隣国憎悪はますます燃え上がる。情報量の増加によって対立は先鋭化されていく

隣国憎悪は、どこにでもある。相手がこちらに憎悪を向けているのであれば、こちらも相手に憎悪を向けることが自国の防衛となる。相手に憎悪を向けられて暴力を向けられてもヘラヘラしていたら国が滅びてしまう。憎悪には憎悪で立ち向かうことで自国が守られる。(鈴木傾城)

鈴木傾城

プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)
作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。経済分野を取りあげたブログ「フルインベスト」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。連絡先 : bllackz@gmail.com

隣国憎悪はますます燃え上がる

隣国憎悪は、どこにでもある。タイとカンボジア、ベトナムと中国、日本と韓国、インドとパキスタン、バングラデシュとインド、インドネシアと東ティモール、ギリシャとトルコ、セルビアとクロアチア、アルメニアとアゼルバイジャン。

ロシアとウクライナ、モロッコとアルジェリア、エチオピアとリトアニア、ポーランドとドイツ、イスラエルとレバノン、メキシコとグアテマラ、イランとイラク……。数え上げれば、枚挙にいとまがない。

隣国に対する強い反感や嫌悪は、突発的な感情の爆発ではない。多くの場合、それは長い時間をかけて蓄積された情報環境、教育、政治的出来事の積み重ねによって形成されたものだ。

グローバル化が推し進められ、LCC(格安航空会社)が網の目のように世界を結びつけるようになると、ますます隣国憎悪が目立つようになってきている。

この感情が燃え上がるのは、いくつもの理由があるのだが、もっとも大きいのは歴史認識がそこにあるからだ。学校教育や公的言説で扱われる過去の戦争、植民地支配、領土問題は、現在の世代にとって直接の体験ではない。

それでも、それらは物語として反復され、強い感情を伴って記憶される。

だいたい、どこの国も恨みを強く記憶する。そのため、隣国は常に「加害者」や「脅威」として理解されることになる。現代ではSNSが主要な情報源となっているが、このSNSでも隣国の人間たちの憎悪が直接的に目に入ってくる。

たとえば今、タイとカンボジアの紛争が深刻化しているのだが、タイ人がカンボジアの紙幣を燃やしたり、カンボジア人がタイの国王が印刷された紙幣を踏みにじったりするのが、まったく無関係の私たちの目にも入る。

その結果、隣国に関する憎悪はますます燃え上がる。

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憎悪が憎悪を生み出す構図がそこにある

隣国憎悪に対して、「みんなで仲良くしよう」とか「正しい知識を持てばよい」とか「人と人が交流すれば理解が進む」とか、お花畑的な子供っぽい解決方法を言う人がいる。だが、そんな薄っぺらい提言で解決するような問題ではない。

実際、インバウンド、移民の増加、インターネットによる情報の自由化が進んだにもかかわらず、隣国に対する激しい憎悪や否定的感情は多くの国で弱まっていない。弱まるどころか、むしろ逆に燃え上がっている。

それもそうだ。強い憎悪の感情は知識で修正できない。なぜなら、知識よりも感情のほうが本能に近いからだ。本能が拒絶したら、知識は無力なのだ。憎悪はまさに本能に根ざしたものだからとめられない。

隣国がこちらを強く憎んでいるのであれば、その憎悪はやはり伝播する。憎悪が憎悪を生み出す。

もちろん、隣国にも中には良い人はいるのかもしれないが、そうであったとしてもそれは例外として処理される。多くの場合、「あの人は良かったが、国としては別だ」という認識に落ち着く。

隣国憎悪は、道徳ではなくアイデンティティの問題である。

相手がこちらに憎悪を向けているのであれば、こちらも相手に憎悪を向けることが自国の防衛となる。相手に憎悪を向けられて暴力を向けられてもヘラヘラしていたら国が滅びてしまう。憎悪には憎悪で立ち向かうことで自国が守られる。

そう考えると、隣国憎悪はアイデンティティとなっていくのだ。相手を憎まないと、相手にやられる可能性が高い。だから、融和には無意識の抵抗が生じる。

隣国憎悪は「相手のことを知らないから起きる」のではない。むしろ相手を知っているからこそ、相手の憎悪にも気づき、防衛のためにこちらも憎悪を向けることになる。それが交互に何度も何度も反復されていく。

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憎悪は政治的に利用価値のある感情

この隣国憎悪は政治的にも利用される。隣国憎悪が長期に渡って消えない理由の1つは、それが明確に「政治的に利用価値のある感情」だからである。

中国なんか特にそうだが、対立する相手国を国が率先して罵倒して憎悪を煽る。国家そのものが相手国に対する憎悪を煽り立てる。そうすることによって、国民の不満の矛先を常に国の外に向けることができる。

これは陰謀論ではない。政治、メディア、市場のいずれにおいても、隣国憎悪は動員しやすく、管理しやすく、成果に結びつきやすいものとして機能している。これほど国民の感情をまとめるのに都合の良いものはないのだ。

中国だけではない。だいたい隣国憎悪を抱えた国家の邪悪な指導者は、経済成長の停滞、格差拡大、社会保障不安といった複雑で解決困難な問題に直面したとき、外部の敵を強調して自分たちの失策をうやむやにしたがる。

「すべては相手国が悪い」と煽り、国内の不満を外に向けて問題をそらす。実際、多くの国で外交摩擦が起きた直後に政権支持率が上昇する現象が確認されている。これは偶然ではなく、意図された感情操作の効果である。

重要なのは、これらが特定の国や体制に固有の現象ではない点である。

民主主義国家でも、権威主義国家でも、隣国憎悪は同じように使われる。制度の違いは関係ない。人々の注意と感情をどう集めるかという点で、隣国憎悪は合理的かつ効率的な手段なのだ。

これらの現実を見ると、隣国憎悪が自然に衰退するという見通しは成り立たないのがわかるはずだ。感情が利用され続ける限り、それはつねに供給され、更新される。隣国憎悪は放置されているのではない。積極的に使われているのだ。

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それでも隣国憎悪はなくならない

隣国憎悪に何らかの解決方法があるという見方は馬鹿げている。それは事実に基づかない妄想だ。これまで見てきた通り、隣国憎悪は知識不足でも、交流不足でも、誤解の偶然でもない。それは、歴史のどの段階でも見られるものなのだ。

国という概念がない時代では、部族同士の憎悪がそこにあった。人間は、自分たちと違う集団には敵意を抱く本能があるのだ。おそらく、動物たちのテリトリーと同じ感覚なのだろう。本能なのだ。

動物の世界では、テリトリーを侵されると激しい殺し合いが起きる。たとえばチンパンジーは、隣接する群れが自分たちの領域に侵入すると、集団で相手を追いつめ、致命的な攻撃を加えることが知られている。

相手の侵入を許していれば、自分たちの食料や安全が脅かされる。さらに自分たちの繁殖にも悪影響が及ぶ。自分たちの環境や生存を守るためには、相手を攻撃しなければならないのだ。

人間もまた動物のテリトリーの概念を本能で受け継いでいるのだろう。

そのため、隣国憎悪というのは、時間がたてば自然に消えるという性質のものではない。自然に消えるどころか、世代を超えて再生産される。直接的な戦争や紛争を経験していない世代であっても、教育、記念日、報道を通じて感情が継承される。

国際環境が変化しても、この傾向は弱まらない。冷戦が終結しても、グローバル化が進んでも、インターネットが普及しても、隣国憎悪は消えていない。むしろ情報量の増加によって、対立は先鋭化されていく。

そう考えると、日本人も他国の隣国憎悪を見て他人事のようになっていられないことに気づくはずだ。日本にも隣国がある。そして、それらの隣国はやはり日本を憎んでいる。日本人も隣国を憎んでいる。

それはけっして異常ではなく、実は正常な感情であった。今後、隣国に関する憎悪はますます燃え上がっていくだろう。

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コメント

  1. oyr7290 より:

    ご町内に話が通じないキチ一家がいて自分も相手も転居するのが不可能な場合、不本意であっても日常の挨拶ぐらいはするとして、できるだけ関わりをなくして交友はなしにすることが次善の策でしょう。

    誠に不幸なことに西隣にキチ一家がいるわけですが、隣にいる限り当方から「断行」を宣言するのは得策ではないでしょう。またCやKの字を見るたびに脊髄反射で罵詈雑言を吐いたりして感情のガス抜きをしたところで状況が有利になるわけでもなし

    ただし国際社会の舞台で非礼な態度を取ったり誹謗してくるような場合は実力行使も想定した上で制裁を加える、これは国際スタンダードであり、これまでの「大人の対応」とかいう寝ぼけた態度は事態を悪化させるだけだったのは皆さんご存知のとおりです

    交戦状態を勃発させないことは国際社会からの要請でもあり、可能な限り話し合いを続けることが必要ですが、非礼な態度を取られた場合は毅然と反論しつつ、あんな国としての体を成していないような輩と付き合ってもこちらの品格が堕ちるばかりですので、できる限り関係性を薄く薄くしていって、関連を断ち切っていくべきと考えます

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