのことを歌った名曲10曲を聞いてみる

世の中には売春する女たちを直接的にも間接的にも歌った歌が膨大に存在する。日本もそうだし、外国でもそうだ。

以前、ナイジェリアのストリート売春をする女たちの心が震えるようなブルースを紹介したことがあったが、こうした曲は売春する女たちと関わってきた男こそが聞くべき音楽だ。(ブラックアジア:ナイジェリアの売春する女性を取り上げたブルージーな歌

売春する女たちの曲は、素朴なブルースが最も似合うと私は思っている。実際に私が好んで聞くのもそうしたブルースだ。

しかし、実のところ売春する女たちを歌った歌はロックからポップからラップから演歌までジャンルを問わずに存在しているのが事実であり、古い歌から新しい歌まで、キラ星のように散らばっている。

たまに、そうした歌を見つけると、私は嬉しくなってしまう。自分が関わってきた女たちが主人公の歌なのだから、私が嬉しくならない方がおかしい。

そうした中で、膨大にありすぎて収拾がつかなくなりそうな曲の中から、身体を売って生きてきた女たちのことを歌った名曲10曲を紹介してみたい。知っている歌も、知らない歌もあると思う。好きになれる曲はあるだろうか。

朝日のあたる家(ボブ・ディラン) / 朝日楼(ちあきなおみ)

 

ノーベル「文学賞」を受賞して大騒ぎになったのがボブ・ディランだが、このボブ・ディランは『朝日のあたる家』を取り上げた一曲がある。『朝日のあたる家』と言えばアニマルズが有名なのだが、こちらを聞くと主人公は若い男で売春を匂わせる歌詞は出てこない。

しかし、ボブ・ディラン版は「朝日のあたる家と呼ばれている建物があって、そこには身を持ち崩した貧しい女たちがいる」と歌い、それが「ライジングサン」という売春宿であったことを歌っている。実は、この『朝日のあたる家』は非常に古くから民衆の間に伝わってきたブルースで、このボブ・ディラン版の方が歌の原点に近いのだ。

『朝日のあたる家』の正体は売春宿だったのである。

売春宿は古い言い方をすれば娼館となる。日本で娼館と言えば吉原などの遊郭がすぐに思い浮かぶが、こうした遊郭の建物は一流どころは「玉楼」「大文字」「稲本」「角海老楼」など「楼」が付けられていた。

この『朝日のあたる家』を『朝日楼』と呼び替えて日本語でこの歌を歌った歌手がいる。それが、往年の名歌手「ちあきなおみ」だった。とても壮絶な歌だ。聞いたことがあるだろうか?

 

 

アコーディオン弾き(エディット・ピアフ)

私が愛するフランスの大歌手エディット・ピアフも、売春する女の歌を歌っている。『アコーディオン弾き』がそれだ。歌の主人公は「La fille de joie」とあって、これは「喜びの女の子」とも「場末の女の子」とも訳せるのだが、その意味するところは言うまでもなく売春する女の子を指している。

売春する女の子が惚れているのがアコーディオン弾きで、貧しい生活の中で愛する彼氏がストリートで引くアコーディオンにうっとりしている光景を歌ったものだ。しかし、男は戦争で消えていき、女はひとり取り残される。売春する生活から抜け出せないまあアコーディオンの響きが忘れられない。ピアフが生きていた時代の戦争の匂いがする。そんな歌である。

 

 

星の流れに(菊池章子)

戦争の匂い、貧困、売春。こうした暗い影を持った歌がヒットすることは滅多にない。しかし、日本でもそうした境遇をストレートに歌って誰もが口ずさんだ「暗い歌」があった。それが、菊池章子 の『星の流れに』である。これは実話を曲にしたもので、歌にも怨念のようなものが籠もっている。もう誰もこの歌を聞かないのかもしれないが、私はたまに聞いている。「こんな女に誰がした」という強烈なセリフが戦後の日本の人々の胸を刺した。

「飢えて今頃、妹はどこに。一目逢いたい、お母さん。ルージュ哀(かな)しや、唇かめば、闇の夜風も泣いて吹く。こんな女に誰がした」

このような女たちの姿はもう日本から消え、こんな荒廃した曲も人々は聞かなくなった。

 

 

藤圭子の夢は夜ひらく(藤圭子)

暗い曲と言えば、壮絶に暗い曲なのに大ヒットした「夜の女」を歌った曲もある。主人公は、売春する女なのか水商売の女なのか、このあたりは曲の中ではぼかされているので意見は割れている。私は売春する女を歌った曲であると受け止めている。だからこそ、これだけの情念がこの曲にあるのだと考えている。

「15、16、17と、私の人生暗かった。過去はどんなに暗くとも夢は夜ひらく」夢は開いているのだが現実は閉ざされていて、真夜中に彼女の元に忘れられない男たちが次々とやってくる。「昨日マー坊、今日トミー。明日はジョージかけん坊か」と続いて、「馬鹿にゃ未練はないけれど忘れられない奴ばかり」と閉じる。

 

バッド・ガールズ(ドナ・サマー)

もちろん、売春する女たちの歌は暗い曲調ばかりのものではなく、中にはディスコ・ミュージックの中で歌われたものもある。有名なのは、ドナ・サマーの「バッド・ガールズ」だろうか。

「見てあの子たち、夜になるとストリートに出てくるの。そして見知らぬ男を片っ端からひっかけてるわ。もし価格が正当ならね」と、売春をあからさまに歌っている。

この露骨なセックスワーカー(バッド・ガールズ)の歌は嫌いではない。ドナ・サマーの歌の中で一番好きだ。

 

 

コール・ミー(ブロンディ)

ディスコ・ミュージックは1980年代にはパンクやレゲエと結びついていったりしたのだが、そこでスマッシュ・ヒットを放ったコールガールを歌った曲がある。ブロンディの『コール・ミー』だ。

「私を染めて、あなたの色に、ベイビー。私を染めて、あなたの車の色に」で始まる歌は、要するにどんな男にも、その男の色に染まって楽しませるコールガールの心意気が歌われている。そして、「コール・ミー(連絡して)、この電話番号に。いつでも。そしたら私はやってくるから。昼でも夜でも連絡して」と歌う。歴史に残る名曲だ。

 

 

レディー・マーマレード(ラベル)

以前、ブラックアジアでニューオリンズのストーリーヴィルを取り上げたのを覚えている人もいるかもしれない。(ブラックアジア:ストーリーヴィル。1900年代初期アメリカ最大の売春地帯

当時、河から海岸にまで続いている水路は重要な役割を果たしていて、その中でニューオリンズは非常に重要な役割を果たした都市だった。

『朝日のあたる家』も舞台はニューオリンズだが、ここには黒人たちも多く集まってきていた。その中で、フランス人との混血だったりする黒人女性も売春をしていたのだが、ニューオリンズではこうした女性たちがそのまま住み着いて、黒人は黒人でも多様な黒人がいる場所になっていた。

こうした女性たちが男に「ねぇ、あんたやりたくない?」とあからさまに声をかけて、フレンチ・クレオールで「今晩寝てみない?」「一緒に寝ない?」と叫ぶのがラベルというグループが歌う『レディー・マーマレード』だ。モータウンサウンドを継承したヒップな曲は聞いているだけで楽しい。

 

ワイルド・サイドを歩け(ルー・リード)

売春地帯にはレディーボーイは付き物だ。私は会ったことはないが、日本でもニューハーフたちが風俗で売春をしている。「男娼」と呼ばれる存在は本当にどこにでも存在していて、アンダーグラウンドの一角を占めている。こうしたレディーボーイやニューハーフのようなトランスジェンダーを歌った歌などあるのだろうか。

それが、きちんと存在するのが世の中の多様性だ。ルー・リードの『ワイルド・サイドを歩け』がそれだ。これもまた私が好きな曲である。マイアミからやってくる途中で眉毛を抜いてすね毛も剃って「彼女」になった女性が、主人公に問いかけるのだ。「ねえ、ヤバイ方を歩いてみない?」

こんな「ヤバイ(ワイルド・サイド)歌」なのに、どこか不思議な明るさがある。

 

 

プライベート・ダンサー(ティナ・ターナー)

不遇だったティナ・ターナーが45歳で再ブレイクしたのは、この『プライベート・ダンサー』の大ヒットだった。アイク・ターナーと愛の歌を高らかに歌っていた初期のティナ・ターナーの姿はそこにはなかった。ティナ・ターナーが歌ったのは、金のために誰とでも寝るひとりの女性の歌だったのである。

「みんなここ(売春宿)にやってくる。どの男もみんな同じ。男の顔なんか見ちゃ駄目。名前なんか聞かなくてもいい。人間とも思わなくてもいいから。男のことなんか何か考えなくてもいいの。ただ、お金のことだけ心に思い、目は壁を見つめ続けるの」「私はプライベート・ダンサーだから。お金のために踊るわ。あなたが私にしたいことを私はするわ」

ティナ・ターナーはそうやって金のために壁を見つめる悲しい女の歌を歌い、不遇から這い上がった。印象に残る歌でもある。

 

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

一般カテゴリの最新記事