自分が成し遂げたいと思うことは、徹底した反復で手に入れなければならない

自分が成し遂げたいと思うことは、徹底した反復で手に入れなければならない

「飽きもせず同じことを繰り返す」というのは、正しく使えば自らの目的を実現する大きな力になる。だから成功している人ほど、目的を達成するために常軌を逸しているとまわりから思われるほど「反復」する。大切なことは何度も何度も反復される。反復することによって記憶に刻まれ、肉体に刻まれ、自分の血となり肉となる。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

聖書20冊を記憶してしまった男

トム・マイヤー(Tom Meyer)というアメリカ人の聖書研究家がいる。

日本人にはまったく知られていない人物だが、敬虔なキリスト教徒でこの人物を知らない男はいないと言われている。アメリカだけでなく、キリスト教圏ではかなり名の通った人物だ。

トム・マイヤーの仇名は「バイブル・メモリー・マン」である。直訳すると「聖書記憶男」だ。その仇名の通り、トム・マイヤーは聖書66巻のうち20冊以上を完璧に記憶しており、自由自在に引用することができる能力を有している。

2018年には『暗記するための聖書』という書籍も記しているのだが、あの膨大な聖書を20冊以上も完全にマスターするというのは尋常なことではない。普通は3ページも覚えることができないはずだ。

トム・マイヤーはいかにして20冊もの聖書を暗記することができるようになったのか。それは、執拗かつ徹底的なる「反復」だった。とにかく反復する。何度も何度も読む。読みながら口に出す。書きながら口に出す。常に反復する。

言われてみれば「当たり前」だ。もちろん、細かなテクニックはあって、そうしてテクニックが反復の正確さを担保しているのが、それでも基本となるのは「とにかく繰り返し反復する」ということだった。

これは、私たちの知らなかったことだろうか。いや、私たちは誰でもそれを知っているはずだ。

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「バイブル・メモリー・マン」トム・マイヤー

大切なことは何度も何度も反復される

聖書のかなり長い章を暗記している人は、実は欧米やイスラエルでは少なくない。トム・マイヤーも、聖書を暗記しようと思うようになったのは、イスラエルに在学中のことだったという。

イスラエルは聖書だけでなく、トーラーと呼ばれるユダヤ教の書物も大事に扱われて今も研究され続けているのだが、ユダヤ人はとにかく「書物の民」「知の民」であり、驚異的な記憶力で古典を暗記している人で溢れているのである。

このユダヤ人もまた「反復」を重視する民族でもある。

ユダヤ人だけではない。コーランという宗教書を持つイスラム教徒もまたコーランの暗唱は非常に重要な「科目」であり、大勢の学生がコーランの丸暗記をライフワークとしている。

実際に朗々とコーランを説く人もいる。宗教者が、ではない。ごく普通の人がそうなのである。このイスラム教徒もまた、情熱的な「反復」によって「記憶」を手に入れることができるようになっていた。

勉強でもそうだが、大切なことは何度も何度も反復される。反復することによって記憶に刻まれ、肉体に刻まれ、自分の血となり肉となる。

反復を否定する人間は、愚か者か、怠け者でしかない。「大切なこと」こそ、繰り返されなければならないのである。

「覚えなければいけないことは反復する」「大切なことは反復する」というのは、優れた人間の最大の武器である。

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彼らは何千時間を練習に費やしている

「飽きもせず反復できる人間が大成する」というのは、昔からよく知られている。飽きっぽい人間は、よほどの才能がない限り大成できないというのも昔からよく知られている。

「飽きもせず同じことを繰り返す」というのは、悪用すれば洗脳の手段にもなるが、正しく使えば自らの目的を実現する大きな力になる。だから成功している人ほど、目的を達成するために常軌を逸しているとまわりから思われるほど「反復」する。

ちなみに、反復が重要なのは「記憶」だけの話ではない。

アスリートはどうか。アスリートも必要なワザや型を会得するまで、何百回どころか何千回に至るまで同じ動きを「反復」して、寸分も狂いもなく同じ動きができるように心がける。

イラストレーターや漫画家は、必要な絵が描けるまで、やはり何百回も何千回も同じデッサンを「反復」して書き続ける。それが苦痛だと思うようであれば、そもそもその業界に向いていない。

歌手や演奏者も、同じ曲を一万回でも二万回でも「反復」して磨きをかけていく。観客が聞くのは、たった数分かもしれない。しかし、その数分の歌を観客に「魅せる」ために、彼らは何千時間を練習に費やしているのである。

そうやって長い時間をかけて「反復」され、磨かれた才能が人々の琴線に触れると、今度はその曲が10年、20年に渡って同じ歌手によって歌い続けられることになる。

熟練のワザに触れると、人々が感銘を受けてそれが反復されるのを望む。「同じことばかりできる」というのは大成する素質があるということである。それは大きな才能だ。

逆に「同じことばかりしている」と他人を嘲笑うような人は、何も成し遂げられない人でもある。真実が何も分かっておらず、何も実現できない。

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同じことばかり飽きもせず反復する

「同じことばかり飽きもせず反復する」というのは、他人から見ると無駄に見えるかもしれない。しかし、それは決して無駄ではない。むしろ、自分が望むものを手に入れるためには、絶対にしなくてはならないことだ。

長い人生で何らかの果実を得たいと思うのであれば、早い段階で「反復の効果」を知り、それができるように訓練しなければならない。

自分が成し遂げたいと思うことは反復して手に入れなければならない。それは子供も漠然と気付くのだが、それが確信になるのが早い子もいれば遅い子もいる。大人になっても気付かない人もいる。

誰かが必要な技術を会得するために、同じことを何回も反復練習していると、必ず「馬鹿のひとつ覚えのように同じことをしてる」と嘲笑う人が出てくる。「そんなことをしても無駄だ」と、自分では何もしない人が何かをしている人を見下す。

「反復」の重要性に気付かない人が、何かを手に入れようとして「反復」を続ける人を嘲笑するのである。いや、中には「反復」の重要性に気付いている人も、反復練習をしている人を馬鹿にすることがある。

その理由はひとつ。自分が会得できないものを相手が会得したら困るので、それを止めさせるためである。反復を止めさせれば熟練することはない。だから反復を止めさせる。

「反復する」というのは、いろんな意味でそれを実現する効果がある。だから、相手の足を引っぱるには反復させないようにすればいい。

本来であれば、このような雑音に耳を貸さずに、ひたすら反復をして熟練していけばいいのだが、残念ながら自分のやっている反復を馬鹿にされると、それを途中でやめてしまう人の方が多い。

「反復」というのは、「同じことを何度も繰り返す」ということなので、それは地味で泥臭く恰好が悪いことだ。だから、馬鹿にされることで、泥臭いことはやりたくないと思ってしまう人もいる。間違っている。才能を開花させたいと思ったら、やるべきことは1つ。

「反復せよ」

それがすべての答えだ。反復で得られるものは無限であることを、「バイブル・メモリー・マン」であるトム・マイヤーを見ていると気づくはずだ。

『記憶術全史 ムネモシュネの饗宴(桑木野 幸司)』

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