自由の行き着く先は孤独。自由は社会の責任を個人に転嫁する残酷な構造でもある

私は20代の前半で東南アジアの歓楽街に沈む人生を選んだが、同年代の多くは就職して一生懸命働いていた。私の選んだ生き方は「標準的なルート」から大きく外れたものであり、周囲からの理解なんか得られなかった。自由だったが、「お前は何をやってるんだ」と敵意さえ持たれた。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

自由は「何が起きても自己責任」という話

私は20歳の頃からひとりで好き勝手に生きていて、結局は社会のどこにも属することもなく、ぶらぶらと生きる人生になった。早い話が社会からはみ出したわけだが、人によってはこの状態を「自由」とも呼ぶ。

「自由」という言葉には、解放や自主性といった肯定的な響きがつきまとう。だが、現実の自由は、それほど理想的なものではないかもしれない。何が起きても、「自業自得だ。自分で何とかしろ」という話になるからだ。

雇用主がいたら、従業員はそれなりに保護してもらえる。しかし、私は東南アジアの歓楽街に沈没したいから働かなかった。つまり、雇い主はいなかった。私が一文無しになって飢えても、誰かが私の面倒を見てくれるわけではない。

私は勝手に社会からはぐれたのだ。社会も私の面倒を見る義理がない。勝手に東南アジアの歓楽街でふらふらさまよって生きていく決断をしたのだから、それで食えなくなったら当然ながら自己責任だ。

自由とは、単に束縛がないことを意味するのではなく、自らの選択の結果をすべて引き受けることを意味する。

普通の人でも、独立精神のある人は会社を辞めて自分の力量で生きようとすることもある。フリーランスになるという選択は、一見自由で魅力的に見える。誰でもフリーランスになれる。仕事は、自分の「自由」に采配できる。

だが、その先で仕事が取れなかったり、収入が不安定になったりしても、誰のせいにもできない。雇用者の指示に従っていた時代には存在した「守られている安心感」は、自由と引き換えに消える。

自由になったとたんに、成功も失敗も、すべてが「自己責任」として押し寄せるのだ。誰も助けてくれない。

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自由を極めれば、孤独もきわまっていく

つまり、自由を手に入れたら、人は「孤独」という現実に直面する。誰も決めてくれない、誰も助けてくれない、そして誰も代わってくれない。たとえ周囲に人がいたとしても、最終的な判断とその責任は自分自身がひとりでかぶる。

社会からドロップアウトし、東南アジアのビーチでマリファナを吸って一日を過ごして幸せに生きることもできる。それは、この世のものとは思えないほどの幸せな時間となる。将来を考えなければ……。

そういう生きかたは不労所得が入ってこない限り、生産性も収益性もないので、いつかはカネが尽きる。そのときには誰も助けてくれないので、自分で何とかしなければならない。

困窮したときに誰かの助けを求めても、「そういう生きかたを選んだのはお前自身なのだから自分で何とかしろ」と突き放されるのがオチだ。それが「自由」の現実的な側面なのだ。

自由であろうとするほど、他人の支援は得られなくなる。なぜなら、自分だけの道を選べば選ぶほど、そこに他人が立ち入る余地は少なくなるからだ。自由を極めれば、孤独もきわまっていく。

よくよく考えて見れば、私は自由だったが孤独でもあった。今も好きに生きているので、孤独のままであるのは間違いない。

私の場合は経済的な問題はないので、他人の支援はとくに必要とする局面はないのだが、もし私が孤独である上に経済的にも困窮していたら、自由であっても精神的にキツい状態になったと思う。

自由とは「すべてを自分で決める権利」であると同時に、「すべてを自分で引き受ける義務」でもある。そして、その義務を果たす過程で、孤独という感覚と向き合わざるを得ない。

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他人との足並みをそろえない自由な生き方

自由に生きるとは、しばしば他人と違う道を選ぶことである。つまり、社会的な規範や慣習、あるいは周囲の期待から距離を置くことになる。多くの人が選ぶ進路や生き方から逸れて、あえて別の選択をする。

それは、当然ながら孤立のリスクを伴う。自由になったら、個性や独立心は満たされるが、同時に「集団との断絶」も味わうことになる。

私は20代の前半で東南アジアの歓楽街に沈む人生を選んだが、同年代の多くは就職して一生懸命働いていた。私の選んだ生き方は「標準的なルート」から大きく外れたものであり、周囲からの理解など得られなかった。

とくに日本のような同調圧力の強い社会においては、このような選択をすることは「変わり者」や「自己中心的」と見なされやすい。「みんな働いているのに、お前だけ遊びまわって何をやってるんだ」と、敵意さえ持たれたのだ。

だから、普通の人とは距離が生まれ、共通の話題が減り、共感が得られにくくなり、次第に彼らとの接点が希薄になっていった。それが結果として「分離」となり「断絶」となる。そして、最終的に「孤独」に行き着く。

他人との足並みをそろえない自由な生き方は、同時に「孤立の種」をまくことになる。自由を選んだ本人がそれを望んだわけではなくても、周囲の反応や無言の圧力が、静かにその人を孤独へと追いやる。

日本ではとくに「協調性」が美徳とされているため、自由な個人の行動は集団秩序に対する挑戦とみなされやすい。企業や学校でも「空気を読む力」が求められ、暗黙の了解に従うことが重視される。

そのような環境では、自由を行使する人間はしばしば「浮いた存在」となる。私はそれについて悩むことはなかったが、自分が社会から外れて戻れなくなってしまったことはしっかりと自覚していた。

私が資本の論理をいつも考えているのは、誰も助けてくれないのを切実に理解しているからかもしれない。ふらふら生きていたが、それがゆえに誰も助けてくれないというのを理解しているので、本気で「カネの確保」を考える必要があった。

自由であるがゆえの孤独が形成される

今、社会は規制が緩和される方向になっていて、かつてのように「人生のレール」が敷かれているわけではない。

つまり「良い大学にいって、良い会社に就職して、定年退職まで勤めて、退職金をもらって、年金で悠々自適に生きる」というレールがなくなってしまった。

「それだけが人生ではない。好きに生きるべき」と言われるようになり、好きに生きていい人生になっている。服装も、ファッションも、いろんなものが自由になった。これは、つまり複数の自由が共存する社会になったとも言える。

それぞれの人が、それぞれの自由を選んで生きるようになった。

それは素晴らしいことではあるが、逆の見方をすると「社会はもうその人の面倒を見ないことに決めた」ということである。「好きに生きてもいい。でも、その結果は自己責任だ。困窮しようが何だろうが自分で何とかしろ」というわけだ。

誰にも縛られず、自分の意思で生きることが許されるようになったが、その代償として、失敗したときの責任はすべて自分に降りかかる。自由を得た人は、それがゆえに苦しむことになるはずだ。

誰も手を引いてはくれない。どの選択が正解かもわからない。致命的に失敗しても、他人は干渉しない。それはつまり、助けもしないということだ。

ファッションでも働き方でも恋愛でも、「好きにすればいい」という言葉の裏には、「それで悲惨な結末になっても文句は言うな」という無言の突き放しがある。自由は、社会の責任を個人に転嫁する構造でもあったのだ。

自由であることは、一見幸福のように見える。だが、それは「孤独」につながっていく。自由を得た人ほど、「孤独」に落ちる。自由が欲しければ、そこに折り合いをつけなければならないのだろう。

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コメント

  1. 匿名 より:

    >つまり「良い大学にいって、良い会社に就職して、
    > 定年退職まで勤めて、退職金をもらって、
    > 年金で悠々自適に生きる」というレールがなくなってしまった。
    傾城様ほどではないですが、私も社会のレールから外れて生きてきました。もっとも、自分から望んでそういう選択をした、というわけでは必ずしもないですが。

    従い、傾城様と同様、求職を意識し始める頃から、本気でカネの確保について考えることを強いられてきました。その意味で、人生においてこのブログ(ブラックアジアだけでなく、ダークネスやフルインベストも)やメルマガに出会えたことに関し、大いに感謝しております。

    > 逆の見方をすると「社会はもうその人の面倒を見ないことに決めた」ということである。
    > 「好きに生きてもいい。でも、その結果は自己責任だ。
    > 困窮しようが何だろうが自分で何とかしろ」というわけだ。
    こんなことを社会(というか、行政というか)から言われると、私は次のように言い返したくなります。
    「じゃあ、税金や年金の掛け金や社会保障費の名目で俺からカネをガッポリむしり取るのは、いい加減、やめてくれないかな?」「カネを払ったって、ロクなリターンが無いじゃないか」「こんな泥舟に留まるなんて、こっちから断りたいくらいだ」。

    カネを払っても大したリターンが得られず、その上、他人との協調や調和の名目で不自由を強いられるなら、むしろ、S&P500連動ETFなり何なりでカネ(富)を増やして自由に生きていける方が、良いのでは? 資本主義(「カネが全て」の世界)である以上、富を持っていなかったら、どれだけ他者と協調・同調していようが、どのみち、誰からも助けてもらえないどころか、誰からも相手にされないのだから。

    6
  2. MR.X より:

    今日は私にとっては神がかった記事で、お気に入り、永久保存版とさせて頂きました(笑)

    私も自由業で誰にも縛られず自由気ままにやっていますので、自由と孤独サイドにいる人間なのですが、元々子供の頃から集団生活や人づきあいが苦手ではないにせよ好きではなかったし、一人だけで、旅や受験勉強を長い間やっていた時期もあり、一般的な人よりかは孤独に耐性があるというか、段々と強くなってきたと自負しております。

    稼働して得られる所得や株式で得られる不労所得が孤独の耐性を上げてくれていることに間違いありません。

    今日の記事の内容は「イソップ物語」の、エサはもらえるけど自由がない飼い犬といつも腹ペコだけど自由な行動のできる狼の話の言い換え版と言いますかより理論的且つ具体的な内容としての随筆として、大変良い記事だと思います。

    集団に属して「不満との戦い」を選ぶか、集団に属さずに「不安との戦い」を選ぶか。いずれを選んでも克服はできずとも折り合いを付けねばならない意味ではどっともどっちといったところでしょうかね。

    5
  3. y88ee より:

    一語一句、本当に本質の中の本質が誰の言葉よりも胸に響きます。
    いつもありがとうございます。

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  4. 匿名 より:

    前回のブラックアジア同窓会のハイエナの末路はとても興味深くて、そういう死に方をしたいとも思いました。
    私は20代に東南アジアで沈没しながら日本に舞い戻って10年以上、公務員をやったあげくドロップアウトした「孤立」した人間です。株式投資は王道ですが、まあ邪道で年金で生きるという手もあります

    孤立者(投資家や年金受給者など)と困窮者は区別が付きにくく、世間の人々は困窮者と見做して離れてゆくのは辛いですが、別にタカられることがないので良いことです。孤立し、一人で生きてく人間が組織に所属してる人間にしてあげることにも限界があるのです。組織人同士でお互い組織で分け合えば良いのです。ただ公務員の経験上、あまりにもその相互扶助関係は醜いものでした。

    ただ孤立者は平日の昼の過ごし方に注意が必要ですね。困窮者に見られないように着飾ったりすると詐欺師は平日の昼に結構、居るものだと気づきます。インドア的な趣味に陥りがちです。

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  5. 匿名 より:

    今の日本の企業では下っ端の労働者たちは
    ただ上の役職の連中が楽するために
    搾取というより収奪されているだけのような気がします。
    そのために自由もないし面倒もみてもらえていません。

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  6. 南豪海 より:

    私の場合やや違いますが、33年前オーストラリアに
    家族移住。6年前 65才で完全退職。オーストラリアの
    国民年金と個人年金で経済的には満足な生活です。

    唯一の資産である住宅は購入時の10倍上がりました。
    相続税がないので子供たちに多少残してやれそうです。
    個人年金の運用は、ファイナンシャルアドバイザーがいる
    会社にしてもらっています。この10年 平均約10%のリターン。おかげで日本の高齢の母に仕送りできます。
    子ども達は独立しオーストラリアで各自家庭を持ち孫もいるので日本に帰る気はありません。オーストラリアに感謝です。

    日本政府は日本国民を守る気概はないし、戦争の可能性もあるので、いざという時日本の兄弟家族の避難、受入先?
    そんなことを今頃考えます。

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