最近、表社会でもLGBTの許容が広がっているのだが、私自身は「パンドラの箱を開けているな」という気がしなくもない。「表社会の人たちはウブな人たちが多い」と改めて思う。
売春地帯に関わりのない表社会の人たちは知らないと思うが、「多様な性」に無防備にいると間違いなくワナに落ちる。実のところ、それを一番よく知っているのはハイエナたちだろう。
最初に言っておきたいのだが、私自身は売春地帯に長らくいたこともあり、レディーボーイ(女装者・トランスジェンダー)たちについては、まったく違和感もなければ拒絶感もない。
男がいて女がいて老いた人がいて若い人がいるのと同様に、限りなく女性に近い男性がいて、限りなく男性に近い女性がいたとしてもまったく何ら違和感はない。レディーボーイの存在は私にとっては「日常」である。
ところで、タイの売春地帯では「レディーボーイにも二種類ある」と以前から区分けされている。身体は男性だが心は女性のレディーボーイ、そして心も身体も男性だが金のためにレディーボーイをしている職業的レディーボーイである。
金のために女装するというのはどういうことか。売春地帯では多くの男たちは女性と関わりを持つのが目的である。だから、一部の男が女装して男の相手をして金を稼ごうと考える。
彼らはゲイでもなければトランスジェンダーでもない。日常では普通の女性と付き合って普通の感覚で生きている。しかし、売春地帯では職業として「女性」になる。
彼らにとって「女性になる」というのは、警察官や警備員が制服を着るのと同じ感覚でしかない。女性の服を制服にして売春ビジネスをするのである。