東京の山谷、大阪の西成(あいりん地区)、そして横浜の寿町。どこもそうなのだが、こうしたドヤ街にいると、ふと時代感覚を失う。建物が昭和で取り残されているので、令和時代に入った今もドヤ街だけはタイムスリップして昭和に戻って来たような感覚になるのだ。
この感覚は経験がある。東南アジアに戻った時、私はいつも時代を数十年も遡った感覚になる。東南アジアも異国と言えば異国なのだが、東南アジアの感覚は「異国」ではなく「過去」なのである。東南アジアの何気ない路地裏を歩くと、それぞれが日本ではないにも関わらず「懐かしい」と感じる。
ドヤ街はあの感覚に似ている。ドヤ街にいると、そのエリアだけ時間がズレているように見えるのだ。とは言っても、ドヤ街もまた昔とまったく違う。
今どきバラック小屋や木賃宿が残っているわけでもないし、ドヤの多くはビルになって様相をまったく変えてしまっている。道路も舗装されていてきれいだし、道を往来する車も今の車である。
しかしビルは昭和のもので古びているし、ハイセンスな建築物はまったくない。そして住民のほとんどは足の悪い高齢者である。もう彼らを労働者と言うこともできない。「元」労働者かもしれないが、今は高齢者である。
そうした目に入るいろんなものが「昔」を想起させるものばかりで、だからこそドヤ街に来ると、どうしても「過去」や「懐かしさ」みたいな感情が湧いてくるのだ。しかし、この過去や懐かしさは、ただ単に「古さ」を示しているのではない。
この「古さ」を生み出しているのは基本的には「貧困」である。ドヤ街は貧困街である。貧困でどうにもならなくなった人が流れ流れて最後に堕ちるところがドヤ街なのである。だから、ドヤ街の「古さ」には悲しみも織り込まれている。
観光地にある煌びやかな「古さ」は歴史の重みと栄華を感じさせる場所なのだが、ドヤ街の古さは真逆なのだ。それはみすぼらしさと自暴自棄を感じさせる場所である。
だから、ほとんどの人はドヤ街の古さを嫌う。その光景も、そこにいる人たちをも嫌う。だから、ますます人も街も見捨てられたままとなり、古さがみすぼらしく重なっていく。それが、ドヤ街という街の特徴である。
ヨコハマのドヤ街「寿町」を撮ってきたので、見て欲しい。