◆かつてのカンボジアの貧しい売春の光景。場末の光景を私は今も心に残している

私がはじめて東南アジアの歓楽街に沈むことになった経緯は『ブラックアジア 売春地帯をさまよい歩いた日々・タイ編』の「パッポンのマイ」の中で書いたのだが、あの頃のパッポンはすでにネオンがギラギラで洗練された雰囲気があった。

そこでは多くの女性が半裸で踊り狂うような場所で、ロックが流れ、女性たちも華やかだった。ところが、親しくなった女性たちが「家に遊びにおいで」というので行ったら、そこはクロントイのスラムで、真夜中の華やかさは微塵もなかった。

クロントイは沼地にあったので、スラムの地面はいつもぬめっていて下水のようなニオイが充満し、ごちゃごちゃして、ところどころカビのニオイや化学薬品のようなニオイまでして慣れないと気分が悪くなるような環境だった。

パッポンで知り合った女性も、化粧を落とし、よれよれのTシャツを着て、汚れたサンダルを履いて過ごしているのを見ると、夜の女が持つ独特の「魔法」は消え去ってしまい、田舎から出てきたばかりの貧しい女性そのものになった。

そして、私は悟ったのだった。

彼女たちの本質は、ゴーゴーバーの華やかさにあるのではなくて、スラムの貧困の方にあることを……。

ヤワラートの安宿のまわりには、本当に田舎から出てきたばかりの化粧も知らない女性が身体を売っていたし、冷気茶室と呼ばれる売春宿には山岳地帯から売られてやってきた少数民族の女性もいた。すべて貧困が生み出していた光景だった。

やがて、私の人生は貧困で暮らす女性の想い出ばかりが積み重なるようになっていき、関心は「貧困の女性」で占められるようになった。

それを強化したのは、カンボジアの貧困女性だったかもしれない。1990年代後半のカンボジアは貧困が根深く残っていたし、女性たちもまた場末で売春をしていた。その荒んだ場末の光景の中で、私の人生は終始したとも言える。

あの貧しい荒んだ売春宿の雰囲気が今も忘れられない。私が繰り返し立ち戻る原点でもある。

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コメント

  1. 鈴蘭 より:
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  2. y88ee より:
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  3. nukina5239 より:
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