パチンコは「欲望」「攻撃本能」「多幸感」の3つを刺激しながら客を落としていく

パチンコは「欲望」「攻撃本能」「多幸感」の3つを刺激しながら客を落としていく

最初は何か勝利に結びつくような黄金のパターンがあるのではないかと考えを巡らし、トライし、検証するわけで、頭も勝つことに集中している。しかし、すぐに疲れ果て、惰性と化して生きた屍のような目をして、ほとんど何も考えずに台に向かうようになる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

ありとあらゆるギャンブルは一攫千金のワナを張る

今日、横浜に行ったのだが、用事が終わって急いで東京に戻ろうと思った時、ふと道の真ん前にパチンコホールがあるのが目に付いた。街はクリスマスのデコレーションで派手に飾っているが、パチンコホールも灯りがネオンがギラついて負けていない。

『どん底に落ちた養分たち』でのパチンコ依存者の取材も終わって彼らとは縁が切れたはずなのに、私は気になって引き寄せられるようにパチンコホールに入っていく。ガラス戸が開くと、相変わらずの大音響が洪水となって押し寄せる。

その中で、やはり性別問わず多くの人がギラつく台の前にびっしりと張りついてギャンブルに昂じている姿があった。彼らは街の浮かれたようなクリスマス気分も何も関係ない。ただ、目の前で不規則に跳びはねる銀の玉だけが彼らの世界である。

「相変わらずだな……」と私は思いつつ、しばらく彼らを見て回ってからそこを去った。ギャンブルにのめり込む人はギャンブルから離れられない。これからもずっと、のめり込み続けていくのだろう。

そして月末はジャンボ宝くじの季節だ。やはり、街のそちこちで宝くじ売り場があって、多くの人が一攫千金を狙って並んでいる。

ギャンブルはたまに勝つようにシステム化されている。確率は低いが、一攫千金が得られることもある。一気に大金を手に入れた時、人は思いもしなかった幸運に雄叫びを上げて喜ぶ。

勝った時の凄まじいカタルシス、勝った時のドーパミンの大量分泌、勝った時の得も知れぬ多幸感……。一攫千金を成し遂げた時の「極度の興奮」は一度味わうと病みつきになって、人によってはその一瞬でギャンブル依存の道を歩み出す。

一攫千金は人生の大逆転であり、幸運の巡り合わせだ。

だから、多くの人が一攫千金の夢を見る。たまたま、一攫千金を当てた人はよりギャンブルに堕ちていき、一攫千金をが欲しい人もギャンブルを何度も繰り返す。だから、ありとあらゆるギャンブルは一攫千金を徹底的にアピールし、宣伝する。

「ギャンブルで一発当てた人」を宣伝し、そういう幸運が誰にも訪れる瞬間があることを徹底的に知らしめる。つまり「一攫千金」というワナを張る。

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パチンコは間違いなく客に不利なゲームなのだ

もっとも、宝くじのような「一攫千金」は億単位の賞金が当たる反面、買って保管しておくだけなので熱意を保ち続けるようにはなっていない。問題はパチンコやパチスロだ。

これらのギャンブルは億単位を一晩で稼ぐことはできないのだが、10万円だとか30万円だとかを当てることはある。

その金額は一攫千金ではないが、リアルで即物的だ。しかも、宝くじのように忘れた頃に当たったかどうかが分かるのではなく、目の前で結果が出る。射幸心が煽られる。

当たった時の高揚心は一攫千金も同様なのである。しかも、長時間「戦った」末の勝負で勝った時は、満足感もひとしおだ。その満足感がまさに「射幸心」だ。この射幸心がギャンブル依存症を悪化させる。

パチンコホールが、客に大当たりを連発させて破産したという話は聞いたことがない。しかし、客がパチンコにのめり込んで破産したという話は履いて捨てるほど聞く。ということは、パチンコは間違いなく客に不利なゲームなのだ。

パチンコだけではない。すべてのギャンブルは徹頭徹尾「胴元が有利」になっていて、客は胴元に転がされているだけの存在だ。しかし、100%胴元が勝ってばかりいると、それはギャンブルにならない。

客にも、たまに勝たせて夢を見させる。たまに勝たせてドーパミンを放出させる。たまに勝たせて有頂天にさせる。そして、たまに勝たせてギャンブル依存に落とし込み、徹底的に搾取する。

ギャンブルはトータルで見るとほとんどが「負け戦」なのだが、たまに勝つことがある。その「たまに勝つ」という現象が、ギャンブル依存をより深めるワナとなっている。

ほとんどの依存者は、それがワナであるかどうかというよりも、「とにかく勝ちたい」「勝率を上げたい」という意識が強いので、ますます深みにハマる。つまり、みすみす仕掛けられたワナに堕ちていく。

パチンコの場合、厄介なのはひたすらイスに座って台を見つめて「作業」をしているのだが、それがあたかも仕事をしているかのような錯覚になってしまうことだ。それは紛れもなくギャンブルであって労働ではないのだが、まるで真っ当な労働をしているかのような錯覚にとらわれるのだ。

最初は何か勝利に結びつくような黄金のパターンがあるのではないかと考えを巡らし、トライし、検証するわけで、頭も勝つことに集中している。

しかし、すぐに疲れ果て、惰性と化して生きた屍のような目をして、ほとんど何も考えずに台に向かうようになる。惰性が永遠に続く。そして、たまに勝つと一気にドーパミンが脳内で放出されて多幸感を得る。労働の対価が得られたような感覚はますます強まる。

しかし、それは労働でも何でもない。もし、勝てなかった場合、時間と共に金も失っている。「長い作業の果てに金を失う」というのは労働ではない。しかし、パチンコにのめり込んでいる依存者は、そこに思い至ることはない。

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射幸心を極限まで煽り立てるパチンコ

パチンコは「金を手に入れることができるかもしれない」という根深い欲望を強烈に刺激する。パチンコは人間が本来持っていた攻撃本能をも刺激する。そしてパチンコは、勝った時に多幸感を得ることができる。

つまり、パチンコは「欲望」「攻撃本能」「多幸感」の3つを刺激しながら、客を引き返せないところにまで追い込んでいく仕組みになっている。この「欲望」「攻撃本能」「多幸感」もまた、客をギャンブル依存症に落とし込むための用意されたワナなのである。

これはもちろんパチンコホールが考えたというよりも、すべてのギャンブルが持っている基本的な仕掛けである。

パチンコはそこに「多種多様な演出」を組み込んで、ギャンブルが持つ射幸心を極限まで煽り立てる。パチンコ店に入った時のあの大音響、パチンコ台が放つ光の洪水、そして様々な効果音、大当たりを当てた時の大爆音、バイブするボタン……。

それこそ、視覚・聴覚・触覚のすべてを極度の過剰な演出で埋め尽くしていき、客を離れられなくしていく。この過度な演出空間もまたパチンコ産業が意図的に仕掛けたワナである。

客が長時間そこに居座り、勝てるようで勝てない、勝てないようで次は勝てそうな演出を何度も何度も繰り返して、過剰に煽り立てていくと、客はもはや通常の感覚をどんどん喪失して、パチンコの強い刺激しか反応しなくなっていく。

パチンコから離れた日常は、あまりにも刺激がなくて生きているような気がしなくなっていく。

普通に生きていることが物足りなくなる。

過剰な演出に包まれている刺激的な空間に長くなればなるほど、パチンコホールの非日常的な空間だけしか自分を満たしてくれるものがなくなっていく。そして、仕掛けられたワナにどっぷりとハマって、ギャンブル依存症ができあがる。

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店内ATM、銀行、消費者金融、コンビニもワナに

パチンコはやり始めると途中でやめられなくなる。あらゆる演出が為されて「あと少しで勝てるかもしれない」「次は勝てるかもしれない」「勝つまで終わらせることができない」という気持ちになっていくからだ。

大穴を当てて勝てば、攻撃本能も極度に刺激されているので「ツイてる。もっと勝てるかもしれない」という気持ちに傾く。そして、せっかく勝った金も終わる頃になるとすべて持っていかれる。

「もっと勝てるかもしれない」と思ってしまうのも、ギャンブル依存者が持つ特有の感情なのだが、パチンコ産業はこうしたギャンブル依存者が持つ心理を非常に良く研究している。

パチンコホールは、とにかく客に長く座らせて、「ツイてる。もっと勝てるかも」と思わせ、費やす時間に比例してどんどん賭け金を増やすように仕向ける。

勝負に熱くなった客や、勝てなくてイライラして「このままでは終われない」と思っている客や、「とにかく少しでも勝って金を持って帰りたい」と思っている客は、金を儲けたいと思っていながら、どんどんATMで金を引き出して玉に費やす。

ちなみに、パチンコホール内にATMがある店も存在する。賭け金がなくなっても、そこで金を降ろすなり、借りるなりして金を手に入れてまたパチンコ台に向かう。

このパチンコホール内のATMは違法ではないのだが、カジノを含む統合型リゾート施設(IR)整備の一環として、政府が『ギャンブル依存症対策推進基本計画』を閣議決定したことによって、業界は空気を読んで「撤去する」と言っている。

しなしながら、パチンコホール内のATMが撤去されたとしても何の影響もないだろう。パチンコホールのまわりにはなぜかポツリとATMがあったり、パチンコ屋の隣が消費者金融の店だったり、目の前がコンビニだったり銀行だったりする。

最近はコンビニでもATMが設置されているので、パチンコに狂っている客にとってはコンビニも銀行みたいなものだ。そこで金を降ろして、缶ジュースでも買って、またパチンコホールに戻ってパチンコに没頭する。

店内ATM、銀行、消費者金融、コンビニのような店も、ギャンブル依存症の人間にとってはすべてが依存を深め、どん底に転がり落ちるワナと化す。かくして、日本には数十万人ものギャンブル依存症者が、街をさまよい歩く国と化した。

今日も、彼らがパチンコにのめり込んでいる姿を私は見た……。

どん底に落ちた養分たち
『どん底に落ちた養分たち――パチンコ依存者はいかに破滅していくか(鈴木 傾城)』

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