あなたは食糧がなくなった時「しかたない、コオロギでも食うか」となるだろうか?

あなたは食糧がなくなった時「しかたない、コオロギでも食うか」となるだろうか?

日本政府は国連から「昆虫食をやれ」と言われて、まるでワンマン社長に命令された社畜のごとく、まったく何も考えることもなく、右から左に昆虫食を日本に持ってきて、コオロギの養殖などに補助金を出して日本人にコオロギを食わせようとしている。反対が起きてもおかしくなかった。(鈴木傾城)


プロフィール:鈴木傾城(すずき けいせい)

作家、アルファブロガー。著書は『ボトム・オブ・ジャパン』など多数。政治・経済分野を取りあげたブログ「ダークネス」、アジアの闇をテーマにしたブログ「ブラックアジア」を運営、2019、2020、2022年、マネーボイス賞1位。 連絡先 : bllackz@gmail.com

それを常食する日本人は奇妙な民族に見えているだろう

東南アジアでは普通に昆虫食があって、芋虫でもコオロギでもバッタでもサソリでも何でも普通に食べている。私の知り合った女性たちも、私の目の前でごく普通に昆虫を食べていた。芋虫のようなものから、タガメから、イナゴから、コオロギまで。

それは彼らの食文化であり、私自身はそれについて何か意見を持っているわけではない。自分が食べないからと言って、昆虫を食べる民族を批判することもない。日本でもイナゴを食べたり、蜂の子を食べたり、そういう文化がある。

また、イカやタコを食べない民族から見たら、それを常食する日本人は奇妙な民族に見えているというのもあるだろうし、クジラをことさら神聖化する人々にとっては、クジラを食べる日本人は野蛮に見えているかもしれない。

しかし、別に日本人はそれが奇異だとも野蛮だとも思わないはずだ。それは食文化のひとつとして組み込まれているし、ごく普通に食べてきたのだ。今さら何を言われても、日本人は食べ続けるだろう。

そういうわけで、もともとコオロギを食べる民族がいたとしても、それはそれでおかしなことではない。東南アジアでは「コオロギを食べてきた」のだから、「コオロギは食べるな」というのは間違っている。

今まで食文化のひとつとしてコオロギを食べてきたのであれば、たとえ日本人には食べる習慣がなくても、「コオロギを食べる」というのはその民族の間では正しいことなのである。

では、「日本人もコオロギを食べろ」と押しつけるのはどうなのだろうか?

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今、コオロギ食や昆虫食には一気に反対の声が広がっている

最近、世界的に昆虫食が薦められる時代となっている。昆虫食を薦める理由が、「人口増加にも対応できる最良の蛋白資源になる可能性がある」からで、FAO(国連食糧農業機関)はそれこそ10年ほど前からずっとそのように主張している。

人類の人口が増えるにしたがって食糧危機のリスクが高まる。昨今は気候変動のせいで農畜産に世界規模でダメージを受ける可能性もある。畜産に大きな悪影響があると、人類のタンパク質が不足する。食糧不足は往々にして紛争の第一要因となる。

これを解決するために、フェイクミートや培養肉も考えられているのだが、まだコスト的に合うわけではない。

そこで、FAOは「昆虫食」に目をつけた。「人類が昆虫を食べるようになれば、昆虫の栄養価は肉に含まれるものとほぼ同じで、かつ昆虫の生産過程が豚の生産過程の100分の1になる」と彼らは主張する。

もし人類が昆虫を常食できるのであれば、食糧問題の一部は解決できる「可能性がある」ということになる。

タイのみならず、東南アジアで昆虫食が普通に行われているのを横目で見ながら、これが「人類の食料問題を救う」とは夢にも考えていなかったが、どうやら国連は本気になってこの昆虫食促進を進めているのだった。

しかし、昆虫食が普通になる時代が来るのかどうかはよく分からない。食文化はそんな簡単に変わらないのが実情だからだ。

問題は日本政府は国連から「昆虫食をやれ」と言われて、まるでワンマン社長に命令された社畜のごとく、まったく何も考えることもなく、右から左に昆虫食を日本に持ってきて、コオロギの養殖などに補助金を出して日本人にコオロギを食わせようとしていることだ。

日本の米や畜産の育成や支援をしないで、コオロギ食には補助金をつけているのだから、これは政府による「コオロギ食の強制」に映る。少なくとも、国民の多くはそのように捉えた。

だから今、コオロギ食や昆虫食には一気に反対の声が広がっている。

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自国の伝統を守らないで押しつけたら反対は当然

昆虫食は、アフリカや東南アジアなどの一部の国では当たり前の食文化となっているのだろうが、日本には馴染みがない。コオロギも日本では一部で食べられていたという文献もあるようだが、それは一般的に広がらなかったし、間違えても日本の文化には組み込まれていない。

そのため、昆虫を食べること自体に抵抗感があっても当然だ。まして自国の農畜産物を押しのけて昆虫食の準備をされたら誰でも激怒する。

昆虫食材が十分に安全であるかどうかについては、まだ不明な点が多くある。食品衛生に関する基準や規制が整備されていない。実際、アレルギーを発症するケースもある。そのことから、昆虫食材の安全性に不安を抱く人も多い。

また、政府が主に補助金を出して推し進めている「コオロギ」に関しては、日本ではトイレなどに繁殖する虫ということもあって、「不潔なもの」という文化的意識もある。

そのため、わざわざ「不潔な虫」を日本政府は外国に言われたから国民に押し付けたということになるわけで、これでは反発を受けない方がどうかしている。

そもそもコオロギを含む昆虫食は、地球環境の保護や食料問題に対する解決策として注目されているのだが、本当に国連が言うように「食料問題に対する解決策」になるのかどうか未知数なのである。

昆虫食でも、実際には生産・加工・流通などの面で多くのエネルギーや資源を必要とするという指摘もある。また、昆虫を飼育するために農薬や飼料などの使用が必要となる。必ずしも、環境的に昆虫食はクリーンであるとは言えないのだ。

それならば、米や肉や魚などの日本で伝統的に食べられていた食材の育成に力を入れた方がよほどいい。

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そうならないように願っているが何が起こるのか分からない

昆虫食の最大の難点は、その拒絶感だ。しかし、その拒絶感は日本で飢餓が発生した時に打破されるのかもしれない。日本の食料自給率はわずか38%である。グローバルなサプライチェーンに危機が発生したら日本人はあっという間に飢える。

食べるものがなくなったら、人間は何でも口に放り込む。それならば「今はコオロギ食に反対している国民も、背に腹を変えられずコオロギでもうじ虫でも何でも食うようになるだろう」と日本政府は考えているのかもしれない。

「グローバルな食糧危機が発生して食べるものがなくなったので、明日から昆虫食を取り入れます。このためにコオロギ食を用意していました」

そのようなアナウンスが日本政府・行政からなされた時、「そうか。しかたがない。じゃ、明日から昆虫でも食べるか」と、すぐにコオロギを口に放り込む日本人は少ないかもしれない。

しかし、それしか食べるものがなければ、おそらく嫌々でも食べるようになるのだろう。いくら拒絶感が拭いきれないとしても、飢えには勝てないからだ。

私も昆虫食だけは心理的な抵抗がある。平時であれば、進んで食べることはない。他に食べるものがある時に、それが昆虫だと分かって食べるのは、果たしてできるのかどうか自信がない。

タイ女性が「この虫はおいしいわよ」と頭からかじっているのは何度も見ているし、他人が食べていても驚きはしないが、それを自分が食べるとなったら話は別だ。私はそれを自分の口に放り込む事態にならないことを強く望んでいる。

この拒絶感というのは心理的なものであり、理屈ではない。心理的な拒絶感の壁を越えて昆虫食ができるようになるのは、飢えてそれしか食べるものがない状態になった時なのだろう。

そうならないように願っているが、人生は何が起こるのか分からないので、無理やりコオロギ食になってしまう可能性もゼロとは言えない。

ちなみに昆虫食に関連して、うじ虫も「ハエの幼虫」だとか「マゴット」だとか言われて食用の研究がなされているので、うじ虫も食わされる時代になるかもしれない。あなたはそうなった時、コオロギだろうがうじ虫だろうが何でも食べるだろうか……。

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