◆1970年代のベトナムと、当時の売春地帯と女性たちの光景

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現在のタイの歓楽街、パッポン、ナナ、テルメ、ソイ・カウボーイ、そしてパタヤの原型は1970年代のベトナム戦争によって作られた。(パッポン。ベトナム戦争が作り上げたアジア最大の歓楽地

ベトナムとカンボジアは共産主義の猛威に席巻されていたが、タイは明確にアメリカ陣営であり、当時のタイ軍事政権はタイ全土にアメリカ軍に後方基地を提供し、空港を使うことを許可した。

だから、アメリカ軍はサイゴンに拠点があったのと同時に、タイにも数多くの拠点を持っていた。この拠点の周囲に売春地帯ができあがったのだ。

これらの売春地帯は元々、前線から降りてきたアメリカ兵のための娯楽施設(レクリエーションセンター)として作られたものだった。

いつ終わるとも分からない戦争で、数万人もの若いアメリカ兵が東南アジアに釘付けになっており、彼らのフラストレーションを何とか収める必要があった。アルコールとセックスは、娯楽施設には欠かせないものだったのだ。

アメリカは戦争に負けたのでサイゴンの娯楽施設(レクリエーションセンター)はすべて駆逐されてしまったのだが、タイでは残った。それが、今の歓楽街の元になっている。

ところで、消えてしまった幻のサイゴン売春地帯はどんなもので、どのような雰囲気だったのか。こんなものだった。

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