自粛の時代になって、1340万人が「人付き合いから解放された」と安堵している?

自粛の時代になって、1340万人が「人付き合いから解放された」と安堵している?

本当のことを言うと、仕事に行ったり人と付き合うより、家に帰ってひとりで好きな映画を観たり、音楽を聞いたり、本を読んだり、ゲームをしたりしたい人が大勢いる。しかし、ただ生活のためにそれをぐっと我慢している。働いている人のうち、1340万人はそうかもしれない。感受性が強すぎて疲れてしまう人はHSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)と言う。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。まぐまぐ大賞2019メディア『マネーボイス賞』1位。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。(連絡先:bllackz@gmail.com)

最初から自粛しているようなライフスタイル

私が最後に他人と話らしい話をしたのは4月8日あたりで、それ以後から今日までほとんどの時間をひとりで過ごしたので、よくよく考えて見れば1ヶ月以上も「誰とも」話していないことに気づく。

いや、厳密に言うと路上のテイクアウトでモノを買うのに、一言二言くらいは何か話したかもしれないが、それはほんの一瞬だし毎日ではない。

私は投資はしているがビジネスをしているわけではない。誰かに雇われたり雇ったりしているわけでもない。友人も作らなかったし、定期的に合わなければならない人もいない。他の人とつるんで生きることには興味も関心もない。

もう何十年も前から私は1ヶ月くらい誰とも話をしていなくても生きていける環境が整っており、実際、過去には刑務所の独房に入れられているわけでもないのに、半年以上も誰とも会わず誰とも会話しない時期もあった。

つまり、私はコロナ禍で自粛がなくても、最初から自粛しているようなライフスタイルだったということだ。

別にひきこもりではないので、真夜中になったらドラキュラのように街に出てアテもなくふらふらとさまよい歩いている。そこで、私と同じようにふらふらしている得体の知れない人とたまに交差する。

しかし夜の世界だ。互いに名乗ることもないし、名乗っても相手は源氏名だ。基本的には、その日に別れてそれっきりだ。連絡を取り合うことなんてない。そのため、相変わらず私はひとりのままである。

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全員が「自粛・休業・ステイホーム」を苦しんでいるのか?

私のこのライフスタイルは今に始まったことではない。私は実質的には二十歳で社会をドロップアウトしたようなものだから、誰にも会わないで生きるというスタイルにはかなり年季が入っている。

誰とも会わない私のライフスタイルは、これからやってくるコロナによる一億総孤独時代によくマッチしていると我ながら思う。

それで幸せなのかと思われるのかもしれないが、逆に大勢に囲まれても居心地の悪さや孤独を感じている人は大勢いるのだから、むしろ私のように誰とも会わないで静かに暮らしていけるライフスタイルの方を望んでいる人も多いのではないか。

コロナのパンデミックによって、ほとんどの人は閉塞感に苦しんでいる。

「親しい友人と会えない」とか「親の実家に帰省できない」とか「どこにも遊びに行けない」とか「パーティーができない、映画に行けない、イベントに行けない」と閉塞感を嘆いて、コロナ鬱になる人すらもいる。

「いつになったら終わるんだ?」と人々はイライラしている。

経済も急に回らなくなり、多くの人が早く以前のように戻ってくれと切望しているのだが、経済以前に「家に押し込められて楽しいことが何一つない」と気落ちしている人が多いのだ。その苛立ちが高じて家庭内暴力や子供の虐待が増える始末だ。

しかし、全員が「自粛・休業・ステイホーム」を苦しんでいるのか。いや、そうではない。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

「今の方が幸せ」と言っている人を私は知っている

そもそも、私自身がコロナ禍による「監禁生活」となっても特に何とも思っていない。私は数十年も前から「誰とも会わないライフスタイル」を確立していたし、それが苦しいと思ったことは一度もない。

ひとりの方が自分の好きなことができるし、好きなことを考えられる。他人に影響されることなく自分の時間が過ごせる。それの何が苦痛なのか、私にはさっぱり分からない。

世の中には、夜な夜なパーティーにでも行かないと寂しくて死んでしまうような超社交的な人もいるのだろうが、そんな人ばかりではないということだ。ひとりで過ごすのが好きな人はかなりの数でいる。

世の中の全員がアウトドア派ではない。間違いなくインドア派もいる。今回のコロナ禍で「なるべく人と接しないで下さい、出歩かないで下さい、家にいて下さい」と要請されて、実は嬉しくて小躍りした人がいるのは間違いない。

世の中には、人と付き合うのが苦手だとか面倒だと人は意外に多い。

そういう人でも、収入を得るためにしぶしぶ人と打ち合わせしたり、会議したり、交渉したり、セールスしたり、付き合いで飲み会に行ったりして普通に生きている。しかし、だからと言ってそれが好きなわけではない。

彼らは、本当のことを言うと家に帰ってひとりで好きな映画を観たり、音楽を聞いたり、本を読んだり、ゲームをしたりしたいのだ。本当はそういう時間がたくさん欲しいので働きたいとは思っていない。しかし、ただ生活のためにそれをぐっと我慢している。

そういう人は「自粛しろ、家にいろ」と言われて、「やっと面倒な人付き合いから解放される」と思っている。実際、「今の方が幸せ」と言っている人を私は知っている。

地獄のようなインド売春地帯を描写した小説『コルカタ売春地帯』はこちらから

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)

HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)という言葉をよく聞くようになった。この言葉を提唱したのはエレイン・N・アーロン博士が1996年に提唱したものだと言う。映画『センシティブ – 語られない物語』によると、このように書かれている。

1991年、アーロン博士は画期的な発見をしました。それ以来、彼女の国際的ベストセラー『高感度な人』は22カ国語に翻訳されました。アーロン博士は5人に1人の人が非常に敏感であるだけでなく、この特徴は100以上の国・人種でも同じ割合で見られることを発見しました。

こうした人たちは、感性が豊かであり、いろんな意味で人の心を察してしまうのでとても疲れてしまう。たとえば「大きな音が苦手」「他人の気分に左右される」「一度にたくさんのことをしたくない」「生活や環境に変化があると混乱する」「内気だと思われる」「美術・音楽・芸術に深く感動する」「繊細な香りや味、音や音楽が好き」「あらゆることに影響を受けやすい」な人はHSPの傾向がある人でもある。

自分がどうなのかというのは、テストするサイトもある。(HSP診断テスト

こうした感受性が強すぎて疲れてしまう人は「5人に1人」の割合でいるというのだから、1億2000万人の日本人のうち、2400万人はそうだということだ。

日本の労働人口は6700万人なので、働いている人のうちの1340万人は「やっと面倒な人付き合いから解放される」と安堵しているということになる。1340万人というのは決して少ない数ではない。

コロナ禍で社会はたった数ヶ月で激変した。これからもコロナ禍が延々と続くのであれば、これからの時代はHSPの人たちが有利だということになるのだろうか。ちなみに、HSPの一体は感受性が強いがゆえに、普通の人にはない利点も多く持ち合わせている。ウィキペディアにはこのようにまとめられている。

「優れた良心の持ち主で裏切り行為をしない誠実さ・私情を挟まない正義感」
「愛情や喜びをより深く感じ取る」
「ポジティブな人生観」
「親切で共感力が強い。カウンセラー・教師・ヒーラーへの高い適性」
「アート・音楽などの美の理解・共感力」
「独創性が豊か」
「異なる立場にある人への共感と理解」
「危機を早期に察知する能力」
「環境問題への関心の高さや、生物/動植物への優しさ・意思疎通」

ハイリー・センシティブ・パーソン

……

私自身は他人を攻撃することも攻撃されることが日常だし、社会の憎悪や暴力や残虐さを好んで見つめているし、ポジティブな人生観を持っているとは言い難いし、それほど他人に親切でもない。私はHSPの定義に当てはまっていない。しかし、HSPの人の特性は好きだし、今まで好きになった女性はHSPの傾向がある人が多かった。

HSPの人たちの時代になるのであれば、それはそれで興味深いと思う。

『ひといちばい敏感な子(イレイン・N・アーロン)』

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