チャーハン・タコスと、タイのカレーラーメンと、沖縄のスパムの話

チャーハン・タコスと、タイのカレーラーメンと、沖縄のスパムの話

1990年代、私はまだ危険ではなかったメキシコに何度も訪れていたのだが、何を食べても豆ソースがかかっているメキシコ料理やタコスに飽きが来て、ある夜とうとうアジアの料理が食べたいと熱望した。

しかし、東南アジアから遠く離れたメキシコで東南アジアのレストランがあるようには思えなかったし、日本料理も高額なように思えた。しかし、中華料理なら世界中どこにでもあるはずだ。

「そうだ、中華料理を食べよう」と私は思った。

そこで、夜も更けた頃にタクシーの運転手を捕まえて「中華料理が食べたい。中華料理のレストランに連れて行ってくれ」と頼んだのだが、タクシーの運転手は「中華料理の店はよく知らない」「夜遅いから、どこも終わってる」と困惑した。

それでも、夜にニューメキシコの町を流してもらって、やっと見知らぬ場所で小さなレストランらしきものを見つけ出してくれた。すでに店は終わろうとして客はひとりもいなかったが、私は無理やり割り込んでチャーハンを頼んだ。

ところが、出てきたチャーハンを見て私は絶句した。それはタコスに炒めた米が巻かれたものだったからだ。それはチャーハンと言うよりもタコスだった。中華料理とは程遠い。結局、私はメキシコ人がチャーハンと言っているタコスを食べた。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

ギョーザとチャーハンの組み合わせ

グローバル化が進んでいくと多くの企業が国外に出ていき、現地の人たちを雇って経営をすることになる。日本企業も、多くが国外に出て、現地で定着しようと必死になっている。

カンボジアでは、プノンペン国際空港の入口に「吉野屋」があるのを見て意表を突かれたが、よくよく考えれば吉野屋はバンコクにもあるし、シンガポールでも普通に見かけた。

バンコク・タニヤ通りには、日本の居酒屋などもあったりするのだが、「吉野屋」そっくりの店もあって驚かされる。「牛野屋」という店なのだが、暑さにやられながらふらふら歩いていると、本物の「吉野屋」なのかと間違ってしまいかねないほど似ているのだ。

今もあるのだろうか。長らくタイに行っていないので分からないが、本物に混じってニセモノまで出現するほど日本料理屋があちこちにあるということでもある。

アメリカのファストフード店も、スターバックスもカンボジアに進出しているのだから、今さら日本のレストランチェーンが国外にあってニセモノが生まれて不思議に思う方がどうかしている。

よく考えて見れば、日本国内でもタイ料理屋があって日本人が料理して、味が日本風にアレンジされていたりするのだが、タイ人が食べると「これはタイ風日本料理だ」と思うかもしれない。

そう言えば、日本の中華料理を食べた中国人は、みんな「これは中華料理というよりも中華風日本料理だ」と批評する。「ラーメンとチャーハンを一緒に食べるのはおかしい」「ギョーザとチャーハンの組み合わせもおかしい」とも言う。

何がおかしいのかと日本人はいぶかるのだが、中国人にとってはギョーザは主食なので、基本的にはラーメンやチャーハンと一緒に食べるものではないのである。

ブラックアジアでは有料会員を募集しています。よりディープな世界へお越し下さい。

マグロのスシにケチャップ

日本人にとって、ギョーザはチャーハンや白米と一緒に食べるのがおいしいのであって、その組み合わせが「おかしい」と言われたら逆に驚くのだが、場所が変われば常識も変わるのは致し方がない。

そう言えば、日本人はラーメンの中にカレーを入れて食べるのはおかしいと思うが、私はタイで、ラーメンの中にカレーが入れられた料理を食べた。日本人にとって、それはあまりにも「おかしい」組み合わせなのだが、タイでは確かに存在している。

タイ人にとっては、それは許される組み合わせのように思っているから、そうしたメニューも生まれているということだ。

アメリカではスシが大流行しているのだが、アメリカ人はマグロのスシにケチャップをかけて「おいしい」と言っている。

アメリカ人はハインツのケチャップをこよなく愛していて、旅行に行ってもケチャップを持参して、バナナにケチャップをかけて食べる人もいる。そうであれば、スシにケチャップをかけて食べるのがアメリカで普通になっても仕方がない。

日本人がいくら「それは違う」と言っても始まらない。スシのネタをハンバーグにしてしまっても、彼らにはそれは「スシ」なのである。

そう考えると、中国人が日本の中華料理を食べていろんなところに違和感を感じても、それはそれで納得できる。

そう言えば、インド人も日本のカレーを食べて、本国のカレーとまったく違うので驚くのをよく耳にする。

「日本のカレーには味がない」とインド人は言う。日本人には濃厚な味がするように思うがインド人には味がないという。日本人がインド料理のカレーを食べると、確かにそれは日本のカレーとは違う味がする。

何が違うのかというと、スパイスの種類が違うのだ。インド人は多種多様なスパイスの違いが舌で判別できるのだが、日本のカレーにはスパイスがなく、それが味の欠如に思えてしまうようだ。

アメリカのスシが日本のスシとは違うように、日本のカレーもインドとは違うのだ。

1999年のカンボジアの売春地帯では何があったのか。実話を元に組み立てた小説、電子書籍『スワイパー1999』はこちらから

ステーキが沖縄の文化になっていた

ところで、私がメキシコで驚いた「チャーハン・タコス」だが、日本でこれを驚かない地域の人が存在するとしたら、きっと沖縄だ。なぜなら、沖縄にもチャーハン・タコスが存在するからである。

それが一般的なのかどうかは別にして、そういうものが食べられるというのが沖縄の特徴だ。

私は2019年2月に生まれて初めて沖縄に行ったのだが、ここは興味深い場所だと思った。沖縄と言えば「ゴーヤーチャンプル」や「沖縄そば」を思い出す人もいるはずだが、沖縄の料理は本土の料理とはいろんなものが微妙に違っている。流行も違う。

沖縄をウロウロするとすぐに気付くのはステーキ屋の多さだが、なぜステーキ屋がこれほどまで多いのかというと、沖縄は「基地の町」だからである。アメリカ人がそこに大量にいてアメリカ人の消費や味覚が土地の文化に組み込まれている。

だから、アメリカ人が好むステーキが沖縄の文化になっていたのである。

私は実際に沖縄を見るまで「基地の町」と言ってもそれが、どれくらい沖縄に根ざしているのかはあまりよく分かっていなかった。

しかし沖縄にしばらくいると、「基地の町」というのは単に「基地がそこにある」を通り越して、沖縄という場所の文化の奥深いところにまで影響を与えるレベルの強さであるというのが分かった。

以前、私はメキシコで「スパム」を巡って、親しくなった女性に「出て行け」と激怒されたことがある。(ブラックアジア:SPAM(スパム)というアメリカの缶詰を食べたことがあるか?

メキシコはアメリカと長い国境線を共有する。メキシコにもアメリカ文化が大量に定着していて、メキシコ人はアメリカの「スパム」を愛している。私はそれをけなして激怒された。

実は、この「スパム」は沖縄にも定着していて、まるで沖縄の食材かのように食べられている。言うまでもなく、アメリカ人が沖縄でも「スパム」を食べるので、それが沖縄にも定着したのである。

ところで、アメリカにはメキシコ人が大量に流れ込むので、アメリカにもタコスが定着している。だから、アメリカ人はそのタコスをも沖縄に持ち込んできている。だから、沖縄にも「チャーハン・タコス」があったのだった。

沖縄は本当に興味深いところだ。実際に行くまで気付かなかった。(written by 鈴木傾城)

沖縄で人気の「ジャッキー・ステーキハウス」。夜になっても人でいっぱいで、平気で1時間も待たされる。味は絶品だ。

沖縄をウロウロするとすぐに気付くのはステーキ屋の多さだが、アメリカ人がそこに大量にいてアメリカ人の消費や味覚が土地の文化に組み込まれている。だから、アメリカ人が好むステーキが沖縄の文化になっていたのである。

ブラックアジア会員登録はこちら

CTA-IMAGE ブラックアジアでは有料会員を募集しています。表記事を読んで関心を持たれた方は、よりディープな世界へお越し下さい。膨大な過去記事、新着記事がすべて読めます。売春、暴力、殺人、狂気。決して表に出てこない社会の強烈なアンダーグラウンドがあります。

一般カテゴリの最新記事