「自由」の本当の正体は、世間に背を向けた風俗嬢が知っている?

「自由」の本当の正体は、世間に背を向けた風俗嬢が知っている?

今まで多くの風俗嬢と会ってきたのだが、振り返って見ると記憶に残るのはやはり強烈な「自分」を持ち合わせている女性だった。

私は一度会った女性とは二度と会わないのが基本なのだが、もう一度会ってみたいと不意に思う風俗嬢がふたりいる。

ひとりは肩から背中から太腿まで大きな鯉の絵を入れた風俗嬢で、見かけはごく普通の女性に見えたのだが、服を脱ぐとまったく異質な世界を背負っていた。

東南アジアで見る刺青というのは稚拙なものが多いし、そこから文化を感じるのはタイのサクヤンくらいで、後は思い付きのような、行き当たりばったりのような刺青が多かった。(ブラックアジア:サクヤン(Sak Yant)。タイ伝統の美しく迫力あるタトゥー

好きになった女性のタトゥーを思い出して懐かしく思うことはあるが、そのタトゥーに感銘を受けたというのはない。背中一面にブッダの巨大なタトゥーを入れている女性には驚いたが、驚いただけで感銘は受けなかった。

しかし、日本で会った背中一面に和彫りの刺青を入れている女性には、私は本当に感銘を受けて「和彫りというのはこんなにすごいのか」と驚嘆したのだった。

彼女はその背負った刺青に誇りを持っており、そのインパクトに私は感動した。

私が感銘を受け、心に残ったふたりの風俗嬢のこと

私自身はタトゥーや刺青のマニアではないし、特別大きな関心を持っているわけではない。刺青の歴史的な経緯や背負っている人たちの事情についても興味はない。

自分が入れようと思ったこともないし、そもそも私は「絵」そのものに何も思い入れを持ったことがないのだ。

だから、私が背中一面の「鯉」を見て自分がそこまで感銘を受けるとは思ってもいなかったのだが、正直に言うと本当に惹かれてしまった。

彼女は惚れた男に一途で「愛することに命を賭けていた」と言ったのだが、そのために表社会と決別する紋章を背負ったのだった。女性が大きな刺青を背中に入れると、もう普通の仕事などできない。

しかし、彼女はあえて世間から疎外される道を選んだ。

世間から受け入れられないような生き方をわざわざ選んでしまうということに、「ああ、自分と同じかも」と感じるものがあった。彼女も野良犬だが、私も別の種類の野良犬だ。

表社会よりも自分の流儀に生きている女性が私は好きだ。たまらなく惹かれる。

だから、そのときはそれほど深く思わなかったのだが、今になって振り返ると強烈な印象になって残っていたのだった。彼女の話は電子書籍『デリヘル嬢と会う(巨大な鯉を背負った女)に収録』に収録した。

もうひとりの女性は日本全国の風俗街を転々として生きている流れ者の風俗嬢だ。あちこちふらふらしながら生きるのは普通は男が好む生き方で、女性がそんな生き方をするのは珍しい部類に入る。

しかし、「一箇所に居着きたくない、誰かとしがらみを作りたくない、顔なじみができると断ち切りたい」と思う風俗嬢がいて、こうした女性が全国の風俗街を転々として生きていた。

「私は根なし草なんです」と彼女は言った。やはり彼女も人間関係を断ち切り、表社会に背を向け、アンダーグラウンドの闇を風のように吹かれながら生きていた。(電子書籍『デリヘル嬢と会う2(出稼ぎ風俗嬢)に収録』

やはり私は感銘を受けた。「そうか、やはり彼女も自分と同じだったんだな」と思って惹かれた。

鯉を背負った女性も、根なし草の女性も、もう二度と会うことはない。実は流れ者の風俗嬢はブログを持っていたのを私は知っているのだが、そのブログも更新が途絶えて消えた。会う手段はない。

しかし、このふたりについては本当に大きなインパクトを受けて心に残った。

疎外が苦にならなかったので自由になってしまった

このふたりは私にとって特別な感情を思い起こさせる。このふたりが今はどこで何をしているのか、私は知る手段を持っていない。

最初から関係がすっぱりと切れるように、私は彼女たちの連絡先は何も聞かなかったし、私自身も自分の情報を何も与えなかった。だから、本当に刹那的に会って刹那的に切れて、後は想い出だけが残るような淡い関係だ。

アンダーグラウンドに生きる人間は、みんなそういう傾向がある。私だけではないし、彼女たちだけではない。みんな、孤独と疎外の狭間で生きている。

それが心地良いと思う人間がアンダーグラウンドにいる。

「もしかしたら、アンダーグラウンドにあるのは無尽蔵の自由なのではないか」

時々、私はそのように心に思うことがある。地雷専門店のデリヘル「デッドボール」に所属していたアボットさんに会って話を聞いたことがあるが、彼女も「私は天涯孤独」「私が何をしようと私の自由じゃないですか」と言っていた。

「私の自由」という言葉は、何気なく彼女の口から出てすっと消えてしまったが、私は「自由」という言葉をしみじみと噛みしめる。

アンダーグラウンドをうろうろしている人間というのは、早い話が表社会とはうまく折り合いがつけられないことが多い。世間といちいち衝突する。

そのため、気がつけば世間から爪弾きにされて追い出された人間であると言える。いや、自分からふらふらと外れていった人間であると言うべきか。

大きな刺青を背負った風俗嬢も、全国を転々とする根なし草の風俗嬢も、アボットさんも、さらに言えばそもそも私自身もそんな面がある。

ふらふらと、世間から外れた。そして、明日がどっちなのか見えないまま、とりあえず前を歩いている。

孤立は別の側面で見ると「限りなく自由」な状態

「他人の言うことを聞かない」「他人と協調しない」「他人の命令を嘲笑う」「他人としばしば衝突する」「自分の興味のあることしかしない」という性向が強い人間はどこにもいる。

「このようにしなさい」と言われれば逆にそのようにしたくなくなる人間もいる。

多くの人はこうした性向のままでいると「ちょっとマズイ」と思う。衝突ばかりしていると不利益をこうむると考えて、自ら矯正する。

しかし、社会に出てもこの性向のまま突き進む人たちも世の中にはいる。あまりにその身勝手な度合いが強いと、遅かれ早かれ表社会から弾き飛ばされる。

私が今までアンダーグラウンドで知り合った男たち女たちは、そうした傾向が強くあった人が多かったと思う。一筋縄でいかない性格と言うのだろうか。

だから、彼らは表社会で孤立して自ら転々としたり、アンダーグラウンドに降りてきたりして生きるようになる。

客観的に見ると、彼らは誰からも相手にされなくなって孤立しているのだが、この孤立は別の側面で見ると実は「限りなく自由である」ということでもある。

そうだった。私が惹かれた女性ふたりは疎外されることによって「自由」になったのだ。

束縛された社会の中で「自由になりたい」と切望する人は多いと思うが、自由になるというのは孤立することなのだ。孤立と自由は表裏一体だ。

私がアンダーグラウンドを心地よいと思ったのは、もともと孤独が性に合っていて疎外が苦にならなかったという面が強かったのかもしれない。

私は孤独であるがゆえに自由であったと言える。今もそうした孤独を好む性質はまったく変わらないので、皮肉なことにそれが自由をもたらしてくれている。

彼女たちはどうしているだろう。もちろん「自由」のままだろう。どのみち、もう表社会には戻れないのだから。彼女たちには彼女たちの生き方がある。私は理解している。強烈な孤独の中で飄々と生きている女性たちを私は愛している。

 

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