自分と合わない人と関係改善の努力するよりも、もっと良い方法がある

自分と合わない人と関係改善の努力するよりも、もっと良い方法がある

柔軟な人は、頑固な人と合わない。約束をきちんと守る人は、約束と守れない人とは合わない。優しさを基本にして生きている人は、他人に冷酷な人とは合わない。人間は、いろんな部分で他人と合わない面を持つ。

だから、人間関係は常にトラブルに満ち溢れている。人間関係のトラブルを経験したことのない人は、この世にいないのは断言できる。

性格も、年齢も、職業も、性別も、教育も、国籍も、文化も、宗教も、主義も、それが違うと常に対立と衝突と反目が生まれる。必ず何かが起きるのだ。

そうなったとき、いったいどうすればいいのか。

誤解を解いて互いに分かり合えるように話し合うのは基本だ。しかし、話し合って議論をしても、性格や感覚や信念が違っている場合は、結局のところ相互理解は非常に難しい。

そもそも、あまりにも違っていると、話し合うことすらも難しいのだ。そのため、あまりに個人個人の性格や信念が違っていると、もはや何もしなくても人間は分離していくことになる。

意図してもしなくても、自然にそうなる。分離する。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。政治・経済分野に精通し、様々な事件や事象を取りあげるブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」、投資をテーマにしたブログ「フルインベスト」を運営している。「鈴木傾城のダークネス・メルマガ編」を発行、マネーボイスにも寄稿している。

「自分と世界観が違う」と思った人間に対して

分かり合おうと努力するのは基本だが、根本的に合わない人というのは存在する。

「自分と世界観が違う」と思った人間に対しては、相手を変えようとしたり、自分が変わろうとしたりしないで、静かに関係を切る方向で考えるしかない。結局、最後にはそこに行き着く。

合わない人といつまでも苦闘する必要性はまったくない。どのみち、そうなるのだから、それが自然なのだ。

実は「合わない人」と離れるのは、それほど悪いことではない。

自分の人生で常に関わっていけるのは150人が限度だとイギリスの人類学者、進化生物学者であるロビン・ダンバー氏は「ダンバー数」で提唱した。

人生に密接に関わることができる人の数というのは、せいぜい150人だった。それ以上の人間と関わったところで、人間関係が希薄になって関係を保てない。

全人類はすでに74億人を超えているが、その中でたった150人しか強い人間関係を築けない。だとしたら、「合わない人と苦闘する」というのがいかに「時間に無駄」なのか分かる。

合わない人と苦闘するような実りのないようなことをするより、むしろ合う人を150人見つけた方が合理的だと思わないだろうか。

仮にその150人を探そうと思って、1年に3人をがんばって見つける計画を立てたとする。気の合う人を1年で3人見つけるというのは、大変なことだ。それをクリアしても、150人に到達するには、なんと50年もかかる。

そうであれば、なおさら「合わない人と苦闘する」ような時間はないと分かるはずだ。人間は合わない人間とは意図しなくても切れるのだが、自分に合う人を探すためには時間も必要なので、意図的に合わない人間を切る必要もある。

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それは、誰もが進んでやってみたいと思うべきもの

カナダの小説家、モンゴメリは小説『赤毛のアン』で「心の奥底を打ち明けられる本当の仲間。いままでずっと、そういう友達に巡り会うことを夢見てきたの」と主人公の少女に語らせている。

「気の合う人を150人見つける」というライフプランは、別に苦痛と忍耐にまみれたものではない。むしろ、誰もが進んでやってみたいと思うべきものでもある。

しかし、それを実現するためには時間が重要になってくるので、どうしても削らなければならない人間関係が出てくる。誰を削るのか。もちろん、努力してもうまくいかない人間関係を切るしかない。

(1)うまくいかない人間関係を切る。
(2)新しい自分に合う人間関係を探す。
(3)自分に合う人間関係を保つ。

人生は短いのだから、合わない人を切って合う人を自分のまわりに残すことの方が、合わない人と苦闘するよりもストレスがないというのは少し考えただけでも分かるはずだ。

努力する方向性を間違えてはいけないのだ。自分と合わない人と合うように努力する方向よりも、自分と合う人を見つける努力する方向の方が報われる。

どんなに努力しても報われず、違和感や異質感を感じて引っ掛かるのであれば、それ以上望むべきではない。

人間関係というのは、自分の一方的な思いで動くわけではないので、相手が自分の思う通りに変身してくれると思うのは子供の無邪気な想像と同じだ。

自分の性格や考え方を他人に変えられたくないのと同様に、他人もまた誰かに変えられたくないと思っている。

そんな中で、関係がうまくいかないのであれば、関係をフェードアウトさせて、自分の気の合う人を探す「冒険」に出た方が生産的なのである。

関係を断つというのは、失う方ばかりに焦点がいってマイナスの目で見られることが多いが、そんなことはない。新しい冒険のために身軽になるというプラスの側面もある。

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あなたに合う人が、世界のどこかで待っている

合わない関係を静かに終わらせるというのは、もうひとつプラスの面がある。「合わない人を断ち切る」というのは、皮肉なことに共存共栄になるのだ。なぜなら、互いに没交渉になれば争いが起きないからである。

衝突というのは、相手がそこにいるから発生する。関係が断ち切れたら衝突もない。

うまくいかなくなった関係も、長い歳月が問題を氷解させて和解になることもある。仲違いして離れ離れになった親子も、数十年後に静かによりを戻すケースもある。

一緒にいれば殺人事件が起きていた可能性もあるような憎悪剥き出しの人間関係だったとしても、数十年も経てば怒りも憎しみも薄らいでいることもある。

合わない人間とは離れ、関わりをなくすことによって、また関係が築けることもある。関わりを消すことによって、逆にうまくいくきっかけがつかめることもある。

だから、「うまくいかないものを切る」というのは、何かを解決する上でも重要なことである。

自分自身の人間関係も、あるいは世界中で起きている民族闘争も、ありとあらゆる対立は、互いに完全に相手を断ち切ることによって逆に致命的な破滅を避けることが可能になる。

それをしないで、一方的に関わろうとすればするほど問題は激しくこじれて行き、最後には破壊的な事態に陥っていくことになる。

「合わない相手を断ち切る」という合理的な方法論は、もっと取り入れられて然るべきだと言える。

それは、とてもシンプルな方法論だ。

切った相手には、その相手に合う別の相手がいる。自分には自分に合う別の相手がいる。だから、合わない相手を切るというのは、互いに共存共栄することでもある。

私たちには、自分に合う人が世界のどこかで必ず待っている。それを探しに行くのは、悪い話ではない。

人間関係も断捨離が必要だ。人間関係を断捨離をすることによって私たちは時間と精神の余裕を作り、そこに合う人を埋めていくことで人生を豊かにすることができる。「切る」というのは大切なことなのである。(written by 鈴木傾城)

自分自身の人間関係も、あるいは世界中で起きている民族闘争も、ありとあらゆる対立は、互いに完全に相手を断ち切ることによって逆に致命的な破滅を避けることが可能になる。

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