トラブルを避けるために絶対に覚えるべき「たったひとつの重要な言葉」とは?

トラブルを避けるために絶対に覚えるべき「たったひとつの重要な言葉」とは?

詐欺師は凶悪な顔をしてやってくるのではない。甘い顔をしてやってくる。だから、最初は騙されるかもしれない。しかし、いったん問題を感じたら、そこからうまく逃げる能力を持たなければならない。うさんくさいもの、どうでもいいものにかかわったときはどうするのか?(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

無邪気であればトラブルに巻き込まれる

競争の激しい世界や、取引に大きな資金のやりとりが発生するところには、詐欺師が群れになってやってくる。そこには、血のにおいに集まるサメのように、うさんくさい人間が全員集合している。

誠実さが求められるビジネスの世界でも、誠実ではない人間がたくさんいる。むしろ、誠実ではない人間が誠実を装い、他人を騙し、蹴落としながら、そこでのしあがることもある。

たとえば、政府が「貯蓄から投資へ」と謳い、国民を自己責任で投資に向かわせるようなキャンペーンをはじめると、まるでカモを待ち構えていたかのように詐欺師が現れて、大げさな広告で人々を釣る。

「絶対に儲かる銘柄を教えます」とか「当社に出資したら配当20%を保証します」とか「極秘情報であなたも儲けてください」とか、そういうセンセーショナルな広告をあなたも目にしたことがあるはずだ。

極端な高配当を謳って投資家から資金を集め、実際には運用せずに一部を配当金として支払い、投資家を信じ込ませたあとに資金を持ち逃げする詐欺もある。あるいは、著名人になりすましたり、著名人がかかわっているような広告を打って人々を騙す詐欺師も出てきて、カネを根こそぎ奪って消えていく詐欺もある。

こういう詐欺は古典的なもので昔から使われているのだが、時代が変わると何も知らない人が無防備にやってくるので、素人は簡単に食い殺される。

この世は邪悪な世界である。うっかりしていると、有り金すべてをむしり取られて裸で放り出される。そういった世界に私たちは生きているわけで、裏の世界に対して無邪気であれば、その無邪気さに泣くことになる。

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やがては悪意ある人間の汚い手口に騙される

学校では、何かの理論や公式を教えることはあっても、世の中のどろどろした内面はけっして教えない。学校ではポンジスキームがどのようなものか、ネットワークビジネスがどのようなものか、カルト教団の洗脳工作がどのようなものか、そういうことはいっさい教えない。

だから、少なからずの学生は無邪気なまま世の中に出ていって、やがては悪意に満ちあふれた犯罪者の汚い手口に騙されることになる。

どこかの詐欺師みたいに「20%以上の高配当」を謳ってカネを巻き上げる詐欺師なんか珍しくも何ともない。日本でも2020年2月20日に焼死した投資ジャーナルの中江滋樹は、「預かり金を入れれば、その10倍の融資が受けられる」と投資家を騙して莫大なカネをかき集めていた。

騙されるというのは、自分のカネが奪われるだけではない。自分の時間も奪われる。長い期間の騙しが続くと、精神的な衝撃も深い。だから、自分がやっかいなことに巻き込まれていないか、常に振り返る必要がある。

もし自分が相手の信用に対して見込み違いをしていたり、不利益があったり、トラブルに巻き込まれる前兆が見えてきたり、自分の領域ではないところに引きずり出されようとしたとき、どうすればいいのか。

そのままズルズルとかかわっていては、身に降りかかる災厄はとても大きなものになっていく。

だいたいのトラブルは、まず「甘い言葉」からはじまる。「こうすれば儲かる」「こうすれば楽して大金が手に入る」「信用してくれれば倍にして返す」……。うさんくさいとは思っても、何となく乗ってしまう人も多い。

自分がカモにされていることに気づいたとき、そこから「いかに逃れるのか」は、生きる上でとても重要な技術《スキル》であるはずだ。しかし、誰もその方法を教わらない。

不思議に思わないだろうか。自分の人生を豊かにするためにも覚えておかなければならないのに、学校でも教えないし、社会でも取り立て重要視されないし、会社でも教えてくれない。

トラブルから逃れるために、まず覚えなければならない絶対に重要なものとは何か。そして、なぜそんな重要なものを教師も教えてくれないのか。学校でそれを教えないのは、じつは理由がある。

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なぜ「ノー」といわせない教育をするのか?

トラブルから逃れるために、まず最初に覚えなければならない絶対的に重要なもの。使いこなさなければならない言葉。大事なときにきちんといえるようにしなければならない言葉。

それは、「ノー」という言葉である。

的確に「ノー」といえるかどうかで、人生がうまくいくかどうか決まる。ノーといえない人間は、かならずトラブルに巻き込まれる。多くの邪《よこしま》な人たちは、ノーといえない人間をターゲットにするからである。

自分が追いつめられる可能性があるようなものには「ノー」といわなければならない。自分が不利益をこうむる可能性があることにも「ノー」といえなければならない。自分の人生に関係ない枝葉末節にも「ノー」といわなければならない。

うさんくさい案件は、気づいた時点ではっきりと「ノー」といって去る必要がある。無理してかかわってはならない。自分の人生の本質ではない部分にかかわってしまうと、それが身の破滅を招くことすらもあるのだ。

なぜ、これを学校で教えないのか。なぜ、これを会社で教えないのか。そして、なぜ家庭で教えないのか。それは、大きな理由がある。誰も相手から「ノー」といわれたくないからだ。とくに目下からは「ノー」といわれたくない。

「ノー」といわれて立ち往生してしまうのは誰でも嫌なのだ。だから、この部分をうやむやにして気づかせない。正当な理由と共に「ノー」とはっきりといえる人間は、詐欺師だけでなく、能力のない教師・上司・親にとっても、やりにくいのだ。

それで世の中は、よってたかって「ノー」といわせない教育をする。

しかし、海千山千の危険な人間がうろついている実社会では、あれもこれも「イエス」といっていてはいけない。トラブルを寄せつけないために、「ノー」という言葉を使いこなせなければならない。

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この言葉を学習するのは無駄ではない

詐欺師は凶悪な顔をしてやってくるのではない。甘い顔をしてやってくる。多くの詐欺師は恫喝や威嚇で客からカネを引き出したのではない。自分にカネを預けたら儲かる、という甘い言葉で相手が自ら資金を差し出すように仕向けたのだ。

詐欺師は巧みだ。だから最初から詐欺と見抜けないことは普通にある。しかし、どこかで疑念を抱く瞬間がくる。そうした疑念を感じたら、途中で「ノー」といってかかわりを絶つ能力を持たなければならない。

詐欺師が甘言と共にしかけてくるワナを断ち切るために、的確に「ノー」というのは想像以上に大切なことだ。うまく「ノー」がいえるかどうかで、リスクから逃れられることができるかどうかが決まる。

日本人が今までうまく「ノー」といえなかったのは、しかたがない。そういう教育を受けさせてくれなかったからである。多くの人たちは意図的に「ノー」といえない人間になるように教育され続けてきた。

自分の人生を振り返ると、誰でも「ノー」といえなかったことで、多くの無駄を背負い込み、人生の一部を失ったことに気づくはずだ。人によっては、今でも「ノー」といえないことによって、苦しんでいる何かがあるかもしれない。

そうであれば、そろそろ「ノー」を覚えたほうがいい。

自分の人生を破壊してしまうようなトラブルは、誰のところにもやってくる。これからも私たちのところに「うさんくさい何か」や「不本意な何か」が持ち込まれる。そのときのためにも、今から「ノー」といえるように訓練しておかなければならない。

どうでもいいものには「ノー」という。それができるようになったら、やっと人生における重要なスキルのひとつを手に入れたとよろこんでもいい。

それができないと、いずれは身を滅ぼすことになる。とくに日本人は人の顔色を見て「ノー」をはっきりといわないで、対外的にも誤解される民族でもある。毅然として「ノー」ということを学習するのは無駄ではない。

書籍
『邪悪な世界の落とし穴 無防備に生きていると社会が仕掛けたワナにおちる(鈴木 傾城)』

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