◆「アジアで人知れず死ぬ」は、ハードルが高い願望だと知った

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人はいつか死ぬ。こればかりは誰もが平等だ。どんなに先延ばししても、必ずその瞬間は来る。

あなたは、自分が死ぬとき「どんな死に方をしたいか」を考えたことはあるだろうか。

私は交通事故で死にかけたことがあるので、病院のベッドでチューブにつながれながら、死ぬときは「ここ以外のどこかで死にたい」と漠然と考えていたことがある。

たとえば、東南アジアのどこかの山岳地帯に入って、そこで人知れず死ぬのは理想だとも考えた。

やがて退院する頃になると、死ぬより生きる方を考える必要に迫られたが、「どんな風に死ねばいいか」という命題はずっと心に残った。

東南アジアで死にたいというのは何度も書いているし、私のことだから、死にかけたら本当にそれを実行するだろうが、それでは具体的にどこにすればいいのか。

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