
スリランカでは違法酒カシップが蔓延している。衛生観念無視の場所で作っているので製造過程で不純物が混入することが多く、場合によってはメタノールなどの有害物質が生成される。それでも、スリランカの貧困の人々はこれを飲み続ける。そこには大きな理由があった。(鈴木傾城)
プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com
スリランカの「貧者のウイスキー」カシップ
カシップ(Kassippu)はスリランカで広く知られる違法酒であり、「貧者のウイスキー」とも呼ばれる密造酒である。
主に砂糖や果物を発酵させて製造され、低コストで酔えることから貧困層にとって手頃なアルコール飲料として人気がある。だが、品質管理なんかおこなわれないまま製造・流通するため、深刻な健康被害を引き起こす危険な飲み物だ。
カシップの製造は非常に簡単だ。砂糖、果物、酵母を混ぜ、発酵させることでアルコールを生成する。発酵後、蒸留をおこなえば透明な液体が得られる。この過程で必要とされる設備はシンプルで、家庭でも簡単に製造できるほどだ。
ところが、衛生観念無視の場所で作っているので製造過程で不純物が混入することが多く、場合によってはメタノールなどの有害物質が生成される。メタノールはわずか30ミリリットル摂取するだけで失明や死亡を引き起こすという。
カシップのアルコール度数は一定ではなく、製造者によってばらつきがある。一般的に10%〜40%程度のアルコール濃度とされているが、密造環境によってはさらに高濃度になることも珍しくない。
味も地域や製造者によって異なり、独特の香りがある場合もあれば、不快なニオイが充満していることもある。
それでも、現地では多くの人が飲んでいる。なぜなら、合法的な酒は高いからである。スリランカでは経済危機や輸入制限の影響で、合法酒の価格が上昇している。2023年には合法酒の販売量が前年比19%減少した。こうした状況が、低所得層にとって違法酒への依存を促進しているのだった。
ちなみに、スリランカでは宗教的な背景から飲酒が禁じられている地域も多く、公式ルートで酒を購入すること自体が困難な場合がある。酒が飲みたい人間には、選択肢がそもそも少ないのがスリランカだった。
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警察の目が届かない地域での密造される
違法密造酒カシップの歴史は、なんと植民地時代まで遡るという。スリランカでは、イギリス植民地時代に酒税制度が導入され、合法的な酒類の価格が急騰した。
この高額な酒税は貧困層にとって手の届かないものとなり、結果的に安価で手に入る密造酒への需要が急増した。この時期からカシップの製造が広まり、低所得層にとっての「貧者のウイスキー」として定着していった。
当時のスリランカでは、合法酒の販売は一部の特権階級や欧州移民に限られていた。そのため、地元の農民や労働者たちは手軽に入手できる代替品としてカシップに目を向けた。
原料は安価で手に入る砂糖や果物、酵母などであり、製造プロセスも単純だったため、密造は急速に広がった。特にジャングルや沼地など、警察の目が届かない地域での密造が盛んにおこなわれた。
その後、独立後のスリランカ政府も酒税制度を維持した。アルコール規制の強化により合法酒の価格は依然として高い水準にあり、貧困層が合法酒を手に入れるのはますます困難になった。結果的に、カシップの密造と消費は根づいたままとなった。
飲むのは貧困層だが、作るのも貧困層だ。現在でも、カシップは、経済的困難に直面する人々にとって大事な収入源となっている。
特に農村部の貧困層にとって、カシップの製造と販売は貴重な現金収入であり、多くの家庭がこの違法産業に依存するようになっている。このようにして、密造酒は単なるアルコール飲料ではなく、生活の一部となってしまった。
スリランカの経済状況は2022年以降悪化しており、インフレの影響で日用品の価格が急騰している。そうなると合法の酒の価格もますます上昇し、低所得層にとっては手の届かないものとなっている。
そうなると、もう貧困層はカシップしか選択肢がない。

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製造する人々も生活がかかっているので必死
こうした違法密造酒が広がると、この酒がスリランカに大きな社会問題を引き起こすことになっていく。深刻なのは、健康被害と犯罪の増加である。
そもそもカシップは非衛生的な環境で製造されることが多く、アルコール度数が一定していない。さらに、発酵過程で生じるメタノールやその他の有害物質が残留することもある。
メタノールの摂取は少量であっても失明や死亡の原因となり、過去には大規模な中毒事件が頻発している。特に2019年には、スリランカ各地でメタノール中毒による死者が50人以上報告され、大きな社会問題となった。
そこで警察は躍起になってカシップを取り締まり、製造現場を摘発しようとしている。直近の事例では、ジャ・エラ(Ja-Ela)の湿地帯で200以上の樽と1,000リットル以上の違法酒が押収されるという事件があった。
しかし、摘発をすればするほど、製造者はジャングルの沼地の奥地へと隠れていくので、いたちごっこだ。製造する人々も生活がかかっているので必死だ。摘発には、これまで以上に困難が伴うようになるのだろう。
だが、それでも警察が製造現場を見つけることもできる理由もあるという。それは、密造業者同士の抗争があるからだ。抗争の中で、密造業者が自分のライバルの製造場所を警察にたれ込んでつぶす。
やられたほうは、頭にきて自分たちを密告した業者のところに乗り込んでいくので、地域社会の治安悪化を招いている。こうした密造酒の利益を巡る対立は凄惨な争いに発展することがあり、貧困層の若者が巻き込まれることも少なくない。
また、警察や税務当局との癒着が指摘されることも多い。ワイロをもらったら見逃す。警察も、貧困層から酒という娯楽を取り上げるよりも、自分たちの懐が膨らむほうがメリットがある。
そんなわけで、違法酒カシップは根絶されそうにない。いろいろ深刻な問題を引き起こしながらも、カシップは依然としてスリランカの貧困層のあいだで消費され続けている。
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違法密造酒カシップでも飲んで憂さ晴らしする
ただスリランカ政府も、品質が悪く、飲んだら吐き気、頭痛を引き起こし、急性アルコール中毒になったり、失明したり、死亡したりするカシップを放置しておくわけにはいかない。
実際にこれを飲んでいたスリランカ人によると、飲めば飲むほど悪酔いして不安感が倍増し、ひどいときは悪夢のような幻覚を見ることもあるという。それでも安いので飲み続けると、肝臓や腎臓がやられて慢性疾患になる。
スリランカではこのカシップでアルコール依存になってしまい、家庭内暴力や貧困の加速などが起きており、結果的には社会的格差と犯罪増加の原因となる。
もし、スリランカ政府が本気でカシップの撲滅をしたいと思うのであれば、スリランカ経済を成長させるしかない。
カシップ密造よりも合法的な仕事のほうが収入が多いようにし、合法酒がきちんと貧困層にも手に入るようにすれば、誰もマズく危険なカシップなんか飲まない。しかし、今のスリランカの状況では、そういうのはただの理想論かもしれない。
現在のスリランカの経済情勢は悲惨だ。
2022年以降、貧困率は急増し、人口の25.9%が貧困線以下で生活している。生活費も急激に上昇し、食糧インフレ率は2022年に93.7%という驚異的な水準に達した。このため、多くの家庭が食糧や医療、教育への支出を削減せざるを得ない状況である。
政府はIMFから30億ドルの融資を受け、財政健全化や国有企業改革を進めているが、増税や公共料金引き上げなどの政策が国民生活を圧迫している。さらに、栄養不良や発育不全の増加といった社会的影響も深刻であり、2022年には発育不全率が9.4%に上昇した。
この経済危機によって50万人以上が失業し、法的保護や社会保障も受けられない。結局、貧困層は違法密造酒カシップでも飲んで憂さ晴らしするしかない。それが今のスリランカの絶望的な状況だ。

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