人生を捨てた女の目を、あなたは見つめたことがあるだろうか。それは、とても強烈なものだ。
寂然(せきぜん)の瞳というのだろうか。ままならぬ人生に長らく耐え、もの哀しさを抑えた瞳。それでいて、猛烈な意志の強さをまだ失っていない瞳。
エラの眼差しを忘れることはないだろう。
貧困、家族との別離、そして差別と言った理不尽な仕打ちに耐えながら、何百人、何千人の男に身体を預けて来た女の、激しいけれども、たとえようのない静かな瞳だった。
彼女は決して笑わなかったし、無駄口も叩かなかった。ひっきりなしに煙草を吸い、ひとりで静かに売春村の外に広がる山の風景を見つめている。
そんな朽ち果てたような瞳に、吸い込まれそうになった。今でもエラの眼差しは心に突き刺さっている。
インドネシア・リアウ諸島。この山奥の売春宿は、街に巣くうチンピラたちの親玉というべき男に教えてもらった。
この40代の男は生粋のインドネシア人だが、売春宿・売春村にはあきれるほどの情報を持っていた。
この島を仕切っているある政治組織の副長であり、この島の売春宿を経営する華人とは密な関係を保っていたので、当然と言えば当然だろう。
「あそこには良い女が揃っている。俺を信じてもいい。『エラ』という名前のセカンド・マミーがいるから、彼女に俺の名前を言え」
私は男の部下のひとりに連れられて売春村に入り、そしてこの売春宿にたどり着いた。
この売春村に入ったとき、テラスのテーブルに数人の女たちがたむろしていたが、その中で煙草をくわえながら、黙々とトランプを切っている女性がいた。
まだ誰にも紹介されたわけではなかったが、その女性こそ「セカンド・マミー」のエラだというのをすぐに直感した。
歳は20代の後半に見えた。あるいはもう三十路(みそじ)に入っているのかもしれない。
この年代というのは、売春女性としてはもっとも中途半端な年齢である。もう「娘」と呼ぶ年齢ではないが、かと言って引退すべき年齢でもない。
エラはちょうどそんな微妙な年齢にあり、だからこそ他の娘たちと違って落ち着いており、態度にもそこらの娘にはない威厳があった。
「エラ?」と私が訊ねると、エラは大して驚いた風でもなくうなずいた。事前に連絡が行っていたのだと思う。でなければ……
(インターネットの闇で熱狂的に読み継がれてきたカンボジア売春地帯の闇、電子書籍『ブラックアジア インドネシア編』にて、全文をお読み下さい)
「砂漠が美しいのは、どこかに泉(井戸)を隠しているから」
(Saint-Ex.)この一節をふと思い出しました。
ついでに「あの(薔薇の)花の言うことではなく、してくれた事を思わねばならなかった、なにしろ花は言うことがちぐはぐで・・・」(同)も。
その境遇に身をおかざるを得ず、そしてもう若くなくなったエラが、それでも失わず隠し持っているのはクルドゥンをつけた彼女の本性、ぬいぐるみを抱いて震えていた少女。
それを隠しもちつつ、泣くことも嘆くことも祈ることも止めた彼女の横顔は孤高としかおそらく形容がないであろうと思います。aurore
こういう"女の哀しさ"みたいなものを書かせると鈴木さんは絶品ですな。行間から優しさが溢れ出ております。道を間違ってなかったら、優しいパパとなって御子様を可愛がっていたはずです。これほど常識をお持ちの方が放蕩に明け暮れるとは勿体ないと思いながら拝読させて頂いております。
放蕩に明け暮れていた鈴木です。
いろいろコメントありがとうございます。
文中にデスカー通りのことを書いておりますが、補足までに付け加えておきます。今もこの売春通りがあるのか、同じような様子なのか、それとも様変わりしてしまったのか、まったく分かりません。
もう行くこともないと思われますが、現地の様子が分かれば、またいつか書き替えます。
【鈴木傾城】
バンコクのスクンビットにも、何人かの40代~50代の女性が現役の売春婦としています、客はあまりつかないようですが毎日います。哀れな客のつかない売春婦として以前写真がこのスレで掲載されていましたが、その女性とは別の方です。
あるきっかけでその女性と何度かレストランに入りました、その女性に頼る英語が喋れない素人の女性の通訳としてです。強引な売春婦にうんざりしながら、素人の女性と付き合いたいので我慢して会いました。
きっかけはその素人の女性に毎日会う度に「ナーラック=可愛い」と挨拶がわりに言っている内に彼女も私が気に入り「自分をフェーン=愛人にして援助して欲しい」と思ったことです。
素人の彼女と付き合いたい私の気持ちに乗じて、私から最大限金を巻き上げようとしているのは明らかでした(笑)、残念ながら私は彼女のペースに乗るほど純情ではなく、彼女は失意の中で去っていきました。
傾城さんがどれだけリアウ諸島の女たちを愛していたのか、伝わってくる文章です。
ご自身の体験に基づいた表現には艶があり、美しさがあります。
ブラックアジアはこういった文章作品と、現実記事が万華鏡のように散りばめられていますね。
自分の足で稼いだ者のみが紡ぐことのできる文章表現は、まるでそこにいるかのような錯覚さえ覚えます。
こうした作品が発掘できるのも、ブラックアジアの楽しみのひとつです。
しかし掃除当番表の確認欄が、キスマークなんですね。知る由もありませんが、女たちの顔を思い浮かべてしまいます。