虐待に耐えるのは「助けを求めても無駄」という学習の結果

虐待に耐えるのは「助けを求めても無駄」という学習の結果

今、右肩上がりで増えているものがある。児童虐待だ。

全国の児童相談所がまとめた「児童相談所が対応した虐待の件数」は最新のデータでは2016年の数字が出ているのだが、前年比18.7%増の12万2578件にのぼり、これは過去最多の数字となっている。

児童虐待の対応が最も多かったのは大阪で1万7743件、その次に東京で1万2429件である。

東京と大阪では東京の方が約33%人口が多い。にも関わらず、大阪は東京よりも42.75%も虐待が多い。その理由は分析されていないので分からない。

虐待が増えている理由は、虐待が「その家庭の事情」で見過ごすのではなく、気付いたまわりが積極的に通報するようになったということもある。そのため、一概に時代が悪くなったから虐待が増えたとは断定しがたい部分もある。

しかし、虐待の対応件数がここ20年でずっと右肩上がりで、10年前と比べても4倍になっているというのは尋常ではない。「虐待が本当に増えている」と考える関係者が増えた。

貧困と虐待の関連性を疑う人も多い。児童虐待を専門にしたNPO団体が「子どもの貧困と虐待。関連があると思いますか?」と統計を取ったところ、85%が「イエス」と答えている。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

誰もができることなのに、自分だけができない

子供への虐待は、貧困が極まっていけばいくほど増加していくのはよく知られた社会的現象だ。貧困は人々をいらつかせ、人間関係を極度に悪化させていく。

その理由は明らかだ。経済的に余裕がなくなり、自分ひとりが生きるのに精一杯で、困窮することによって心身共に追い詰められていくからである。

虐待については途上国ではごく一般的なものであり、国が貧しいこともあって被害者は放置されたままであることも多い。

虐待の理由のすべてが貧困ではないのだが、貧困が占める割合はとても大きい。虐待されて育った子供たちの存在はこれから大きな社会問題になっていくのは避けられない。

虐待の中で生まれ育った子供たちが、どのような心理状態になって育っていくのかというのは、欧米では早くから研究されている。

その中で、人々の耳目を引いたのは「学習性無力感」と呼ばれるものである。これは、1960年代の後半から10年以上にも渡って研究されて解明されたものだ。

「学習性無力感」とは何か。

学習性無力感について知らなくても、私たちは単なる「無力感」であれば知っている。無力感は誰でも経験するものである。私たちも挫折して無力感を覚えた日があるはずだ。

誰もができることなのに自分だけができない。何度やっても自分だけが失敗する。誰にも、そんな「いまいましいもの」がある。

最初の何度かを失敗した時「いや、もう少し頑張ればできるはずだ」と考えて頑張るのだが、やってもやっても失敗してしまう。ふとした無力感は、そんな時に浮かんでくる。

たとえば、何をどうしても泳げない子供がいる。そんな子供は自分の努力がムダだと悟った時、心の中にじわじわと無力感が広がっていく。すると、もう努力すらしなくなる。無理しても必ず失敗する。

「自分はそれができない」というのを学習し、乗り越える気力が出てこない。つまり、無力感を学習したことになる。この状態を「学習性無力感」という。

日本でも虐待の対応件数がここ20年でずっと右肩上がりで、10年前と比べても4倍になっているというのは尋常ではない。「虐待が本当に増えている」と考える関係者が増えた。

「もう抜け出す気力が残っていない」ということ

虐待の渦中にある子供が、やがて暴力を振るわれても抵抗すらしなくなるのはなぜか。

まさに「抵抗しても暴力から逃れられない、受け入れるしかない」という無力感を学習するからである。「学習性無力感」に堕ちたのだ。

ずっと暴力を振るわれ続け、そこから逃れられなくなり、「学習性無力感」に堕ちた子供たちは、それからずっと暴力を振るわれ続けられることになる。

最初に何度も抵抗して失敗し、それからも繰り返し心理的にも肉体的にも圧力にさらされ、自分の尊厳が完膚なまでに踏みにじられると、もうそれを受け入れて為すがままにされるしかなくなるのである。

どんなに激しく殴られても耐える。アザになるだけでなく、骨が折れるような重篤な怪我を負っても、何針も縫わなければならないような状態になっても助けを求めない。

「助けを求めても無駄」という学習はすでに終わっている。だから、死んでも耐えるのである。

子供たちは自分が虐待されたことを外に訴えて自分の身を守るということはできない。子供は親の庇護から逃れられないので、鎖につなげられていなくても監禁されているのも同様である。

だから、家庭という「檻の中」で行われる虐待は、恐るべき凄惨さを生み出すことになる。

殴る、蹴る、つねる、罵る、食事を与えない、食べ物ではないものや本人が嫌がるものを食べさせる、服を着替えさせない、風呂に入れない、鎖や紐で縛る、押し入れや物入れに長時間閉じ込める、真冬にベランダや家の外に放置する、タバコの火を押しつける……。

こうした行為が日常的に長時間行われる。子供にとっては地獄だが、子供たちはその地獄から逃れられないのである。その凄惨な地獄の果てに虐待死がある。

虐待の渦中にある子供が、やがて暴力を振るわれても抵抗すらしなくなるのはなぜか。まさに「抵抗しても暴力から逃れられない、受け入れるしかない」という無力感を学習するからである。「学習性無力感」に堕ちたのだ。
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絶望の中でただ息をしているだけになってしまう

早くから虐待の中で耐えてきた子供たちは、「学習性無力感」によって、もはや逃げようという気力すらも失われている。

自分の努力を否定され続け、日々悪化していく状況の中で、もうどうしようもないとあきらめ、気力を失い、絶望の中でただ息をしているだけになってしまう。

普通の人は、暴力下において絶望的な状況に置かれた人を見て、「なぜ、助けを求めない?」「なぜ、逃げ出さない?」と考えるのだが、それは極限の絶望を経験したことがないからだ。

長期に渡って圧倒的な困難な環境に置かれた人は、「逃れられない」という現実を学習して、もはや絶望的な無力感から逃れることができなくなっているのだ。

これは多くの人が知っておくべき現象である。

なぜなら、これからの社会はますます弱肉強食になっていき、貧困によって「困難な環境」に落とされていく人たちが大量に生まれる可能性があるからだ。他人事ではなくなる。

「なぜ、虐待を我慢してしまうのか?」
「なぜ、助けを呼ばないのか?」
「なぜ、抜け出そうと努力しないのか?」

もう彼らは長い間痛めつけられ、逃れる努力を挫かれ、心が壊れてしまっている。その悲しみは想像もできないほど深いものだ。彼らは保護されなければ死んでしまう。

厚生労働省は「児童虐待に気づいた時は通報をためらわないでください」と呼びかけている。

「体に説明のつかない傷があるなど、暴力行為を受けていることが疑われる」「わいせつな行為がなされていることが疑われる」「日常的に食事が十分にとれていない、身なりが不衛生など、放置されていることが疑われる」「極端な拒否、脅しなどを日常的に受けていることが疑われる」

このような場合は児童相談所や福祉事務所へ連絡してあげなければならない。すでに「学習性無力感」の中にある子供たちが、自力で何とかできると思ってはいけない。

2015年7月1日から、通報は「189」に電話すればよいことになっている。子供たちは、助けを待っている。(written by 鈴木傾城)

 

厚生労働省は「児童虐待に気づいた時は通報をためらわないでください」と呼びかけている。すでに「学習性無力感」の中にある子供たちが、自力で何とかできると思ってはいけない。

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