馴染みだった神保町の「キッチン南海」が閉店するとのことで最後に食べて来た

馴染みだった神保町の「キッチン南海」が閉店するとのことで最後に食べて来た

「神保町キッチン南海が2020年6月26日で閉店する」とインターネットで取り上げられていた。青天の霹靂だった。10代の頃からずっと「そこにあって当たり前」の店がなくなるとは思いもよらなかった。半年前の2019年11月に行った時も、閉店の兆候などまったくなくて私の寿命よりも長生きしそうな店だったので驚きもひとしおだった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

「キッチン南海」が2020年6月26日で閉店すると知った

10代の後半の頃は、ヒマさえあれば神保町を歩いて本を5冊も6冊も買っていた。

10代の後半まではマリオ・プーゾォの分厚い小説だとか、エドガー・ポーだとか、マルグリット・デュラスだとか、フランソワーズ・サガンだとか、ジョルジュ・バタイユだとか、マルキ・ド・サドだとか、そんな一癖も二癖もあり過ぎる作家の本を繰り返し読んでいた。

他にも、今はもう内容どころか作家名も何も覚えていない推理小説だとか、株式投資の本だとか、ビジネス本だとか、興味ある内容が載っている雑誌だとか、その時々に関心を持った内容の本を片っ端から読んでいた。

こうした本の大部分を、私は神保町を歩き回って買っていた。歩き疲れたら馴染みの喫茶店に入って時間をつぶし、たまにすずらん通りの「神保町キッチン南海」でカツカレーを食べて帰った。

カレーはカツカレーじゃないと落ち着かなくなったのは、キッチン南海のせいかもしれない。何しろここは「元祖カツカレー」の店だ。神保町で「キッチン南海」の世話になった人間がカツカレー以外のものを食べていたら、それは裏切りだ。

その「神保町キッチン南海」が2020年6月26日で閉店すると知った。

コロナで経営が悪化したのかと思ったらそうではなく、建物の老朽化で閉店することになったようだ。

ただ、この店の店長は7月中に神保町花月の向かいに、のれん分け独立店を出すとのことなので、閉店というよりも移設という方が正しいのかもしれないが、それでも慣れ親しんだ店が消えるというのは寂しい話だ。

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「そこにあって当たり前」の店がなくなる

実は、キッチン南海は2019年11月の終わり頃に用事があって神保町に行った時にも入って食べている。

しかし、この時は非常に残念だった。何が残念だったかというと、私は大きな手術をした後で嗅覚がまったく戻っておらず、何を食べても何を飲んでも、まったく無味無臭の頃だったのだ。

味も匂いも強烈なカレーならさすがに分かるだろうと思ったが、分からなかった。もしかしたら一生嗅覚は戻らないのではないかと心配になるくらい無味無臭だった。そういうわけで、せっかくの久しぶりのキッチン南海なのに、何を食べたのか分からないまま店を後にした。

ちなみに嗅覚は2月頃から戻ってきて、今は普通にいろんな匂いもするし味もするようになった。

そういうこともあって、嗅覚が戻ったらもう一度キッチン南海で食べてみたいと思っていたのだが、そんな矢先に「神保町キッチン南海が2020年6月26日で閉店する」とインターネットで取り上げられていた。

青天の霹靂だった。10代の頃からずっと「そこにあって当たり前」の店がなくなるとは思いもよらなかった。半年前の2019年11月に行った時も、閉店の兆候などまったくなくて私の寿命よりも長生きしそうな店だったので驚きもひとしおだった。

今は死ぬほど忙しくて、やらなければいけないことも山ほどあって時間に追われている。本当は外をウロウロしている場合ではない。しかし、あの「キッチン南海」が閉店するというのであれば、もう致し方がない。行ってきた。

この店で食べるのはこれで最後かと思うと寂しかったが、老朽化での閉店であれば受け入れるしかないのだろう。少なくとも、コロナでやっていけなくなったというよりはマシかもしれない。

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「キッチン南海」

この店で食べるのはこれで最後かと思うと寂しかったが、老朽化での閉店であれば受け入れるしかないのだろう。少なくとも、コロナでやっていけなくなったというよりはマシかもしれない。

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久しぶりの神保町の光景

喫茶店「さぼうる」でココアを飲んで帰った

神保町は、もう私が10代後半の頃に足しげく通っていた「あの神保町」とはまったく違った街になってしまっている。

2006年頃、神保町の水道橋寄りのボロボロの雑居ビルの二階に拠点を構えていた編集者がいて、何度も顔を出していた時期があった。この頃もすでに神保町は小さな特徴のある書店がバタバタ潰れていて「神保町もつまらない街になった」と彼が嘆いていたのを覚えている。

インターネットが定着すればするほど、小さな書店や小さな出版社が次々と消えていき、神保町は変わっていったのだ。時代の趨勢だった。私もこの前後から神保町で古本を漁ることも、本を買うこともなくなっていた。

今はもっと極端だ。私はもうほとんど紙の本を読まない。本はすべて電子書籍で買う。昔の紙の出版物も紙で読まない。倉庫にある本も片っ端からPDF化してもらっている。業者にPDFにしてもらって、デジタル化されたものをiPadで読む。

別に私は本が嫌いになったわけではない。今でも毎日毎日大量に「何か」を読んでいる。しかし、それはもう書籍の形をしているわけではなく、インターネットでの文章であったり電子書籍であったりするものだ。

要するに私は明確に「紙」という媒体から完全に離れてしまった。

「キッチン南海」で食べ終わっていくつかの本屋を巡ったが、昔ながらの本が売っている店もあれば、昔のDVDやCDやレコードを売っている店もあれば、本屋なのに雑貨やら文房具やらアクセサリーなんかを売っていて、何屋なのか分からなくなっている本屋もあった。

私だけではなく、多くの人が、特に若年層が完全に「紙の本」から離れてしまっているのが久しぶりに神保町を歩いても分かった。街の変化にやや疲れ、私は昔ながらの喫茶店「さぼうる」でココアを飲んで帰った。

次に私が神保町に戻るのはいつになるのだろう。

街の変化にやや疲れ、私は昔ながらの喫茶店「さぼうる」でココアを飲んで帰った。次に神保町に戻るのはいつになるのだろう。

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